62.ピンク色のベルベット
「遅い!」
朝食後、自分の部屋の前で仁王立ちしているイヴァンに、ブランシュは腰を抜かしそうになった。
隣に立っていたダルクは、イヴァンにため息をついてからブランシュに手を差し出す。
「も、申し訳ございません!」
「いい加減慣れろ。まずは部屋のドアを開けるんだ」
「い、今すぐに!」
ブランシュは左手で鍵を取り出し、ガチャガチャと急いで回す。
ドアが開くと、イヴァンはブランシュを置いて振り返らずに入っていった。
(や、やっぱり昨日のことを怒っていらっしゃるんだわ……)
ブランシュも追いかけるように部屋に入るが、イヴァンは珍しくベッドに座らなかった。
ブランシュは、イヴァンの顔を見て怒っていると確信し、両手を後ろに組んで下を向く。
「右手を見せろ」
「……え、あ、その」
イヴァンはポケットから包帯を取り出すと、その手を振って圧をかけた。
「なぜ包帯をしていない?」
ブランシュは一歩下がり、ドアにペタリと背中をつける。
「そ、その……えっと」
♢
包帯をしていれば、当然目立ってしまう。
ブランシュは朝起きてすぐに包帯を取り、血がついた面を内側に畳んで引き出しにしまった。
(大きく動かさなければ大丈夫そう。お裁縫をする時は、端切れを巻いて……絶対にバレないようにしないと)
だがブランシュの手の傷は、ブランシュが想像するよりも深かった。
「今日のスープはゴロゴロしてるね!」
「うん、おいしいね」
ブランシュはジュリエットと、いつものように朝食を食べていた。
1ついつもと違ったのは野菜が大きく、スプーンですくった一口が少し重かったこと。
(あ……)
そう思った時には遅かった。
人参を口にした瞬間、ブランシュの人差し指の指先と、小指側の側面の傷が開いてしまったのだ。
ブランシュは反射的に制服の裾で右手を巻くと、左手でスプーンから血を拭う。
そして、何事もなかったかのように左手で食事を続けた。
(どうしよう……編み物は両手を使うからバレちゃうかも)
縫い物だったら、左手で縫えばいい。
そう考えるのは、ブランシュが両利きだったからである。
奴隷にとって怪我は日常なので、両利きにならざるを得ないのだ。
♢
「今すぐベッドに座れ」
「イ、イヴァン様……」
「いいから早く」
ブランシュは左腕を引かれると、右手を制服に巻きつけたまま、強制的にベッドに座らされた。
「ダルク、お前は縫う必要ないと言っていたはずだが?」
「……包帯をして安静にしていれば、本来必要ありません。」
イヴァンはため息をつくと、ダルクからハンカチを受け取る。
「ダルク、お前制服を取ってこい」
「ええ、すぐに」
ブランシュの手を不器用に掴み、イヴァンは止血を試みた。
しかし、血が止まる気配はない。
「自分で止血できるか?」
「はい、申し訳ございません」
ブランシュはハンカチでぎゅっと押さえると、その手を高く上げた。
昨日は動揺していたが、本来のブランシュにはお手の物である。
ブランシュは謝罪したかったが、眉間にしわを寄せたイヴァンに言葉が出なかった。
イヴァンも何か話そうと思ったが、慰めることも怒ることもできず、顔をしかめるだけである。
沈黙を破ったのは、制服を持って戻ってきたダルクだった。
「お待たせいたしまし……どうされましたか?」
ベッドに座りうつむくブランシュと、椅子に座りうつむくイヴァン。
てっきりイヴァンがブランシュを責め立てていると思っていたダルクは、一瞬目を見開くほど驚いた。
「ブランシュ、血は止まりましたか?」
「……はい」
「イヴァン様、包帯を巻きましょう」
ダルクは制服を机の上に置くと、イヴァンに包帯を巻くよう声をかけた。
昨晩、イヴァンはヴァレットの手を使って、包帯を綺麗に巻けるよう何度も練習したのだ。
「どうだ、痛くないか?」
「あ、あ、ありがとうございます」
ブランシュは包帯を巻いてもらった右手を少し動かすと、小さく口角を上げた。
「また血が出るだろ。動かすな」
イヴァンはブランシュの表情が少し明るくなったことに気がついたが、ブランシュと目が合う前にダルクと目が合った。
「何か文句あるか?」
「いえ、ただお時間かと」
ブランシュはダルクの言葉を聞いて、仕事に遅れていることに気がつくと、慌てて裁縫箱を取り出した。
「ブランシュ、いいから着替えろ。王女に会うのに、血がついてる制服は問題がある」
「お、王女殿下?」
「いいから早く着替えろ」
イヴァンとダルクは、ブランシュの返事を聞く前に部屋を出て行った。
(どの王女殿下の元へ行くんだろう……お仕事に遅れているのに、大丈夫かしら……)
ブランシュは血がついた部分を内側に畳み、急いで新しい制服に着替えると、巾着を持ってドアを開ける。
