77.表と裏
ブランシュの1日はとても忙しくなった。
朝一でボビンレースの練習をして、お昼前に裁縫教室の講師を務める。
午後一番でブローチ作りを習い、そのあとは再び裁縫教室の講師である。
縫い子としての仕事もあるため、合間時間には貴族用の羽織を編まなくてはいけない。
ところがブランシュは、時間に追われる生活を懐かしみ、嫌な顔1つせず一生懸命仕事に取り組んだのだ。
ようやくブランケットが完成したこの日、ブランシュはへたっぴなスキップをしながら階段を上っていた。
「楽しそうだな」
「イ、イヴァン様……ごきげんよう」
「ごきげんよう、鍵を開けろ」
「は、はい」
(どうしてイヴァン様もダヴィド様も鍵を持っているのに、私を待っているんだろう)
ブランシュが不思議に思いながら鍵を開けると、イヴァンはズカズカと部屋に入り、手に持っていたかごを机の上に置いた。
「ブランケットについて見解を聞きたい。なぜ一部分だけ破かれていたと思う?」
ブランシュもあれからずっと考えていた。
規則性も法則性も無いように見えた、とびとびに破かれたマス。ブランケットをまるごとはさみで切るわけでもなく、一部分だけを狙ったような痕跡。
「何か考えがあるなら言ってみろ」
「あ、あれは……ほ、他の布を傷つけないよう、き、気をつけて切られたように見えました」
「なぜそう思う」
「ぶ、無事だった布のマスは、少しも切られていませんでした。それに、その、裏地にもまったく穴が空いてなかったので……えっと、とても丁寧に……」
普通なら恨みであっても、嫌がらせであっても、乱雑に扱えば隣の布も傷つけてしまう。
しかし驚くほど正確に傷つけられた布は、決まったマスからはみ出ることなく破かれていたのだ。
「確かにこの青い布は無事だが、黄色の布は悲惨だな。何の意味があってこんなにめんどくさいことを」
イヴァンが黄色の布を持ち上げるとブランシュの目じりが下がる。イヴァンがそれを見逃すはずもない。
「お前、この2つの違いがわかるのか?」
「……そ、その」
「言ってみろ」
「き、黄色の布は第一王子妃殿下の……それで、あ、青い布はダヴィド様の……なので」
1枚1枚思い出を聞きながら作ったブランシュだからこそ、その布に込められた思いを理解していた。
ブランシュは破かれたブランケットを解きながら、手元に残った無事な布のほとんどが、ダヴィドの物であることに気がついていた。
狙われたのが誰なのか、イヴァンはこの瞬間に理解した。
だが、どの布が女性物なのかを判断でき、1マスずつ丁寧に時間をかけることもできる人物に心当たりがない。
「ここから先は俺が調べる。お前は一刻も早くボビンレース編みをできるように練習しろ」
「お、仰せのままに」
イヴァンは自分自身でも、ルイーズについて調べていた。
タンゾワールとの繋がりについては当然のこと、王宮内での人付き合いについても細かく調査中だ。
現在わかっていることは、一時は距離のあった第二王子妃のオノリーヌと仲良くしているということだけ。
イヴァンが顎に手を当て考え込んだのは、わずかな時間。ブランシュは少し捲れた袖から細い傷跡を見てしまった。
以前見た引っかき傷と同じような長さで、同じ傷がブランシュの腕にもあった。
ブランシュは見てはいけないものを見てしまったと思い、慌てて顔を逸らす。
「まあいいだろう。ブランシュ、よく聞け」
イヴァンはふっと笑い、ブランシュの肩がびくりと跳ね、体が縮こまった。
(傷跡を見てしまったことがバレちゃった!?きっと見られたくなかったはずなのに……)
慌てたブランシュは申し訳なさと悲しみでうつむいたが、イヴァンは楽しそうに指をパチンと鳴らした。
「これからテストをする」
「……テスト、ですか?」
テストを知らないブランシュは、首を傾げながらイヴァンの顔を見る。
イヴァンはニヤニヤと笑いながら、机の上の紙を1枚手に取ると、ブランシュを椅子に座らせた。
「文字の勉強を始めて半年ほど経つ。赤ずきんも読めるようになったことだし、お前がどれほど成長したのかテストする」
「……テ、テストとは、な、何をするのですか?」
