81.椿の刺繍
名簿を作り終えた翌日。
ジュリエットは自分のお皿からブランシュのお皿にせっせとひよこ豆を移していた。
「ジュリエットが食べなくていいの?」
「あんまり好きじゃないんだもん。インゲン豆みたいに柔らかいのが好きなんだ」
「じゃあ私のと、こ、交換する?」
ブランシュは、赤い豆をジュリエットの皿に1つずつ移した。
「ありがとう!」
ブランシュはジュリエットが笑顔でスープを食べるところを目を細めて見ながら、自分もひよこ豆を食べる。
「今日の夜はお肉が出る日だから遅れないでね!」
「私たち任せて!」
ジュリエットの言葉に返事をしたのは、いつの間にか隣に並んでいたマドレーヌとカリーヌだった。
楽しく会話をしながら歩いていた4人だが、なぜか食堂の入口から人がスタスタとはけていく。
「白髪のお前がブランシュだな?」
声を掛けてきたヴァレットは氷のような空気をまとっており、ブランシュ以外の3人も固まった。
「空組の縫い子のブランシュで間違いないならついて来い」
ブランシュはヴァレットから向けられた鋭い視線に、よほど不快にさせてしまったのだと振り返ることなく慌てて後を追いかけた。
♢
ブランシュは連れて来られた部屋の前で、顔を青くした。ここはつい先日来たばかりの場所である。
「入れ」
「し、し、失礼いたします」
机を囲んでいる3人のうち、ブランシュは2人を知っている。
1人は過去に自分のことを殴った王女で、もう1人は一昨日案内した貴婦人だ。
「お前が噂の……俺は第四王子のロランだ」
始めましての男性は長い金色も髪をさらりと耳に掛けると、恐ろしいほどの笑顔でブランシュのことを見つめた。
「本題なんだが、俺の依頼を忘れてはいないか?怒っているわけじゃないが、今日中にお願いしたいんだ。わかるだろう?」
事態を飲み込んだブランシュは、すぐさまその場に土下座し、声を震わせながら謝罪した。
「た、大変申し訳ございませんでした!」
ソファーに座っていてもわかるほど手が震えているブランシュを見て、2人の女性はくすくすと笑っている。
ロランは2人に目配せをするとブランシュの前までゆっくりと歩き、そしてしゃがみこんだ。
「顔を上げろ」
ロランの言葉にブランシュは何とか小さく息を吸い、まっすぐ顔を上げた。
「いいか?お前は今からあそこでハンカチに刺繡をするんだ。ああ、それより先にまずこちらの2人を紹介しよう。立て」
優しい声に似合わない程の圧力に、ブランシュは自分という存在が高貴な血の方々を穢しているのだとより強く思った。
ブランシュに今できることは、目の前の王子の言う通りに動くことだけである。
「こちらが僕の婚約者のレベッカだ。美しいだろう?」
「初めまして、ではないわよね。先日は助かったわ」
ロランの婚約者だと紹介されたのは、迷子だと言った貴婦人。
二度と顔を見せるなと言われたことを思い出したブランシュは、黙って綺麗な90度のお辞儀をした。
「私のことは知っているわよね。答えなさい?」
「も、も、もちろんです。だ、第三王女殿下……」
「ほら、教育は行き届いているんですよ」
ブランシュは頭を下げたまま声を絞り出した。
たくさんの宝石をキラキラと輝かせているのは、第三王女のヴァランティーヌ。
「ここに座れ」
ロランは3人が机を囲んでいるソファーのすぐそばに置かれた、小さな丸い机と椅子までブランシュを歩かせた。
ブランシュは返事をしたかったが、3人の圧で声がかすれて出ない。
「お前にはレベッカのためのハンカチに刺繍をしてもらう。大事な婚約者へのプレゼントに何かあったら怖いだろ?だから今、目の前でやれ」
ロランが鼻で笑うと、レベッカとヴァランティーヌもクスクスと笑う。
「王子の刺繍や奴隷の元を回ったり、第三王子殿下の玩具も大変だな」
(私のせいでイヴァン様の評判を落としてしまっているんだ……頑張らないと)
ブランシュは真っ白なハンカチに、赤い椿の花の刺繍をするように言われた。
すぐに赤い刺繍糸を丁寧に解き始めたが、冬でも王子の部屋はとても暖かいのに、手がかじかみなかなか針に糸すら通らない。
3人はそんなブランシュを見てニヤニヤと顔を見合わせながら、コーヒーを口にした。
「早くロラン様と結婚したいわ」
「仕方ないじゃない。どこかの王子様が婚約者も作らないんだから。私も予定より早めると言われてるのに、全然話が進まないもの」
ヴァランティーヌはブランシュを見てため息をつく。
レベッカは甘えるようにロランの手を握ったが、ロランはさらりと交わすようにしてカップに口をつけた。
「奴隷じゃなくてお名前はなんでしたっけ?」
「ブランシュですよ」
「失礼、ブランシュ。椿は色彩豊かに赤を最低3色は使ってちょうだい」
「お、仰せのままに」
