79.迷子の貴婦人
「今日の勉強はなしだ。次は3日後、いいな?」
「か、かしこまりました。お忙しいところ、し、失礼いたしました」
夕食後、ブランシュはいつも通り勉強のためにイヴァンの部屋を訪れた。
しか、イヴァンはブランシュを部屋に入れることなく、ドアを閉めるとうなだれる。
「ダルク」
イヴァンは夕食後、王妃に突然呼び出されたせいで眉間の皺が取れず、つい低い声でブランシュを部屋から追い出した。ダルクはそれを見てため息をついている。
「なんでしょうか」
「……なんでもない」
気まぐれな王妃は、イヴァンが体調を崩しても関係ない。
ダルクに当たり散らしたいイヴァンだったが、その気力もなく乱雑にジャケットを羽織った。
♢
(イヴァン様の邪魔をしちゃった……私が勉強なんてしなければよかったのに)
ブランシュはイヴァンの部屋出ると勉強道具の入った手提げをギュッと抱きしめ、自分の足だけを見ながらちょこちょこと廊下を歩いた。
少し歩いたところで、たくさんのメイドを連れた高貴な身分と思われる女性を見つけた。
ブランシュはその場で手提げを廊下の隅に置くと、膝をついて頭を下げる。
王宮内で制服を着ていない者は大抵貴族だ。
「あら、ちょうどいいところに。こっちまで来ていただけるかしら?」
貴婦人はブランシュに気づくと、少し離れたところから大きな宝石の付いた指輪を光らせながら手招きした。
ブランシュはすぐさま貴婦人の元まで小走りし、再びお辞儀をする。
「第四王子殿下の元へ行きたいんだけど案内してくださらない?迷子になってしまったの」
貴婦人はニヤリと笑いながら腕を組み、ブランシュの見下ろしている。
途端に手足が冷たくなったブランシュに答えることのできる返事は1つだけ。
「お、お、仰せのままに」
「ありがとう。あなた親切なのね」
ブランシュは第四王子に会ったことがない。だが、ちょうど第四王子のヴァレットから刺繍の依頼書を受け取ったばかりだった。
今週中に仕立て屋が描いたデザインを取りに来るようにという内容で、1度も行ったことはなかったが部屋の場所は教えてもらっている。
(第二王子殿下の部屋の近くだから、階段を降りた先で……)
「こ、こちらでございます」
まっすぐ歩くのが精いっぱいなブランシュと、その隣で見下ろしながら歩く貴婦人。
後ろではメイドたちがヒソヒソと笑っている。
「あなたの白い髪は特徴的よね。あ、いい意味よ?素敵に見えるっていうこと」
階段を降りた先で貴婦人は鼻で笑ったが、諭すように訂正した。
「ねえ、あなた誰のメイドなの?あとでお礼に伺わないといけないわ」
「わ、私は、その……ぬ、縫い子です」
「ああ、忘れていたわ。ごめんなさいね。あなた有名なのに」
一瞬で冷たくなった声と、鋭い視線。
貴婦人のまとう空気は一変し、ブランシュは眩暈がして頭が揺れた。
「仕立て屋ごっこは楽しい?」
「あ、も、も、申し訳ございません……」
ブランシュはどう答えたらいいのかわからず、ただ謝ることしかできなかい。
消えていくブランシュの声に、貴婦人の視線はさらに冷たくなる。
「まあ私はまだ招かれている立場だから何も言えないけど、ね?」
(私はまた人に不快な思いをさせているんだわ……)
タイミングよく第四王子の部屋の前に着くと、ブランシュはその場で膝と頭を床につけた。
依頼を受けたから来ましたなんて、とてもじゃないが言える雰囲気ではない。
とにかく目の前の貴婦人に謝罪を繰り返すことしかできないブランシュは、いつ来るかわからない痛みに体をこわばらせている。
「もういいわ。二度とその顔を私に見せないでちょうだい。それで許してあげるわ」
「か、寛大なお言葉に感謝いたします」
土下座したまま震える声でブランシュは感謝を述べると、貴婦人とメイドはくすくすと笑いながら第四王子の部屋に消えていった。
♢
廊下が静まり返っても、ブランシュはまだ頭を下げ続けていた。
再び足音が聞こえ始めると、ブランシュはちらりと顔を上げて廊下の端に移動し、再び頭を床につける。
「ブ、ブランシュかい?」
ブランシュは恐る恐る顔を上げると、赤毛の王子と目があった。その後ろには5人のヴァレットがいる。
「だ、第二王子殿下……ご、ごきげんよう」
慌てて頭を下げたブランシュを、ジュールは慌てて止める。
「そ、そんなことしないで!どうしてこんなところに?」
「殿下!?」
「ジュール様、おやめください」
ジュールがためらうことなくブランシュの前に膝をつくと、今度はブランシュとヴァレットたちが慌てた。
「ご、ごめん。でも、ブ、ブランシュ、とりあえずここは危ないから僕の部屋に」
「そ、そんな、あの、その……」
「でも、ここにいるのもちょっと……」
ジュールはここが誰の部屋の近くか、その部屋の人がどんな人なのかをよく知っている。
