82.世話焼き
ブランシュは震える手を握りしめながら、北側の中庭に向かっていた。
ロランの部屋から出た時にはすでに使用人の夕食の時間が終わっていたため、せめて水を飲もうと思ったのだ。
(イヴァン様に何かあったらどうしよう……)
ブランシュは夕食を終えた使用人とポツポツすれ違いながら、今日1日自分がロラン、ヴァランティーヌ、レベッカをどれだけ不快にさせたのかと考えていた。
罪悪感からコソコソと歩いていたブランシュの足が止まったのは、中庭に足を一歩踏み入れた時。
目の前の腕を組んだ王子にブランシュの足が半歩下がる。
「心配したよ!」
「と、こいつは言ってるが?」
イヴァンの目は完全に怒っておりすぐに謝罪したかったが、1日水を口にしていないブランシュの喉は張り付いて声が出ない。
さらに、腰に手を当てたジュリエットが怒っていることをアピールするかのようにひょこりと顔を出したため、驚いて頭が真っ白になった。
「怪我してない?」
固まったブランシュの手をジュリエットは駆け寄って握った。
ジュリエットは約束をしたのにも関わらず、夕食を食べに来ないブランシュを心配した。
すぐに朝のヴァレットが関係していると思い、夕食を食べに食堂へやって来たマドレーヌに「ブランシュはまだ縫製室にいるのか」と聞いたが、今日は1度も縫製室には来なかったと言われた。
朝のヴァレットが、どの王子の所属なのかわからない。
空組にもブランシュを借りるとしか言われておらず、理由を聞く前に伝達へ来たヴァレットは去って行ってしまったらしい。
ジュリエットは夕食を早めに切り上げてブランシュの部屋に行ったが誰もいないし、念のためと縫製室に顔を出しても見つからない。
最後の候補先である北側の中庭に行く途中で、勉強に来ないからと捜索に出されていたダルクと鉢合わせたのだ。
こうしてダルクから事情を聴いたイヴァンは、ジュリエットと中庭に待機していたのである。
「ご、ごめんなさい……」
「痛いとこない?」
「うん」
「ならよかった。明日の朝は一緒に食べよう?約束!」
ジュリエットはほっとしてため息をつき小指を差し出したが、ブランシュにはその意味がわからなかった。
「こうするんだよ」
初めてのゆびきりに、ブランシュは顔を真っ赤にした。
「もういいか?」
「はい!ありがとうございました!」
イヴァンの存在をすっかり忘れていたブランシュは飛び跳ねたが、関係なく肩を掴まれる。
「ではここで失礼する」
「はい、イヴァン様!ブランシュ行ってらっしゃい」
(ど、どうしよう……!)
♢
ブランシュは肩を軽く押されると、追い抜いたイヴァンの後ろをうつむきながら歩いた。
しかしブランシュの捜索をしていたダルクが戻ってくると、イヴァンは黙って突然立ち止まる。
「ひぃ!も、も、申し訳ございません!」
イヴァンの背中におでこをぶつけたブランシュは、驚いてお辞儀をするともう1度イヴァンにぶつかってしまった。
「ほ、本当に申し訳ございません!」
慌てるブランシュを前に、イヴァンはニヤリと笑った。
「俺の方こそ悪かった。ぶつからないように俺の隣を歩け。わかったか?」
「あ、え、その……」
ブランシュは目を丸くして口をパクパクさせたが、イヴァンは有無を言わさず腕を掴んで自分の隣を歩かせた。
ダルクが頭を抱えていることに、2人とも気がついていない。
手汗をエプロンで拭い続けているブランシュに、イヴァンはさらに追い打ちをかける。
「今日は髪を結ばないのか?」
「……えっと」
ブランシュはいつも通りシュシュで1つに結んでいる。ダルクも首を傾げた。
「こないだは髪飾りをつけて洒落ていたろ」
イヴァンは織り子の見学時に髪飾りをつけていたことを覚えていた。
「今度から勉強する日はあれをつけてこい」
ブランシュは小さく頷くしかなかったが、1つ言い出せないことがあった。
♢
イヴァンの部屋に入ると、なぜか勉強机ではなくソファーに座らされた。
隣を歩かされ続けたブランシュは相変わらずソファーに緊張していたが、イヴァンの隣から離れることができてほっとしてもいた。
残念ながらそれは束の間の安堵であったが。
「イ、イヴァン様!?」