かじかむほど冷たかった手には途端に手汗が溢れ、ブランシュは何度もエプロンで汗を拭いながら、1針1針花の繊維を描くように針を刺していく。
「はぁ」
「ヴァランティーヌ王女、もしかしてベラ王女の件で悩んでいるのですか?」
ブランシュは今すぐにでも耳を塞ぎたかったが、あいにく手が塞がっていたため最大限できることとして下を向いた。
「だって私の婚約者様をベラ王女の嫁ぎ先候補にされたのよ?ひどいと思わない?」
王はベラがエヴィノールを選ぶと踏んで、わざとけしかけるようにヴァランティーヌの婚約者をお見合い相手の候補に挙げた。
ベラは結果としてエヴィノールを選んだが、引きこもっていたのもあり情報に疎く、ヴァランティーヌが南で1番大きな領地の息子と婚約していることを知らなかった。
ヴァランティーヌはわざとらしくブランシュにじっとりとした視線を向けると、ブランシュはハンカチを机の上に置き土下座した。
「ブランシュ、あなたはとても可愛いわね。裁縫を続けていいわ」
「か、寛大なお心に感謝いたします」
ブランシュが再び針を手に取ると、ロランは顎に手を当てレベッカとヴァランティーヌに目配せをした。
「物事には順序と序列があり、俺とレベッカの結婚は第三王子殿下の次だ。つまり第四王女は第三王女のあとに結婚するべきだろう?ベラ王女の結婚はまだに決まっているさ」
「そもそも第三王女の私が南で1番大きいとはいえ領地主で、ベラ王女が貿易重要国?信じられない」
「ヴァランティーヌ、そこは仕方ないさ。未知の国への人質であり捨て石なんだから」
ロランは立ち上がりなだめるようにヴァランティーヌの肩を優しく叩くと、ブランシュからハンカチを取り上げた。
「まあ悪くない。続けろ」
「あ、あ、ありがとうございます」
ニヤリと笑うと、3人は雑談を続けた。
「そろそろ昼食にしようか。ブランシュ、お前は自分がどうするべきかわかるな?」
「……はい」
花の刺繡が終わりかけていたブランシュは机の上を整頓すると、壁に向かい合って真っすぐと立ち、耳を塞いだ。
「よくできてる。これは第三王子殿下も気に入るはずだ」
ブランシュは1時間も立たされたが、ふらつくこともなく耳をふさぎ続けた。
3人はブランシュを時々ちらりと見てはくすくすと笑い、優雅な時間を過ごした。
「っ!」
ブランシュは肩を叩かれると、声にならない声を上げて飛び跳ねた。
3人は満足そうに笑うと、早く裁縫を続けるように言った。
「この縫い子もどきはベラ王女のお気に入りというだけでなく、第一王子殿下のお気に入りでもあるの。嫡出子3人を手玉にとるなんて恐ろしい女の子ね」
ヴァランティーヌの発言に、レベッカは何度も頷いた。
「ベラ王女の結婚は本人のコネなのか、この可愛い子のコネなのかわからないわ。あらブランシュ、その黄色やっぱり変えてくれる?」
「も、申し訳ございません。い、今すぐに」
ブランシュがどんなに美しい刺繍をしても、レベッカは何度もやり直しを命じた。ブランシュはすぐに謝罪し、慣れた手つきで糸をほどいていく。
普段なら数時間で終わる作業も、朝一で始めたはずがもうおやつの時間である。
ヴァレットやレディースメイドがおやつとコーヒーを運んでくると、ブランシュは再び壁に立ち耳をふさいだ。
「残りは葉だけだな。早く完成させろ」
「お、お、仰せのままに」
ブランシュの手は何度もかじかんだかと思えば、今度は手汗が溢れ、それでも最大限丁寧に針を刺した。
「素晴らしい出来だな。これはまた後日仕事をあげないと」
ロランはブランシュの横に立つと、背中から覆い被さるようにして机に両腕をつく。
ブランシュはとうとう眩暈と頭痛がした。
「ほんと、どうして私の縫い子にしてはいけないのかしら」
ヴァランティーヌのねっとりとした声が部屋に響き、ロランとレベッカがふっと笑う。
ロランは王族会議でわざとらしく見せつけられたイヴァンの刺繍と、パーティーで突き付けられた裁縫技術を、目の前のハンカチから吐き気がするほど感じていた。
「第三王子殿下は元気かな?ここ数日会ってなくてね」
3人の夕食後にようやく完成すると、ロランは突然冷たい目つきでブランシュのオレンジ色の瞳だけを目に映した。
ブランシュは瞳孔が一瞬開いて、喉がキュッと鳴る。
「はい、元気に過ごされております」
ブランシュは、悲しそうな顔をしながら奴隷名簿を見ていたイヴァンの顔が横切ったが、唾を飲み込んだ。
それでも声は震えうわずらせながらも、一息に返事をした。
「それはよかった。もう用はない」
「そ、それでは失礼いたします」
ブランシュはお辞儀をすると、震える足でなんとか歩き、もう1度お辞儀をして部屋を出た。
「あぁ、気に入らない」
高貴な血が流れる3人は、素晴らしきハンカチを皆で見つめながら笑った。