ブランシュはイヴァンと紙をチラチラと見る。イヴァンはブランシュにペンを握らせた。
(ど、どうしてイヴァン様は汚い私のことを触るんだろう……私、これから叱られるのかな……)
イヴァンは1度も折檻をしたことがないが、それはブランシュにとって関係ない。
震えるブランシュを見たイヴァンは、テストに怯えているのだと思いクスクスと笑う。
「今からお前には俺宛の手紙を書いてもらう。内容は問わない」
「……へ?」
「始めろ」
突然始まったテストに、ブランシュの手は雪のように冷たくなっていく。
初めてのテストで失敗したらイヴァンの顔に泥を塗ってしまうと思い、ブランシュの頭は真っ白になった。
「おい、まだか?」
「い、今すぐ、あの……」
「あと5分でなんとかしろ」
(そもそもお手紙って何を書けばいいのかな)
人生で初めてのテスト。人生で初めて書く手紙。
ブランシュは自分が書くことのできる文字を全て使って、イヴァンへの感謝をつづった。
「ほう」
手紙を受け取ったイヴァンは、ベッドに勢いよく腰掛けると、まじまじと手紙を見つめる。
そしてたった3行の感謝の言葉を、何度も目で追った。
「ブランシュ、合格だ」
「ほ、本当ですか!?」
ブランシュは胸を撫で下ろした。
なぜ合格したのかはよくわからなかったが、イヴァンを傷つけなかったことに安堵した。
だが、イヴァンが胸元から取り出した細長い包みを渡すと、ブランシュは再び首を傾げる。
「こ、これは……?」
「テストに合格した褒美だ。開けてみろ」
イヴァンは手紙を4つ折りにして胸ポケットにしまい、ブランシュは恐る恐る包みを開けた。
「う、受け取れません!」
中から出て来たのは、ガラスのペンだった。
これがどんなに高価なものなのか、ブランシュはもう知っている。
「なんだ、嬉しくないのか?」
イヴァンは母親である王妃から、交易品などの大量の物をもらって育った。特に勉学や剣術の上達を聞くと、王妃は褒美として高価なものを渡したのだ。
理由は、正妻である王妃は忙しかったらである。
唯一きちんと時間を取ってもらえるのは、会食の時だけ。だが、そこは親子の時間を過ごす場でなく、政治的勉強の時間であった。
そんな幼少期を過ごしたイヴァンには、物を贈っても喜ばないブランシュの気持ちが全く理解できなかった。
イヴァンの側にいる上級使用人であるヴァレットですら、物を貰うと光栄だと喜ぶものである。
「わ、私は、いただける身分じゃありません……これ以上、こんなに素敵なものを……」
ブランシュは嬉しくないわけではなかったが、罪悪感がはるかにそれを超えた。
「もう奴隷じゃないと言っているだろ。それなら質問を変える。お前はこのペンに価値があると思うか?」
「も、もちろんです……」
「テストに合格して、俺がそれを受け取れと言っているのだが?」
「ほ、本当に……よろしいのでしょうか」
自信なさげなブランシュに、イヴァンはガラスが割れないよう優しく手を包んで握らせた。
ブランシュは申し訳なさそうに受け取ったが、優しい目でペンを見つめると、思わず口角のふちが少し上がる。
「ガラスのペンを持ち歩くのは大変だろうから、部屋で使うといい。わかったか?」
「は、はい。ありがとうございます!」
ブランシュの笑顔を見たイヴァンは、顔を隠すようにして部屋を出た。
「ダルク、庶民は物をもらっても嬉しくないのか?」
「いえ。それはブランシュだからではないでしょうか?」
イヴァンは、階段下で待機していたダルクを連れて、自分の部屋へと歩き始めた。
「これだけ王族の間で生活していても褒美を喜ばない奴なんて、他にいないだろ」
「ブランシュは……庶民ではありませんでしたから」
イヴァンはダルクの言葉に眉をひそめながらも、一理あることを否定できなかった。
「ブランシュの故郷の価値観だとしたら?」
「否定はできません」
「なら調べろ」
「仰せのままに」
イヴァンは部屋に戻るとソファーに項垂れたが、ニヤニヤと胸元から出した手紙を見た。
ダルクはそれが何か知らなかったが、おおよそ検討がついていたので、黙って見なかったことにした。




