76.新しい裁縫生活
ブランシュは寝間着に着替えると、いつものように日記を開いた。
(ボビンレース……手が不思議な感じだったなあ)
かぎ針編みとも、棒針編みとも違う。
紐の端を固定して編むミサンガや、髪を結ぶことにも似ているが、ボビンを1つ動かすたびに手に響く木の感覚は、ブランシュを不思議な気持ちにさせた。
ブランシュは手に残った木の触感を確かめるように、手を握ったり開いてみたり。
それからようやくペンを握ると、日記の端にボビンの絵を描いた。
ベラに見せてもらった美しいハンカチのレースを、ブランシュは忘れることができなかった。
手編みのレースよりもはるかに薄く、細かいレースの美しさはブランシュの胸に奥まで響いた。
編み図はとても複雑で、ピンを刺したり抜いたりしなければならずとても難しいものだったが、文字がない分ブランシュにはわかりやすかった。
アンに編み図を習い、図というものに少し慣れてきたブランシュはアンよりも早く編むことができた。
(こんなに贅沢で幸せなことばかりさせていただいて、いつになったら罰が与えられるのかな)
奴隷への罰に法則性はない。仕事を失敗した時は当然だが、きちんと仕事をしても罰がやってくる。
ブランシュは幸せを感じるたびに、大きな不安に襲われて仕方がないのだ。
ブランシュは小さなため息をつくと、引き出しからブローチの入った缶を取り出す。
ボビンとは違って、高価なブローチの絵を描くことはできなかった。
そもそもブランシュが知っている奴隷の中で、アクセサリーを触れることができた人物は祖母1人だけである。
祖母は伯爵夫人のお気に入りで、裁縫ばかりしていた。結果、ブランシュも裁縫をたくさん教えてもらうことができたのである。
もちろん他の奴隷も裁縫をさせられていたが、ブランシュと異なり耐えている状態でしかなかった。
ブランシュは伯爵家で裁縫をした夜は、祖母に必ず正座をさせられ、何度も同じ言葉を言い聞かされた。
「ディディ、裁縫は何よりも伯爵家に貢献できるのだから、どんなことがあっても絶対に覚えないといけないよ。他の家に貸し出された時、できないと伯爵様の顔に泥を塗ることになるからね」
ブランシュは祖母の言葉を素直に受け取り、どんな仕事も一生懸命こなしたが、裁縫は人一倍折檻を受けながら練習した。
(そういえば、どうしておばあちゃんは私のことをディディって呼んでたんだろう)
ブランシュはダヴィドが鍵をつけた引き出しに日記とブローチをしまったが、ふとした疑問は解決しないままだった。
♢
一方ブランシュが日記を書いている頃、呼び出されたイヴァンはダヴィドの部屋にいた。
「僕がいない間のできごとはわかった。で、君の用件は何かな?」
イヴァンの不満そうな顔を見て、ダヴィドはからかうように笑う。
イヴァンはダヴィドの机に座り、足まで組むとため息をついた。
「エヴィノールへの派遣許可が欲しい。だから……次の王族会議の議題に挙げろ」
チラリとも自分を見ないイヴァンに、ダヴィドは声を上げて笑う。
イヴァンは机から降りると、腕を組んでもう1度ため息をついた。
「嫌なら別にいい」
「いや、僕はそういう君が見たかったんだ」
「は?」
「何かを頑張ることはいいことだ、って思っただけだよ」
イヴァンが、どうしてここまでエヴィノールに執着しているのかを、ダヴィドはわかっていた。いや、ダヴィドじゃなくてもわかるだろう。
「お前、来月またセーランティプに行くんだろ?リゼットがクレマン王子に会えるって、自慢してきたぞ」
「まあね。同じ頃にベラ王女も再びエヴィノールに行くみたいだし、また君ひとりになるね」
「なぜエヴィノールに行かない?」
「ジュール王子が同行するからね。必然的に僕はリゼットに」
駄々をこねる子どものような話し方に、ダヴィドはこれ以上笑わないよう我慢した。
「そこでだ。俺はここを離れるわけにはいかないから、代わりに騎士団の護衛に俺のヴァレットも混ぜる」
「ああ、良いと思うよ」
騎士団の指揮官をしているイヴァンは、自分の権威を最大限に使うことした。ヴァレット5人をエヴィノールに王都で聞き込みをさせようと考えていたからだ。
第四王女のベラを守るという名目の他、エヴィノールの情勢調査といったところである。
「この国のためにもなるし、君にもメリットがあるからね。許可するよ」
ダヴィドはとうとう我慢できなくなり、大きな声を上げて笑った。
イヴァンはダヴィドを睨んだが、何も言わなかった。
♢
休みという名のついた1日を過ごしたブランシュは、翌日新たな試練が訪れた。
「ブランシュ、ジャネット。こちらにいらっしゃい」
アンに部屋の隅の机に呼び出された2人は、何かしてしまったのではないかとびくびくしながら机の前に立つ。
「ジャネット、あなたブローチ作り得意よね。それをブランシュに教えてあげなさい」
「わ、私ですか!?」
(ブローチ!?)
