72.第六王子と第七王子
昼食後、仕事に戻ってきた縫い子の前に現れたブランシュの手をマドレーヌは強く掴んだ。
他の縫い子目も目を見開き、裁縫箱が落ちる音もした。
新しい制服を着ているので腕の傷は見えないが、手のひらの擦り傷は目立っている。
マドレーヌはそれに気がつき、慌てて手を離した。
何よりも目立つのは、顔のあざと傷である。
「中庭で騒ぎがあったのってブランシュ!?」
「その怪我、絶対大丈夫じゃないよ」
全て自分が悪いと思っているブランシュは、何も言うことができなかった。
カリーヌもマドレーヌに続いて詰め寄ったが、アメリが間に入った。
「ブランシュ、手当はしたの?」
「……はい」
「じゃあ今日は安静にしないとね。アイロンがけは重いし危ないから、編み物にしたら?」
アメリがブランシュの手をゆっくりと引いて椅子に座らせると、裁縫箱を落とした縫い子は散らばった道具を拾い始めた。
マドレーヌは黙って棚からブランシュの裁縫箱を取り、カリーヌは毛糸を5つ抱えて持ってきてブランシュに渡す。
「な、何……」
部屋に入ってきた空組の縫い子長のジャネットもさすがに驚いたが、ブランシュから顔を背けるようにして椅子に座った。
誰もそれ以上ブランシュの怪我に触れることはなかった。
ブランシュは黙って毛糸を手に取る。
(私のせいで皆様に気を遣わせてしまって……どうしたら責任を取れるのかな)
ブランシュはとにかく仕事をすることにして、いつも以上に手を素早く動かした。
「ブランシュってさ、面白いぐらいマフラー編むの早いよね」
「確かに。手織り機よりも絶対速いよ」
「ブランシュは織り子に会ったことある?」
織り子とは、布を作る職人のことである。
主にコットンは女性が作り、貴族が使うような柔らかい布は男性が作っている。
「お、お会いしたことは、あ、ありません」
「まあ織り子は忙しいもんね」
王宮にもたくさんの織り子がいるが、高級なシルクは1人の織り子が頑張っても、1日2m程しかできない。
常に高い品質の布が必要とされる王宮には、献上品や輸入品も大量にあるが、王宮で働くような技術者の布も大量に求められていた。
「じゃあ今度ダヴィド様に頼んで見せてもらいに行こうよ!」
マドレーヌはブランシュを傷つけたかもしれないと思い、アメリの言葉に乗って話を逸らすように大きな声を出した。
「俺でもいいのかな?」
突然の低く甘い声に皆が振り向くと、入口にイヴァンが立っていた。
皆は黄色い声をあげる。
「俺でよければ話をつけてやろう。ブランシュも見たいか?」
「本当ですか?」
声を上げたのはアメリ。
唾を飲み込んだブランシュの手をそっと握り、体を引き寄せる。
「ブランシュ、お前が希望するなら他の縫い子も連れて行ってやろう。もちろん希望する縫い子がいればだが」
ブランシュは申し訳なさから断りたかったが、目を輝かせる縫い子たちを見て、声をうわずらせながら返事をした。
「お、お願い、い、いたします……」
イヴァンは満足げに笑うと、他に何も言わず部屋を出て行った。
♢
誰1人ブランシュの怪我について聞くことはなかったが、噂というのはあっという間に広がるものである。
その日のうちに、縫い子以外の使用人も皆事情を知った。
それでもその話に触れることないまま時間が過ぎ、ブランシュの顔からあざが消えた頃。
タンナーの母親のタレンヌと、イヴァン、その他レディースメイドと、ダルクがブランシュの元を訪れた。
ブランシュは2人の後を歩き、ブランシュの後ろを囲むようにしてお付きの使用人が歩いて行く。
(ま、また中央の中庭……第六王子殿下?)
