66.年末の見送り
「ブランシュ!元気でね!」
ジュリエットは朝食後、食堂でブランシュに抱きついた。
ブランシュはどうしたらいいのかわからず、その手は宙に浮いている。
「見送りに来てくれる?」
「も、もちろん!」
ペルルドゥシュが終わって数日後。
王宮は静かになった。
ブランシュの仕事も裁縫教室だけとなったが、参加者がいないため今日から休みである。
——年末は皆、実家に帰るのだ。
使用人が帰るということは、洗濯するものがなくなるということ。
ランドリーメイドのジュリエットも、年末は毎年帰省していた。
ちなみに残りの2割は帰る家がないため、王宮に残っている。
「そういえばブランシュはどこ出身なの?」
「に、西側の領地だよ」
「西側のパッチワーク?知らないって言ってなかったっけ」
「わ、私田舎出身だから、その……」
ブランシュは王宮に来る前、北側と西側の境目の領地に住んでいた。
奴隷のブランシュが貸し出されていたのも、北側の領地の家ばかりである。
「ジュリエットはどこ出身……」
ブランシュはジュリエットに質問しかけたが、角を曲がるタイミングで大量のメイドが歩いてくる姿が見えた。
リボンの色を見たブランシュは、ジュリエットの腕を引いて90度の綺麗なお辞儀をする。
ブランシュの意図はわからなかったジュリエットも、すぐにカバンを床に置くと真似をしてお辞儀をした。
「え……ジュリエット何してるの?」
「その子って奴隷だった子だよね」
同じく帰省するために玄関へ向かっていたランドリーメイドたちは、2人の行動に眉をひそめた。
だが、すぐにメイドたちもお辞儀をすることになる。
「あら、ここのメイドたちは身分をわかっているようね」
宝石の装飾をたくさんつけた女性は、頭を下げたブランシュたちを見て満足げに笑う。
絶対に王女だと確信できるほどの圧力。
見下すような鋭い目。
誰も声を出すことができず、ただ王女一行が去るまで頭を下げ続けるしかなかった。
「び、びっくりしたね」
「ジュリエットのおかげで、命拾いしたよ」
「私じゃなくブランシュだよ」
ランドリーメイドは、震えを隠すように手を握りあう。
「あれが噂の……」
「多分そうだよね」
心臓がバクバクと鳴り、止まっていた呼吸に息を慌てて吸ったランドリーメイドたちは、逃げるように玄関へ向かった。
♢
「あ、ブランシュ!」
「こ、こんにちは、アメリさん」
「アメリって呼んでって言ってるでしょ」
ブランシュはジュリエットを見送ったあと、自分の部屋に戻る途中で空組の縫い子数人がブランシュに寄ってきた。
「今年は年末もすごろくを貸してもらえたんだ!ブランシュもやる?」
「みんな帰っちゃったから、人数少ないんだよね」
「上級の使用人の知り合いとかいないし」
上級使用人は、下級使用人とは違う。
使用人の家系に生まれてた者が多く、持ち場が違うとはいえ家族が王宮内にいるものも多い。
休日は増えるが、上級使用人のほとんどは帰省しないだろう。
「きょ、今日はその……私……」
「じゃあ明日も誘うから、遊べる日は部屋に来てね!」
「あ、ありがとう」
誘いを断る理由はなかったブランシュだが、あまりにも幸せが続くので誰かと遊ぶことすら不安だった。
♢
ブランシュは自分の部屋に続く冷たい階段を、1人真っ赤な手で雑巾がけをする。
(やっぱりこういう方が落ち着くな。でも……絵本は寝る前にちょっとだけ。許されるかな?)
