71.第三王女の宝石
ブランシュはタンナーの笑顔を見て安心したが、同時に仕立て屋と思われたことに罪悪感を感じていた。
「あら?」
下を向いて歩いていたせいなのか、罪悪感で頭がいっぱいだったからかはわからない。
縫製室に向かう途中、中央の中庭の近くの廊下を通ったブランシュは、第三王女のヴァランティーヌと鉢合わせた。
ブランシュが不運だったのは、角から突然出てきたヴァランティーヌに気づくのが遅れたことである。
その結果、土下座が間に合わなかった。
ブランシュは目が合うより先に頭を下げたが、下げると同時にヴァランティーヌはブランシュの顔を叩いた。
いや、殴ったに近かった。
「あなたのドレスが私のパーティーを台無しにしたの。わかっているのかしら?」
ヴァランティーヌの優しく諭すような声と、体が芯から震えるような鋭い視線。
ブランシュは痛んだ顔を押さえることなく、流れるように土下座をした。
周囲を歩いていた使用人も、一瞬で1人も動くことができなくなり固まった。
「責任をとって私の縫い子になるべきだった。そう思うでしょう?」
(第三王女殿下のパーティーを台無しに……専属の縫い子にはなれない私は、どうしたら……)
ブランシュは第三王女のパーティーには、全く関わっていない。
なぜなら、仕立て屋だけで仕上げた正装での参加が必須だったからだ。
「どうやって責任を取るのか考えているのね。さすが奴隷だわ。涙が出そうなぐらい感心しちゃう」
ヴァランティーヌは従順で自分の身分をわかっているブランシュを、愛おしいほどに心の底から嫌っていた。
それはこの場に居合わせてしまった使用人たちも理解しただろう。
「顔を上げてちょうだい」
ブランシュはゆっくりと、ヴァランティーヌの足から顔に向かってまっすぐと顔を上げた。
風の音だけが聞こえていた廊下に、再び1つ痛い音が鳴る。
「いつか私のためにもドレスを作ってちょうだいね」
ヴァランティーヌはそう言うと、にっこりと手を振りながら振り返ることなく歩いて行く。
「立ちなさい」
ブランシュに声をかけたのは、以前毛虫を持ち込んだレディースメイド。
ヴァランティーヌ同様に優しい声で、ブランシュに手を差し出した。
ブランシュは手を取るか悩んだ末に、エプロンをぎゅっと握り自分の力だけで立ち上がった。
「あらあら。私の優しさをあなたは無下にするのね」
レディースメイドは微笑むと、宙に浮いていた手でブランシュの制服を掴み、勢いよく引っ張った。
投げ飛ばされるようにして転んだブランシュは、すぐにその場で土下座し直し、王女一行が去るのを静かに待ち続けた。
♢
土下座していた時間は1分にも満たない。
ブランシュはその短い時間の中で、なぜか突然祖母のことを思い出した。
タンゾワール国来訪以来、皆が家族というものについて聞いてくるからかもしれない。
物心つく頃に親族が誰もいない。奴隷にはよくあることである。
祖母と同じ家に仕え共に過ごすことができたのは、ブランシュにとって幸運だった。
だが、それは祖母が優しかったからではない。
ブランシュをことあるごとに叩き、本気で鞭を打つような人だったが、大切なことを教えてくれたからだ。
祖母が教えた、奴隷として生きるために必要なことは3つ。
お辞儀と頭を下げることの違いを理解すること。
綺麗な土下座を素早くどこでもできるようになること。
罰を自らから欲すること。
ブランシュは今起きたことを、辛いとは思っていなかった。
むしろほっとしていた。
(第三王女殿下に非礼なことをしてしまったけど、きちんと罰を与えてもらえて。そもそも仕立て屋の真似ごとをしている私が悪いのに、専属の縫い子になれないからと心の中で言い訳をするなんて……)
ヴァランティーヌの行動は、社会的にも間違っていない。
王族は何をしても許されるし、奴隷は何をされても仕方ない。