王族のための中庭に連れて来られたブランシュの目の前で、タンナーともう1人の男の子が雪合戦をしていた。
男の子は一瞬固まったが、すぐにその場でお辞儀をし、タンナーはブランシュに駆け寄る。
「第三王子殿下、母上、ごきげんよう」
「ごきげんよう、タンナー王子。調子はいかがかな?ブランシュに直接伝えてやってくれ」
「はい!ブランシュ、少しだけどちょっと良くなったよ。ありがとう」
「い、い、いえ!私は何も、えっと……」
もちろん乾燥や浸出液が治ったわけではないが、我慢できない痒みで搔きむしり、出血することはかなり減った。
ブランシュはタンナーの体が良くなったことはもちろん。
自分の怪我の件から、誤解されて罰を受けていなかったことに何よりもほっとした。
「赤子の頃から肌が弱かったけど、まさかこんなことになっているなんて、母親なのに少しも気がつかなかったわ。だから会いたくなかったの?」
「ご、ごめんなさい。その、みっともないと言われるのが怖くて」
タレンヌは、掻く姿はみっともないと注意して育てた。
タンナーは母親を失望させるのが怖かったのである。
「第三王子殿下、お礼に何か褒美を用意するわ」
「いえ、こちらで用意するので大丈夫ですよ」
ブランシュは断ろうとしたが、先に返事をしたイヴァンに思わず顔を上げた。
イヴァンはニヤリと笑った。
♢
「も、も、申し訳ございません!」
ブランシュはイヴァンの部屋につくなり、机の上に置いてあったコーヒーに気がつかず、落とさなかったもののイヴァンの袖を汚してしまった。
「捲ればいいだろ」
イヴァンはブランシュの前に手を出し、頭が下げさせなかった。
そしてブランシュが動揺している間に、左の袖を3つ折る。
(あの傷って……)
うつむいていたブランシュは、イヴァンの左手の内側に細い傷が目に入った。
驚いて顔を上げると、イヴァンの目が合う。
「王子だって痒くなると、お前はもう知ってるだろ」
横向きに伸びた細い線。それは見てはいけないものだった。
イヴァンはブランシュを見てため息をつく。
「謝るなら褒美のアップルパイを食え。そろそろダルクが持ってくるはずだ。俺は着替えてくる」
イヴァンが寝室に向かうちょうどそのタイミングで、ダルクが大きなアップルパイと、1枚の手紙を持って部屋に入ってきた。
「ブランシュ、こちらを」
「わ、私ですか……?」
ブランシュは手紙を見たが、命令書ではない手紙はまだまだ難しく、結局イヴァンが読むことに。
「ダルク、2人を引き留めてこい。お茶をしようじゃないか」
♢
気づけば3人の王子に囲まれたブランシュ。
「第三王子殿下、この度はありがとうございます」
「僕まですみません」
目の前には、切り分けられたアップルパイとコーヒー。
謝りながらも目を輝かせているのは、タンナーと一緒にやってきた第七王子のルイである。
「ブランシュ、お前も見習って喜べ」
うつむいたままのブランシュと、イヴァンの言葉にハッとしたタンナー。
ルイは第七王子の自分と第三王子のイヴァンでは、同じアップルパイでも違ったように見え、食べたくて仕方ないからか周りが見えていない。
「あの、手紙は読んでいただけましたでしょうか?」
コーヒー片手に太ももを掻くタンナーは、ブランシュとイヴァンの顔を交互に見る。
「まだきちんとは読んでいないので、タンナー王子。申し訳ないが声に出して読んでくれないか?」
「はい」
手紙の内容は、第一王子の許可が取れたらアクセサリーを贈ってもいいかというものだった。
タレンヌは、宝石が有名な国出身。
ルイの母親は、銀が有名な西側の領主の娘。
「ブランシュ、受け取るか?」
「い、い、いえ!私のような身分の者が受け取ることは、で、できません!」
「だそうだ」
タンナーとルイは、意味がわからなかった。一般的に女性は、アクセサリーを喜ぶものだからだ。
「気にするな。それよりタンナー王子、雪遊び後の具合はいかがですか?」
「おかげさまでいい感じです」
「明後日は、母上と食事をするんでしょ?」
タンナーとルイは楽しそうなイヴァンを前に、子どもとしての一面がどうしても出てしまう。なにせルイはまだ8歳だ。
ブランシュは3人の王子が楽しそうにしていることに安堵しながら、場違いな自分の存在に申し訳なさを感じ、首をすくめて縮こまっている。
「タンナー王子とルイ王子は、ずいぶん仲が良いですね」
「はい。第一王子殿下と第三王子殿下のようになりたいです」
イヴァンはルイの返事に顔をしかめそうになったが、子どもの前だと思いなんとか踏みとどまった。
「僕たちは一緒に勉強してるので」
「ブランシュも勉強してるな?」
タンナーはルイが非礼だったと思いカバーしたところ、イヴァンはブランシュにとっての爆弾を落とす。
ブランシュは慌ててイヴァンを見ると、そのまま勢いよく下を向いた。
そんなブランシュの様子を見たタンナーとルイは、複雑な顔をした。
「なんだ?不満か?」
「いえ、その……」
タンナーは腕をさすりながら、ルイの顔を見る。
「元奴隷だと聞いて……」
「ほう、奴隷は嫌いか?」
イヴァンの顔は笑っていたが、声が1つ低くなる。
しかしタンナーはブランシュを見ると、困ったように笑った。
「こんなにいい人なのに……って」
「奴隷ってそもそも必要」
「ルイ!ここでそういうことはダメだよ。第三王子殿下、大変失礼いたしました」
イヴァンは2人の反応を見て、腕を組んで椅子に寄りかかると、ニヤリと笑って頷いた。
第13章完結
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