86.馬車と宿
セーランティプに持っていく毛糸マントを作り始めて3日目。
「こちらにサインをお願いします」
ブランシュは、王族が使うような高級な材料を扱っている倉庫に、マントにつけるボタンを探しに行くと、厳重な警備体制のもと入退室のサインを求められた。
今まではアンやダルクが同行してくれていたが、サインができるなら1人で大丈夫だろうと言われてしまい、おどおどとやってきたのだ。
緊張で手が震えたが『空組ブランシュ』と書き、忍び込むようにして入った。瞬間にブランシュの目が輝きだす。
細かい模様の入った木製のボタンから、宝石でできた色とりどりのボタンまで、全てのボタンを取り揃えていると言える場所。
ブランシュは端から順番に目を通しながら、1時間かけてようやくボタンを選んだ。
「こちらの書類にもサインをお願いします」
ブランシュはボタンの入っていたビンを受付に渡すと、在庫を管理するための紙を渡された。
『B-j-302』
文字を写すことができるようになったブランシュは、記入した紙を受付の人に渡すとあっという間に手続きを終わらせた。
ブランシュは逃げるように縫製室へ戻り、3つのボタンをつけた毛糸マントを完成させると、すぐさまダヴィドの部屋へ持っていく。
「さすが、君は本当に仕事が早いね。ところで今回の報酬は決めてきたかい?」
ダヴィドは断られると思いながらも、報酬は必ず聞くことにしていた。すると、ブランシュはうつむきながらも即答する。
「少し、こ、高価なクルミの殻をいただけますか?」
今までは、基本的に自分で購入したクルミの皮で髪を染めていたブランシュだが、安物は色抜けが早いため長期の外出には向いていない。
奴隷時代も貸し出される時は髪を染めていたが、どれくらいセーランティプという場所へ行くのかわからなかったブランシュは、しっかりと髪を染めたいと思ったのである。
ダヴィドは白髪を見たタンゾワールの王がエヴィノールを思い出したように、セーランティプの誰かも何かを感じるかもしれないと思った。
ブランシュの言葉でそれが国際問題のきっかけになる可能性も考えたダヴィドは、すぐに最上級のクルミの皮の染料を用意した。
♢
出発の朝。王族用の玄関は騒がしかった。
「何その髪!どうして茶色になっちゃったの!?」
「も、申し訳ございません」
リゼットは、髪を染めたブランシュを一瞬誰だかわからず驚いた。
この王宮で白髪なのはブランシュたった1人だけ。誰もがブランシュ以外に白髪の人を見たことがないため、この国には白髪の人は他にいないだろうとも思える。
それだけ白髪はブランシュのアイデンティティだった。
「リゼット、ブランシュの美しい髪は目立ってしまうからね。縫い子がパーティーの主役になったらクレマン王子に申し訳ないんだよ。それにこの髪色も似合っているだろう?」
「それはそうね!茶色なのかクリーム色なのかもよくわからないけど、まあ悪くはないわ」
ブランシュは静かに、リゼットとダヴィドの顔を交互に見る。
「ひっ!」
そしてもう1度謝罪をしようと思っていたブランシュだったが、突然首に触れた何かに驚いてしゃがみこんだ。
「驚かせてしまい申し訳ございません。外は大変寒いのでこちらを羽織りください」
顔を上げたブランシュは、目の前にチャトゥラがしゃがみこんでいたため、今度は尻もちをついて転んでしまう。
「ブランシュ!何をしてるの。早く行くわよ!」
「あ、その、こ、これは受け取れません」
ブランシュは肩に掛けられたケープを脱ごうとすると、ダヴィドがにっこりと笑ってリボンを優しく結んだ。
「ダメよ!恥をかくのは私なの。ケープもなしに制服だけで行かせるなんて、貧乏な国だと思われるわ。ダヴィドお兄様もそう思うでしょ?」
「そうだね。それに風邪を引かれても困るんだ。いつかのイヴァンのようにね」
2人の言っていることは理解できても、心が簡単には受け入れることができないブランシュは、無意識に首元のリボンを握った。
しかしそれを遮るようにダヴィドはブランシュの手を引いて、馬車へと連れて行く。
(すごく大きい……待って、私これに乗るの!?)