勉強の時間以外は向かい側に座るイヴァンは、ブランシュの隣に座った。
「なんだ、俺が座ると何か問題でもあるのか?」
ニヤリと笑うイヴァンに、ブランシュは一生懸命首を横に振った。
「じゃあ腕を出せ」
「……へ?」
「袖を捲れ。怪我をしていないか確認する」
「け、怪我はありません!」
毛虫でかぶれた時は腕を差し出したが、あれは例外である。
ところが、立ち上がったブランシュの慌てっぷりがイヴァンの心配を強めた。
「そもそもお前どこにいた?誰かに何かされたんじゃないだろうな?」
「な、何も、ありませんでした……」
「怪我が無いことは信じてやる。だがどこにいたのかは言え」
ブランシュは本当のことを言っていいのか悩んだ。
第二王女のエリアーヌのハンカチを直したことも、いまだに誰にも言っていない。
「嫡出子の俺よりも偉いやつなのか。それなら仕方ないな」
誰よりも身分を気にしているブランシュに、イヴァンの言葉は効果抜群だった。
ブランシュは風が吹けば聞こえないだろう小さな声で「第四王子殿下」と答えた。
イヴァンは大きなため息をつくと、ブランシュの腕を引き座らせる。
「もういい、座れ」
(またイヴァン様に不快な思いをさせてしまってるなんて……黒いリボンをつけたい)
ダルクは落ち込んだブランシュと、うなだれたイヴァンの前にサンドイッチを置いた。
「申し訳ございません!」
ブランシュは慌てて立ち上がると、壁際まで小走りして耳をふさいだ。
イヴァンは何度か見たことのある光景だが、食事を出しただけでブランシュに壁を向かれたのは初めてである。
驚きのあまり息を飲んだが、すぐにロランが原因だろうと黙ってその腕を引いて座らせた。
「俺の前でそういった真似をするな。わかったらサンドイッチを食べろ。俺は食べる」
「で、でも……」
「じゃあ今から新しく何か作らせるか?」
「……あ、も、申し訳ございません!」
ブランシュは無意識にお辞儀をするとシュシュが緩くなり、結んでいた髪の毛が顔にかかった。
お腹いっぱいになるほどの謝罪の言葉に、イヴァンはブランシュからシュシュを取り上げた。
(やっぱり私なんかが髪飾りをつけるなんて、贅沢なのに……)
「イヴァン様、さすが少しやりすぎかと」
ダルクは口を挟むと、イヴァンはふっと笑った。
「ダルク、ブランシュの髪を綺麗にしろ」
♢
ブランシュは気づくと、大きな鏡の付いた化粧台の前に座らされていた。
ダルクは慣れた手つきでブランシュの髪をブラシで梳くと、前髪とサイドの髪を残して丁寧に編み込んでいく。
「ブランシュ、痛かったら痛いと言えよ。たまにブラシが当たって痛いんだ」
「それはイヴァン様が動くからですよ」
ブランシュは何も言えなかったが、鏡越しにチラリとイヴァンを見るとうっかり目が合ってしまい、慌てて目を逸らした。
それはイヴァンも同じであった。
熱を出したあの夜、中庭でブランシュを妖精だと思った自分を思い出して恥ずかしくなったからだ。
イヴァンの耳が赤いことにダルクは気づいていたが、何も言わずに編み込みの1つ結びを完成させた。
ダルクはブランシュに微笑みかけソファーへと誘導しようとしたが、イヴァンが黙ってブランシュの手を引っ張っていった。
「イ、イヴァン様?」
「なんだ。これでも食べないというのか?」
「い、いえ、その……おでこ……」
「は?」
「……な、なんでもありません」
ブランシュがちらちらと自分の顔を見る意味がわからなかったイヴァンは、サンドイッチのお皿をブランシュに向かって押した。
「食べろ」
「……い、いただきます」
イヴァンは初めてサンドイッチを食べさせた時、ブランシュに餌付けしたいと思った。
それは今も変わらない。
何度同じ料理を出しても、何度同じお菓子を与えても、ブランシュは嬉しそうに目を輝かせて小さな動物のように食べる。
すると、なぜかさらに食べさせたくなるのだ。
イヴァンはいつかのダヴィドの言葉を思い出し、ダルクに声を掛けた。
「やっぱり俺がいないとこいつは餓死するな。ダルクもそう思うだろ?」
「そうですね」
イヴァンは満足そうに腕を組んでブランシュはを見つめていたが、ダルクは小さく首を振るのだった。