本当は草むしりをしたかったブランシュだが、寒いこの冬に雑草はほとんど生えていない。
仕方ないので水を汲み、雑巾がけをすることにした。
「おい」
イヴァンはブランシュがあまりにも予想通りの行動をしていたため、ため息交じりに声を掛けた。
「ご、ごきげんよう、イヴァン様」
驚いて今までは飛び上がるだけだったブランシュだったが、最近は飛び跳ねながらも挨拶ができるようになった。
「お前、暇なら奴隷に裁縫を教えろ」
「……あ、えっと」
「ダヴィドの許可証もあるぞ、ほら」
3日間限定の裁縫教室。
毎回ダルクが始まりと終わりに、針、ハサミの本数を確認することが条件である。
「お、仰せのままに……」
ブランシュは複雑な気持ちでイヴァンについて行ったが、その結果はブランシュの予想通りだった。
「ブランシュ、なぜこいつらは固まってる」
ブランシュはイヴァンとダルクと3人で、北側の奴隷部屋を訪れた。
しかし針とはさみを見た奴隷は折檻だと思い、恐怖からその場を動くことができず、土下座をしている奴隷もいる。
針は持ったことがなくても、ハサミを使ったことはある。
裁縫はしたことがなくてもアイロンは仕事で日常的に使っている。
だが、誰かがそれを持っていることは怖いのだ。
「その……さ、裁縫道具は、き、危険な物なので」
イヴァンはブランシュの腕を掴み黙って部屋を出ると、ダルクをチラリと見てからため息をついた。
「文字を教えるのはどうだ?」
「そ、それは……」
「私もあまり良くないかと」
ブランシュは今でこそ勉強することに慣れたが、その恐ろしさはよくわかっている。
ダルクは奴隷の事情だけではなく、そんなブランシュの気持ちを理解していた。
「じゃあ何ならできるんだ」
ブランシュは自分の経験から、奴隷でもギリギリできそうなことが浮かんだが、口はぎゅっと閉じている。
「言え」
「あ、その……えっと」
「なんでもいい。奴隷のこの暇な時間を無駄にさせるな」
イヴァンが腕を組んで眉間にしわを寄せると、ブランシュはダルクの顔をチラリと見てから、小さな声でつぶやく。
「お、お絵かきなら、で、できるかもしれません……」
イヴァンはニヤリと笑うと、ダルクに目配せをした。
♢
奴隷部屋に運び込まれた、2つの木箱。
1つには粗悪で安い紙。もう1つには、赤、黄色、緑、オレンジ、水色、黒の鉛筆。
「い、インクではないのですか!?」
ブランシュですら、鉛筆を使えるのは王女のドレスのデザイン画を描くときだけ。
なぜなら、インクの方が圧倒的に安い。
鉛筆芯を作ることができる技術者は限られているからだ。
「これは大量に余っていた、とても上質とは言えない鉛筆だ」
「あ、そ、それでも、その……」
「ペルルドゥシュで他国から上質なものが手に入ったんだ。在庫処分だと言っているんだが、命令に従わないのか?なあ、ブランシュ」
イヴァンの甘く低い声は奴隷を震え上がらせたが、ブランシュは小さく息を吸うと紙とオレンジ色の色鉛筆を手に取り、床に座った。
「な、何を描いても良いのですか?」
「ああ、好きにしろ」
ブランシュは少し考えてから、チューリップやケシの花を描き始めた。
近くにいた奴隷は、初めて見るお絵かきに興味を隠しきれていない。
「お前らもやれ」
イヴァンの命令にダルク以外の全員が肩を震わせた。
ブランシュの肩も大きく跳ねる。
「こ、これを、どうぞ」
ブランシュは1枚ずつ紙を配ると、色鉛筆の入った木箱を持って回った。
奴隷たちは恐る恐る、見よう見まねで線を引き始めると、初めての感覚についつい口角があがる。
イヴァンも満足そうに笑うと、ダルクを連れて黙って部屋を出た。
「イヴァン様。ダヴィド様からの依頼書は渡さなくてよかったのですか?」
「ぬいぐるみ作り?今日じゃなくていいだろ」
♢
2日目の昼、奴隷のためにリンゴを持ってきたダルクはあたりを見渡した。
同時に、奴隷たちはその場に正座する。
「皆さん、昼食になります。紙や色鉛筆は足りていますか?」
「ありがとうございます。ここまでしていただいて、感謝しかありません」
返事をしたのは、この部屋のリーダー的存在のマレン。
ブランシュの腕を買っていたのも、ラズベリーを最初に食べてくれたのも彼女だ。
「これはイヴァン様の意向ですので」
「では殿下に感謝の意をお伝えください」
「かしこまりました。ところで、1つ質問をしてもよろしいでしょうか?」
「なんでしょうか?」
「ブランシュはどこへ行ったのですか?」
——ブランシュは奴隷部屋にいなかった。




