68.薄茶色の痒み
年が明け、使用人がぽつぽつと帰ってくる中、ブランシュはアメリに手を引かれて廊下を歩いていた。
「こ、ここですか?」
「机があった方が遊びやすいからね。それに」
「ブランシュ!」
ブランシュが連れて来られたのは、空組の縫製室。
縫い子が数人机を囲んでおり、その中には6番目に刺繍を入れたジーナや、星組のティナも座っていた。
「星組の子たちはチェスをしてたんだけど、私わかんないからこっちに来ちゃった」
チェスはトランプの嘘つき以上に、覚えることがたくさんある。
チェスができる者は、教養のある使用人だけなので、できる人が少ない。
「じゃあルールを説明するね」
赤に止まったら、質問に答えなければいけない。
黄色に止まったら、2つ下がる。
青に止まったら、2つ進む。
一番にゴールした人は、ビリの人に1つお願いができる。
(赤は罰を受けるじゃないんだ)
伯爵家でのすごろくは、夫人の暇つぶしに付き合うトランプとは違って、奴隷を罰するための貴族の遊びだった。
「じゃあ次はブランシュ」
ブランシュがさいころを転がすと、さっそく赤に止まった。
「じゃあ、私が質問するね!ブランシュって好きな人いる?」
声を上げたのはジーナ。
ブランシュは聞いたことがある質問に、首を傾げる。
「それは恋バナというものですか?」
(ダヴィド様と同じ質問だけど、まだイヴァン様に教えてもらってないからわからない……どうしよう)
「そうそう!ほら、王子様方といつも一緒にいるでしょ?」
「お、王子様方は私が奴隷なので、その……」
ブランシュはいまだに奴隷の務めで一緒にいるだけで、そこにある感情は感謝と申し訳なさだけ。
「じゃあ私たちは?」
アメリがニヤリと笑うと、ブランシュの耳が赤く染まる。
縫い子たちは顔を見合わせ、満足げに笑った。
♢
「ブランシュも一緒にお昼寝しない?」
「わ、私は大丈夫、です。あ、ありがとうございます」
昼食に連れていかれたブランシュは、トマトパンを食べて食堂を出た。
縫い子たちはお昼寝に誘ったが、ブランシュは幸せでお腹いっぱいだったため、お辞儀をして皆と別れた。
いや、別れようとした。
「ブランシュ、ダヴィド様がお呼びです」
ブランシュは体をビクリを震わせると、恐る恐る振り返る。
「皆さん、ブランシュをお借りしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。お昼寝をしないそうなので」
縫い子たちニヤニヤと笑い、小さく手を振ってブランシュを見送った。
チャトゥラもなぜか手を振り返し、ブランシュに笑いかける。
ブランシュは目をぎゅっとつぶってから、薄目でチャトゥラの顔を見る。
「さあ、行きましょう」
「……は、はい」
(どうして隣を歩くのかな……)
チャトゥラは唯一、ブランシュの前ではなく隣を歩く人物である。
ブランシュは首が痛くなるほど下を向きながら、歩幅を合わせてくれるチャトゥラから逃げるように、ちょこちょことダヴィドの部屋に向かった。
「失礼いたします。ブランシュ、どうぞ」
ようやく辿り着いたダヴィドの部屋に入ると、そこには見たことのない女性が座っていた。
「ブランシュ、待っていたよ。彼女は第六王子の母上であるタレンヌ様だ」
「初めまして。あなたにお願いがあって来たの。聞いてくれるかしら?」
タレンヌの悩みは、息子である第六王子のタンナーについてだった。
「とにかく私に会ってくれないの。第七王子殿下とは会っているのに」
ペルルドゥシュのパーティーでも、ほんの少し顔を合わせると逃げるように、第七王子の元へと行ってしまったらしい。
「タンナーの部屋には医者が通っているの。でも、守秘義務だと言って、どうしてなのか教えてもらえないのよ?私は母親なのに」
「僕もタンナー王子に、体が弱いイメージはないんだ」
ブランシュもパーティーで見かけたが、そういった印象はなかった。
「あなたなら失敗できないでしょう?だからお願いよ」
ダヴィドはタレンヌの言葉に、大きく咳ばらいをする。
「ブランシュ、君は何でも屋じゃない。もちろん無理にとは言わないが、よかったら会いに行くだけでもお願いできないかな」
「お、お、仰せのままに」
そもそも自分は奴隷で、仕立て屋の真似ごとをしていると悩んでいたブランシュは、タレンヌの言葉に安心した。
(これで罰を受けることになっても、本来の私に戻るだけだわ)
「ではよろしくお願いしますね。失礼いたします」
タレンヌが部屋を出て行くと、ダヴィドはブランシュに椅子へ座るよう声をかけた。
「タレンヌ様の言うことは気にしなくていいからね。とりあえずタンナー王子の件は、さっそく明日行けるように手配するよ。それで……ぬいぐるみはまだかな?」
「ぬ、ぬいぐるみですか?その……ご、ご子息のぬいぐるみはペルルドゥシュの時に、その……」