アンは、ベラが王族や貴族にブローチをお土産で買ってきたと耳にした。
そこに3つの組をまとめる縫い子長のアンテナが反応したのだ。
「私よりあなたの方が上手でしょう?ぜひブランシュに作り方を教えてあげてもらえないかしら」
ブランシュは新しくボビンレースを触らせてもらっているのに、ブローチ作りまで教えてもらる幸せに、今にも押しつぶされそうだった。
手が震え出したブランシュを横に、褒められたジャネットは腕を組んだブランシュの目を見た。
「対価を払うなら教えてあげないこともないですけど」
「……あ、ありがとうございます!」
ジャネットの言葉に、祖母の「裁縫は貢献できる」という言葉を思い出したブランシュは、頭を下げた。
「ジャネット。追加報酬は王宮から支払われると決まっていますから、安心なさい」
ジャネットは不満げにため息をつき、ブランシュも落胆のため息をついたが、アンは黙って準備を進める。
アンが用意したのはガラスのビーズと、土台となるフェルト。ジャネットも渋々紙とペンを用意し、図案の描き方を説明をした。
「この縁を揃えるのがポイント。わかった?」
「はい、あ、ありがとうございます」
ブランシュは素直にアドバイスを、紙の端に書いた。ジャネットとアンが苦い顔をするぐらいには崩れているが、なんとか読める字である。
「アンさんはいるか?第四王子殿下のことでご相談が……って、白い縫い子は何をしてるんですか?」
バカにするように入って来た2人の仕立て屋は、ブランシュの文字を指で叩き笑った。
「これでよく王女様方のドレスを作ってるよな」
「君もそう思うだろ?」
仕立て屋が紙を取り上げると、ジャネットに同意を求めるように紙を振る。
これにはジャネットもムッとした。
教えている自分がバカにされてると思ったからだ。
「あれって嫉妬?」
「アン様の指示なのにあんなこと言うなんて」
「ジャネットさんにも失礼よね」
マドレーヌたちは仕立て屋に聞こえるよう、わざとらしくチラチラと顔を見ながら声を上げる。
仕立て屋は気まずくなったのか、逃げるようにアンと部屋を出た。
「アンさん、あんたをバカにしたわけじゃ……」
「そう?ならいいわ」
ジャネットはブランシュに紙を渡すと、図案を描くようペンも渡した。
ブランシュはもう1度心の中で繰り返す。
(お裁縫で役に立とう……奴隷として)
♢
昼食後。
アンはブランシュと並び、ボビンレースを皆に説明した。
「これは第四王女殿下からいただいた、新しいレースを編むための道具です。大変高価な代物だということは、この場にいる誰もが理解できると思います」
ベラが持ち帰った説明書は、たったの3枚。アンとブランシュでも十分理解するには足りなかった。
「ブランシュすごいね!」
「これ見ていてもいいですか?」
アンは縫い子としての仕事を放棄するのはどうかと思ったが、このままでは皆が集中できないと思い、5分だけならと見学を許可した。
ブランシュがボビンを1つ動かすと、カランという音とともに静まり返る縫製室。
皆の輝く視線にブランシュは手汗を何度も拭きながら、読めるようになった「右」と「左」の文字を見ながら、カランコロンと1mmを編んでいく。
アンも時折ブランシュを見ながら、1つずつ丁寧にボビンを交差させた。
「さ、5分経ちました。皆さん仕事に戻ってください」
アンが手を叩くと、縫い子たちは一斉に声を上げ跳ねるように仕事に戻っていった。
「すごかったね!」
「織り子ってあんな感じなのかな?」
「ブランシュもアン様もあやとりをしてるみたい」
ブランシュは人が捌けるとため息をつき、アンと共に再びレースを編み始めたのだった。




