70.シルクの靴下
ブランシュは王都から戻ると制服に着替え、再びダヴィドにもらった謁見許可書を持ってタンナーの部屋へ向かった。
今回はすんなりと部屋に入れてくれたが、やはり隣の部屋からは出てこない。
「また君……何の用ですか?」
「あ、あの……」
ブランシュはタンナー本人が目に入らないとはいえ、昨日より増えた6人のヴァレットに見つめられ、声がうわずった。
それでも手汗をエプロンで拭いて息を吸った。
「く、靴下は、その、シ、シルクの物を使用されていますか?」
「当たり前です!」
大きな声で返事をしたのは、タンナーでなくドアを開けてくれたヴァレットだった。
「王子であるタンナー様が、シルクの靴下を履くかなど、当然の話を聞くなんて信じられません」
ヴァレットたちは顔を見合わせ、心の底から意味がわからないと眉間にしわを寄せた。
「ぼ、僕はとても上質な靴下を履いている。それが何?」
「も、もし、その、よろしければ……コットンの靴下を……履いてくださりませんか?」
ブランシュの消えていく声に、ヴァレットたちはざわめいた。
タンナーも、これには声を上げる。
「ど、どうして僕がコットンを履くんだ!あ、いや、コットンをバカにしているわけじゃないけど……」
王子である前に、タンナーは10歳の男の子である。
敬語が崩れ、体も揺れたのか、ヴァレットの足の隙間から茶色い髪がチラリと見えた。
「た、例えば、その3日間だけでもいいので……も、申し訳ございません……」
ブランシュからタンナーが見えないように、タンナーからもブランシュは見えない。
だが、ブランシュが困っているということは、タンナーにも伝わっていた。
「……今日帰ってください」
「し、し、失礼いたしました」
ブランシュが部屋を出て行ったことを確認したタンナーは、顔をしかめながら靴下を脱いだ。
♢
(……やっぱり第六王子殿下のことだよね)
タンナーの部屋を出たブランシュは、長い長い廊下の先に、見知った顔のヴァレットを見つけてしまった。
「ダヴィド様がお呼びです、ブランシュ」
チャトゥラは、相変わらずブランシュが後ろにつこうとしても、絶対に隣から離れない。
ブランシュはうつむきにうつむいて、自分の靴だけを見ながら必死に歩く。
「昨日は王都へ出かけたそうですね。何か買いましたか?」
ブランシュは、なぜ自分が王都に行ったことがバレたのかわからず、心臓がバクバクした。
(そういえば、どうして私が休んでないってことが、いつもバレてるんだろう)
ブランシュが王都に出かけたかどうかは、馬車の記録を見れば一目瞭然だった。
ところが、ブランシュはいつも誰かに連れられて行かれる。
馬車を運転する御者に、ジュリエットやマドレーヌたちが、何か話しているのは知っていたが、それが手続きだったということは知らなかった。
「あ、え、その、髪飾りを……も、申し訳ございません」
「なぜ謝るのですか?今度その髪飾りをつけて、イヴァン様の前に行かれたら喜ばれると思いますよ」
ブランシュは、どうしてイヴァンの名前が出てきたのかわからず首を傾げる。
そうこうしている間に、ダヴィドの部屋に到着した。
「失礼いたします」
チャトゥラはドアを開けると、ドアを押さえて立ち止まる。
「ブランシュ、どうぞお入りください」
ダヴィドの影に隠れているが、紳士なチャトゥラは女性から声をかけられることも多く、その人気は男性にも高い。
そんなことを知らないブランシュは、チャトゥラの優しさから逃げるように、部屋の中に入った。
「し、し、失礼いたします」
ブランシュは申し訳なさそうに、いつもよりさらに離れたところで立ち止まった。
なぜなら、ダヴィドが書類の山の中にいたからだ。
「タンナー王子の様子はどうだったかい?」
「え、えっと、お、お部屋に入れていただいて……。それで、その、3日後にもう1度伺おうと思います」
ブランシュは王都帰宅後、ダヴィドに何も伝えず、ただもう1度許可書が欲しいと頼んだ。
快く了承したダヴィドは、ブランシュに何かしらの考えがあることはわかっていたが、それが何かはわからなかった。
「無理しなくていいからね。これは本来、縫い子の仕事じゃないからさ」
ダヴィドが書いたのは謁見の許可であって、命令ではない。
これは、10歳の男の子を傷つけたくないという思いと、ブランシュへの気遣いだった。
(私がもっと役に立てれば、ダヴィド様を困らせなくて済むのに……)
ブランシュが小さくなっていくと、ダヴィドは小さな笑いをこぼした。
「あ、そうそう。伝えるのを忘れていたけど、明日からリゼットとクレマン王子の元へ行くことになってるんだ」
(確か……リゼット様の婚約者の方?)