「は?」
ブランシュの手元を見たイヴァンは、貨幣を何枚も握りしめているのを見て、頭を掻く。
「イ、イヴァン様、あ、あの、包帯もお仕事も、お、お金を……」
「今すぐ巾着を片付けてこい。裁縫を休むことはアンに伝えてある。制服はタダだ。行くぞ」
ブランシュはダルクに助けを求めたが、ダルクは静かに首を振るだけだった。
♢
「だ、第四王女殿下……ですか?」
「ベラ王女のデザインを引き受けたそうだな。依頼書にサインまでしたと聞いたが?」
「あ……」
ブランシュが連れて来られたのは、ベラの部屋の前。
イヴァンが両手を腰に当てると、ブランシュは肩をすくめて目を泳がせる。
「とりあえず入るぞ。ベラ王女がお待ちだ」
やはりイヴァンはブランシュの返事を待つことなく、ドアをノックして部屋に入っていってしまった。
置いて行かれたブランシュは、ダルクに背中を押されてちょこちょこと後を追いかける。
「あら、ブランシュ。待ってたわ。元気になったかしら」
濃いピンク色のドレスを着たベラは、ブランシュに小さく手を振る。
その周りには仕立て屋が何人もいて、マーメイドドレスのフィッティングが行われていた。
(な、なんて答えたらいいのかしら……)
ブランシュはベラを見て、イヴァンのことを聞かれているのだとわかった。
しかし体調すら個人情報の世界で、ブランシュは何も言うことはできず、唾を飲み込んだ。
ドレスを見ていたイヴァンは、ベラがブランシュの手を見て質問したのだと思った。
もちろんベラは、ブランシュの手に包帯が巻かれていることに気がついている。
「元気ならいいわ。第三王子殿下、ブランシュを連れてきてくださりありがとうございます」
「一応ですよ、ベラ王女」
イヴァンは、ベラに言われたからブランシュを連れて来たのも理由の1つだが、何よりもその手で裁縫をさせることが心配だった。
「このドレス、とてもすてきだと思いませんか?ベルベットはあまり着たことがなかったけど、気に入ったわ」
「ベラ王女に濃いピンクとは。ブランシュ、大胆だな」
ブランシュは冬らしいベルベットの布地を選んだ。
背中は開けると寒いので、大きなリボンを腰から床まで流れるように垂らすことで目立つように。
胸元はV字に沿って細かい宝石を装飾することで、お見合いという場にふさわしいデザインを完成させた。
「ブランシュ、お前はここで見学するか?」
「い、いえ、あの……部屋の隅に行かせてください……」
ブランシュの声は、今にも消えそうだった。
巻かれた包帯の手のひらには、汗シミができている。
「ベラ王女。ブランシュはこう言っているが、いかがですか?」
「隅は困るわ。メイドの中央にいてちょうだい」
(そ、そんな……)
2人しかいなかったレディースメイドは、あっという間に30人近くに増えた。
仕立て屋を含めると、この部屋には40人以上いることになる。
隣には第三王子。目の前には第四王女。
ブランシュは頭痛と眩暈に襲われた。
♢
「殿下、次はコートのフィッティングをお願いいたします」
「ベラ王女、こんな……平凡な物をお召しになるのですか?」
イヴァンは鼻で笑った。
仕立て屋が手にしていたのは、真っ白でよくあるデザインのショート丈コート。
ウール素材の布地に、首元は毛糸で編まれたマフラーのような襟。
平凡としか言いようがなかった。
「その、ドレスがあれだけ派手なので、外側はシンプルにと思いまして」
仕立て屋も、いつもならもっと良いデザインが浮かんだだろう。
しかしブランシュのデザインを見て、あまりに素晴らしい出来に焦った結果、何も浮かばなくなってしまったのだ。
ベラは仕立て屋の顔を見ることなく、にっこりと笑ってブランシュの目を見た。
「ブランシュ、申し訳ないんだけどコートも考えてくれる?できれば……今すぐ」
「お、お、仰せのままに……」
念願の部屋の隅に来ることができたブランシュだが、一斉に集まった視線に緊張で全身が震え、手汗でペンが滑ってしまう。
それでも、すぐにブランシュの頭はデザインでいっぱいになった。
ドレスには毛皮のコートが一般的。
ブランシュは仕立て屋の顔を潰さないよう、白い毛皮のコートで、丈もリボンが見えるようショート丈のままに。
裏地はドレスと同じ金色に合わせ、首元にはドレスと同じ色のサテンのリボンをつけた。
「ベラ王女、最初からブランシュに上着も任せておけばよかったのでは?」
「その方が面白かったかもしれませんね」
王子と王女の会話に、7人の仕立て屋はブランシュを睨みつけ、2人は笑顔で頭を抱え、1人は小さな笑いをこぼした。
当のブランシュは机の木目だけを見つめ、イヴァンは血が滲んだ包帯を見て眉間にしわを寄せるのだった。