ブランシュが王都へ行くときは、たいてい雑魚乗りである。
お忍びで貴族用の馬車に乗ったこともあったが、大きさがそれの比じゃない。
「さ、ブランシュはこっちだよ」
「こ、こ、こっちですか!?」
玄関に馬車は4台止まっている。
そのうち2つは馬が6頭、もう2つは馬が4頭。ブランシュは馬が6頭の1番煌びやかな馬車の前で固まった。
「僕とチャトゥラと一緒だよ。あっちの小さい馬車は僕のヴァレット用。あと荷物も乗せてもらってるんだ」
ブランシュはあまりにも豪華な馬車に目がくらんで気がついていないが、本来女性ならリゼット側の馬車に乗るのが一般的だ。
今回ブランシュがダヴィドと同じ馬車に乗ることになったのは、リゼットのレディースメイドたちがブランシュを拒否したからである。
「ブランシュ、お手をどうぞ」
ただの縫い子であるブランシュが第一王子とそのヴァレット長に手を引かれ、誰よりも豪華な馬車に乗り込んだ。
(き、緊張してうまく息が吸えないよ)
「わっ!」
ブランシュは馬車が少し揺れるだけで転びそうになり、大きく揺れるとその体は宙に浮いた。
雑魚乗りでぎゅうぎゅうな馬車では起きないことなので、ゆったりと座れる馬車での移動にブランシュは何度もダヴィドとチャトゥラに腕を握って助けてもらうばかり。
「チャトゥラ、ブランシュは小さいから僕たちの間に座ってもらおうか」
「ダヴィド様がよろしいのでしたらそういたしましょう」
ブランシュは2人の視線に手汗が溢れた。
「ダ、ダヴィド様!?チャトゥラ様!?」
ブランシュはチャトゥラに手を握られると、3人並んで1つの座席に座った。つまり、ブランシュは男性2人に挟まれている。
頭が真っ白になったブランシュは、どうやって最初の宿に到着したのか覚えていない。
♢
「というわけで、君は僕とチャトゥラと同じ部屋になった。基本的なことはすべてチャトゥラに聞いてくれ」
到着した宿は、東の領地に住んでいる公爵の家である。
定期的に王族が利用するため、部屋の家具などが一式揃っている。
馬車同様リゼットのレディースメイドに同室を断られたブランシュは、ダヴィドとチャトゥラと同室になった。
メイドたちはブランシュの裁縫技術の腕を認めているし、ブランシュが悪い人じゃないこともわかっている。
それでも、リゼットが仲良くしたから、しているからといって、簡単に元奴隷と仲良くできるわけではなかった。
リゼットも奴隷への嫌悪感は理解できるため、自分のメイドに無理強いすることはなくダヴィドに任せることにしていた。
もちろん体を拭く時や着替えの際はリゼットのメイドに混ぜてもらったが、やはりその距離は遠い。嫌悪感丸出しなわけではないが、話すこともない。ブランシュは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「ブランシュはこちらのベッドをお使いください。私はこちらのベッドに寝ますから」
着替えて部屋に戻ってきたブランシュは床で眠るつもりだったため、慌てて制服を棚に置くとチャトゥラに頭を下げた。
「あ、あの、そこの隅で寝るので、申し訳ございません。お気遣いいただきありがとうございます」
(カーペットが敷いてあるからとても寝心地はよさそうだし、すでに私にはもったいないほど恵まれた環境なんだけど、どうしたらそれが伝わるかな。あ、そもそも同じ空間にいるのが問題だよね……)
「あの、ば、馬車で寝ます!そ、そしたら誰にも迷惑を掛けないですか?」
あまりにも必死なブランシュに、書類に目を通していたダヴィドが立ちあがる。
「ブランシュ、君は立派な縫い子として連れて来たんだ。できる限り上級使用人として立ち振る舞って欲しい。とはいえ男性と寝るのはやっぱり嫌だよね」
ダヴィドは少し考え込んだが、ブランシュの顔を見て不思議に思った。
「もしかして男性と同じ部屋なのは大丈夫なのかい?」
「はい」
伯爵家で奴隷は男女が同じ藁で寝ていたため、そこに抵抗はないブランシュ。もちろん声が出なくなるほど緊張はするけども。
「じゃあいいね。明日も長距離移動なんだし早く寝ようか」
「ま、待ってください!」
ブランシュはチャトゥラに助けを求めるように顔をチラリと覗いたが、それは逆効果だった。
「ダヴィド様、よろしければブランシュを私のベッドで寝かすのはいかがでしょうか?」
「隣のヴァレットルームに行くよりはいいかな。ブランシュ、今すぐ自分のベッドに入るのと、強制的にチャトゥラのベッドで寝るのどっちがいい?」
ダヴィドとチャトゥラがニヤリと笑うと、ブランシュは急いで自分のベッドの中に潜り込んだ。
「おやすみ」
ダヴィドがそう呟いた時には、初めて感じる軽くて暖かいベッドで眠ってしまっていた。
♢
「明日のお昼前には到着だよ。ブランシュ、よく頑張ったね」
数日かけて移動し、今日はセーランティプの公爵家に宿泊。
ブランシュはダヴィドの言葉に、安堵ではなく動悸がした。いよいよ他国の王族とご対面である。
その晩、ブランシュはもう1度クルミの皮で髪を染め直した。