「2週間ほどで帰って来るんだけど、書類が……」
ダヴィドはため息混じりに笑う。
今まで第一王子が暇だと思ったことは1度もなかったが、いざ目の前にするとなぜか申し訳ない気持ちになった。
「僕が留守の間は不本意だけど、イヴァンを頼るように。いいかい?」
「は、はい……」
♢
「ブランシュ、第六王子殿下がお呼びです」
アンの声に、皆が一斉に入り口を見つめる。
タンナーの部屋を訪れてから3日後の朝。
ブランシュが部屋へ向かう前に、タンナーのヴァレットがブランシュを迎えに来た。
ヴァレットは、振り返ることなくスタスタと歩いていく。
ブランシュは呼び出されたことに心臓がバクバクしたが、追いかけることで気持ちを紛らわせることができた。
「で、殿下!?た、大変申し訳ございません!」
ブランシュが部屋へ入ると、タンナーはソファーに座っていた。
隣の部屋から出てきていると思っていなかったブランシュは、流れるように土下座した。
タンナーはくすりと笑う。
「どうして僕の悩みがわかったの?」
ブランシュはタンナーの一言で、何を聞かれているのかわかった。
しかし、それを口にしていいのかがわからず、顔を上げることができない。
「そ、その、噂で……えっと……そ、そういう方が周りに、い、いたことがありましたので……」
シルクで肌が荒れる人はほんのわずか。
コットンよりもシルクの方が、はるかに肌に優しいのは常識だ。
「どうしてコットンに変えたらよくなったの?」
「な、何か、た、食べられない物はありませんか?た、例えば、その、お肉とか……」
ブランシュは自分の質問が失礼だとわかっていたが、聞くしかなかった。
食べられないものを言うということは、それが原因で狙われるかもしれないということ。
タンナーが食べるものは他の人とは違うので、共に会食をする王族や貴族の一部は知っているが、この事実を知っている使用人はほとんどいない。
「よくわかったね。豚肉と牛肉が食べられないけど、それが何?」
「お、お肉を食べられないの中には、動物性の布に反応する人がいます」
こういった体質の人は少ない。
さらに、大半の人はシルクを着るような身分じゃないので、自分の体質に気がつかない人も多い。
「どうしてそんなことを知っているの?」
タンナーは何でも知っているブランシュに、興味津々である。
ブランシュの目の前にいるのは、10歳の男の子だ。
「た、たまたまそういう人が周りに……」
気まぐれで奴隷にシルクを見繕う貴族がいる。着せ替え人形のようにして遊ぶのだ。
そしてシルクでかぶれた奴隷を見て面白がっていた人を、ブランシュはたまたま知っていた。
「僕は生まれた時から肌が弱いんだけど。それもシルクのせい?」
「う、生まれつき肌が弱い方もいらっしゃいます。ただ、同じコットンやシルクでも、しゅ、出産地で肌触りが違うことも……」
「……硬い靴を履き始めたのは8歳から。関係あると思う?」
「な、ないとは言えないかと、お、思われます」
革靴は乾燥した足を蒸れさせ、傷口にあたり、皮膚が剥がれ、掻きむしると浸出液が出ることもある。
悪循環でしかないが、王族である以上服を変えられないのは仕方ない。
「肌着から作り直すよう仕立て屋に伝えといて。あと、部屋用のスリッパも」
「かしこまりました」
「君も作ってくれる?仕立て屋みたいな縫い子だって有名だよ」
パーティーで見た真っ白の髪とは違い、ベージュがほんのり残る髪に一瞬迷ったが、紛れもなく目の前にいるのは噂の人物。
ブランシュは1番気にしていることを突かれ、うつむきエプロンをぎゅっと握る。
タンナーは笑った。
「ペルルドゥシュの第五王女殿下のドレスを作ったのも、ブランシュでしょ?すごく素敵でした」
慌てるブランシュを見て、自分は王子だったと思い出したタンナーは、ブランシュをまっすぐ見つめる。
「僕の洋服は仕立て屋にお願いするけど、いつかハンカチに刺繍してくれる?」
「も、もちろんです」
耳が赤く染まったブランシュを見たタンナーは、部屋を出るブランシュに手を振って見送った。
♢
「いい人だったね」
「そうですね。でも、簡単に信用してはいけませんよ」
「わかってるよ」
タンナーはヴァレットに諭されながら、少しだけ痒みの落ち着いた足をさすったのだった。