本来歩むはずだった自分の人生に引き戻されたブランシュにとって、白いリボンこそがまやかしである。
もしも明日目が覚めた時、伯爵家に戻っていたとしても、この王宮で黒いリボンをつけた生活に戻っていたとしても、ブランシュはかまわなかった。
♢
第三王女一行が去ると、逃げるように使用人たちは消えていった。
残ったのは、そのすべてを見ていたイヴァンのヴァレットだけである。
ヴァレットは悩んだ末に、ブランシュの前に立った。
顔を上げようとしたブランシュは、目の前に現れた革の靴を見て、さらに頭を下げる。
「……立て」
このヴァレットは、過去に奴隷を蹴ったことがあるとイヴァンに答えたことがある人物である。
今も第三王女の行動は正しいと思っているし、奴隷は蹴っていいと考えている。
だが、イヴァンが目の前の奴隷上がり縫い子を大切にしていることもわかっている。
放っておいてもよかったが、主人のことだけを思って声をかけたのだ。
「立てと言っている」
ブランシュはまっすぐ顔を上げた。
ヴァレットと目が合うとブランシュは静かに立ち上がり、その後ろをついて行った。
ヴァランティーヌを怒らせたから罰が待っている。
そう思ったブランシュは、それがイヴァンのヴァレットだと気がついていなかった。
♢
「おい……何があった」
イヴァンの低い声に、ブランシュの方は震えなかったが、手足は冬の川のように冷たかった。
「……こ、転びました」
「嘘をつくな。顔から転ぶやつがどこにいる」
右の頬のひっかき傷は、宝石を留める爪と呼ばれる部分が当たり、えぐれているようにも見える。
左の頬と目の境目には、上質で硬い宝石が骨にあたったのか、紫色のあざができていた。
ブランシュは何も言えず、唾を飲み込んだ。
「ダルク、新しい制服を持ってブランシュの部屋に来い。こんな汚れた制服で仕事はできないだろ」
「かしこまりました」
イヴァンはブランシュの手を引き、部屋を出た。
(私は何着制服をダメにしたんだろう……髪飾り、買わない方がよかったのかもしれない)
毎晩部屋で眺めていたジュリエットとお揃いの髪飾り。
買わなければエプロン代ぐらいは返済できたかもしれないと思うと、ブランシュは泣きそうなぐらい心が痛くなった。
「お前、1度寝間着に着替えろ」
「……かしこまりました」
素直に着替えたブランシュがドアを開けると、待っていたイヴァンだけではなく、制服や包帯を持ってきたダルクまで目を見開いた。
「ち、血がついてしまって、も、申し訳ございません」
「お前いい加減にしろ。早く椅子に座れ」
ダルクは畳まれた制服を広げ、左腕部分の裂けているところを、黙ってイヴァンに見せる。
「タンナー王子が関係しているのか?」
ダヴィドからチラリと聞いただけで、イヴァンはブランシュがなぜ部屋に通っているのかは知らなかった。
あの幼い王子がここまでするとは思えなかったが、それ以外に原因が浮かばない。
ブランシュは声をうわずらせた。
「ち、違います!第六王子殿下は関係なくて、わ、私が勝手に転んで、その」
「わかった。もういい」
イヴァンとダルクは手当を終えると、新しい制服を置いてブランシュの部屋を出て行った。
(第六王子殿下が、私のせいで罰せられたらどうしよう……)
♢
ダヴィドはリゼットと、クレマン王子の元へ行ってしまった。
残されたイヴァンは、ブランシュを連れてきたヴァレットに、深呼吸をしてから質問する。
「誰がやったか、ブランシュを連れて来たということは見ていたよな?」
「はい」
イヴァンはこのヴァレットが、下級身分の者をどう思っているのかを知っている。
知っているから、もう1度深呼吸した。
「あれを誰がやった?」
「……第三王女殿下です」
イヴァンは大きなため息と共に、ソファーにうなだれ、追及するのをやめた。