その人がブランシュをどう思うかもわかっていた。
「その、い、一瞬だけでもいいから来てもらえないか?」
ブランシュはジュールがあまりにも必死なので、ここに自分がいることでジュールにとてつもない迷惑をかけているのだと思った。
(私がいてもいなくても迷惑をかけているうえに、殿下のお願いを断ろうとするなんて……)
ブランシュがゆっくり立ち上がると、ジュールはほっと胸をなでおろした。
ダヴィドやイヴァンのように手を引く勇気がないジュールは、何度も手招きをしながら自分の部屋に案内した。
♢
「も、もう1度聞くけど、どうしてあんなところにいたんだい?」
「えっと、その、貴婦人をご案内して……わ、私の身分で大変申し訳ございません……」
「まさか自分の部屋の近くで会ったのかい!?」
王族と使用人の部屋は離れている。
ジュールは王子の部屋に用があるような人物が、そんなところに行くと思えなかった。
「い、いえ、あの、イ、イヴァン様の部屋の近くで……」
人見知りのブランシュはジュールに引っ張られるように緊張し、何度も手汗をエプロンで拭った。
「そ、そんなところで?」
ジュールが驚いたのは、ブランシュがイヴァンの部屋の近くにいたからではない。
嫡出子の部屋の付近に、用もないだろう貴婦人が訪れていたからである。
「何かされなかったかい?傷は?だ、誰か包帯を」
ジュールがヴァレットに声を掛けると、ブランシュは慌てて止めた。ヴァレットたちも、たかが縫い子に包帯を用意する気はなかった。
「だ、大丈夫です!ただ、その、大変不快な思いをさせてしまって……罰を与えてください」
ジュールはブランシュが背中を向けると、人生で初めての事態に固まってしまった。
「あら、ブランシュ?」
「だ、第二王子妃殿下……」
第二王子妃のオノリーヌは、ジュールがなかなか自分の部屋に来ないので、心配して様子を見に来た。
ところが自分のハンカチを紡いでくれた恩人のブランシュがいたため、嬉しくて笑顔がこぼれた。
「久しぶりね!会いたかったわ。ジュール、どうして2人して固まっているの?」
「あ、えっと、たまたま会ったからお茶に誘おうかと思って」
「なんて素敵なの。私もご一緒していいかしら」
♢
(どうしてこんなことに……)
気づけば、ブランシュはジュールとオノリーヌと机を囲んでいた。
ソファーにはブランシュがパッチワークで作ったクッションも置かれている。
「それにしてもこの辺りにいたら危ないわ。ここだけの話、すぐそこの部屋の殿下は少し厳しい方なのよ。ジュールもそう思うでしょ?」
「えっと、まあ、あまりいい噂は聞かないかな。その、身分の低い人があまり好きじゃないみたいだから」
「婚約者の方もそうなのよ。私には優しくしてくれるしてくれるけど、私のメイドたちには厳しいのよね」
眉を八の字にするジュールと、自分のレディースメイドの顔を見るオノリーヌ。
ブランシュは返事をなどできるはずもなく、目の前に置かれた真っ黒なコーヒーを見つめることしかできない。
「く、暗い話はやめよう。ブランシュ、おいしいコーヒーだから飲んでみてくれ」
「それもそうね。誰かミルクを持ってきてくださる?」
ジュールが話を逸らしてくれたおかげで、ブランシュは息を吸うことができた。
しかし次の問題はコーヒーである。
「ブランシュもミルクいるかしら?」
「お、お、お願いします……」
すぐにオノリーヌのレディースメイドが、オノリーヌとブランシュのカップにミルクをそそぐ。
ブランシュはオノリーヌを真似て口にしたが、砂糖の入っていないコーヒーに我慢できず顔をしかめた。
ジュールとオノリーヌは微笑んでいる。
「誰か砂糖も持ってきてくれ。あとあればチョコレートも」
「かしこまりました」
ジュールはヴァレットに声をかけてから、真っ黒なコーヒーを一口飲む。
(イヴァン様も第二王子殿下もコーヒーを召し上がってる……私、どうしたら飲めるようになるんだろう)
ブランシュはこれ以上人に迷惑をかけないように、コーヒーをなんとか飲めるようにならなければと一生懸命考えてみたが、いくらコーヒーを見つめても答えは出ない。
「ブランシュ、チョコレートは好きだよね?」
しかめた顔でブランシュが静かに唸り始めると、ジュールはくすりと笑ってチョコレートを差し出した。
「も、申し訳ございません!」
恥ずかしくなって声をうわずらせたブランシュに、ジュールはゆっくりと目を細める。
「第三王子殿下はチョコレートがお好きだから、ブランシュも好きかと思ったんだ」
(……知らなかった。イヴァン様のことをきちんと覚えないと)
2人はブランシュにたくさんのお菓子を用意し、ブランシュの裁縫技術をほめちぎり、ブランシュは真っ赤な顔でうつむき続けるのだった。