次々とやってくる問題に、ブランシュは冷や汗をかいた。
だが、悪いのはブランシュではない。
「イヴァンに依頼書を渡したんだけど。実は……年が明ける前に」
「も、も、申し訳ございません!」
ブランシュは真っ青な顔で、膝をついた。
ダヴィドは動揺することなく、ブランシュの前にしゃがみこむ。
「依頼はジェラールと同じパッチワークのぬいぐるみを、僕とルイーズの分もお願いしたいんだ」
「も、もちろんすぐに!」
ブランシュは端切れの入った箱を受け取ると、急いで自分の部屋に戻って行った。
♢
一晩寝ずに作った2つのぬいぐるみを、翌朝の朝食前にダヴィドの元へ持ってきたブランシュ。
「し、失礼いたします」
「おはようございます。もう少しここでお待ちいただけますか?」
チャトゥラではないヴァレットにガチガチなブランシュは、返事をを絞り出そうとした。
ところが、その前に部屋の奥から返事が聞こえるた。
「かまわないさ。ブランシュを入れてくれ」
「ダヴィド様!?」
「今すぐだ」
「……どうぞ」
ブランシュがおどおどしながら部屋に入ると、下着姿のダヴィドに慌てて壁を向く。
耳もふさぎたかったが、両手が塞がっていた。
チャトゥラは寝室でベッドメイキングをしているため、ここにはいない。
「ブランシュ、君寝ていないだろう」
パッチワークは布の組み合わせに時間がかかる。
実際、組み合わせるだけで1時間はかかった。
「な、な、なぜ私を部屋に。その、あの、廊下で待っています……」
「廊下で倒れたら大変だろう?」
ブランシュは、なぜダヴィドがそんなことを言うのかわからなかった。
奴隷なら3日眠らせてもらえないこともある。
心配の言葉を口にさせてしまっていることに、罪悪感しかなかった。
(それにしても、どうして第一王子殿下であるダヴィド様が、自分で着替えているんだろう)
普通は男性であっても、着替えはヴァレットの仕事である。
ブランシュは疑問に思いつつも、壁からおでこを離さない。
「濡れてる……?」
ダヴィドの囁くような声に、思わず振り向いたブランシュ。
ダヴィドもブランシュの顔を見た。
「お、こっちを向いてくれたね。どうかしたかい?」
(濡れている衣服。ダヴィド様は、タンゾワールの王族の方々が来た日の夜も手を痒がってた……)
ブランシュの中で何かが繋がった。
「そ、その靴下は濡れているのですか?」
「多分ね。でもこれぐらい大丈夫だよ」
「ま、ま、待ってください」
ダヴィドはブランシュの顔を見て、毛虫の事件を思い出し、靴下を摘んだまんま固まった。
「そ、その靴下をクッションの上に、お、置いていただけますか?」
「どうかされました?」
戻ってきたチャトゥラは裸足の主人と、ダヴィドの顔を見ているブランシュを見て、ダヴィド同様に固まる。
「こ、この靴下の先は、水で濡れているわけじゃないと思います……」
紺色の靴下は変色とまではいかないものの、指先部分だけがほんのり濃くなっていた。
「これをブランシュは知っているのかな?」
「も、もし、それが薄茶色なら……知っています」
ダヴィドはチャトゥラに持って来させた紙に、靴下の指先部分をつける。
それはブランシュの言うとおり、とても薄い茶色のインクのように見えた。
(ああ、やっぱり……でも、最後まで確認しないと)
「ブランシュ!」
ダヴィドが声を上げた時、ブランシュは靴下の指先を、自分の腕の内側に軽く擦った。
「漆ですね」
少しすると、ブランシュの腕はほんのり赤く腫れた。
「ブランシュ、君には体を大切にして欲しいんだ」
「わ、私は耐性があります」
「本当ですか?」
チャトゥラの質問に、ブランシュは自分の腕を見る。
「チャ、チャトゥラ様は、う、漆を触ったことはございますか?」
「ええ、何回か」
過去明るい服に漆を塗られた時は変色していたため、ダヴィドに渡す前に気がついた。
「で、ではお二方とも、わ、わかると思います。耐性があれば、こ、これぐらいで済むんです……でも」
「耐性がないともっと腫れる」
「はい」
ダヴィドはあまり暗い色の服を着ないが、正装を着る時と冬は、紺色の黒いズボンを履くことも増える。
法則が見えなかったダヴィドは、ようやく気がついた。
「ダヴィド様、今まで隠しておられたのですか?」
珍しく声が低くなったチャトゥラは、丁寧に頭を下げた。
「気がつかず大変申し訳ございませんでした。今後はより入念に確認いたします」
「気にすることはない。キノコの毒ほど危険なら僕でも見分けられるし、これも第一王子の宿命だからね」
ダヴィドはソファーに腰掛け、頭を抱えた。
「そ、それでは失礼いたします」
「ブランシュ、君はまだここに。チャトゥラ、薬を」
逃げ出したかったブランシュだったが、チャトゥラがドアを塞ぎ、逃げることはできず観念するしかなかった。
(……また高価なものを私なんかに使わないでください)




