56.療養命令
時は遡ること、お披露目式翌日の朝。
床で寝ていたブランシュは、イヴァンに揺さぶられて目を覚ました。
「なんでこんなところで寝ている」
「……イヴァン様?」
起き上がったブランシュの腕を、イヴァンは立ち上がらせるようにして掴んだ。
それから、床に落ちている雑巾を部屋の隅に蹴り飛ばすと、ブランシュをベッドに座らせた。
「いいか?これがお前の療養命令書だ。1週間、裁縫は休み。ここで寝るのが仕事になった。わかったか?」
イヴァンはダヴィドに言われたことを気にして、出来る限り優しく声を掛けたつもりだった。
ところが、雑巾を蹴られたことに気がついたブランシュは、イヴァンの言葉が耳に入らず、流れるように床へ膝をつく。
「申し訳ございません、掃除をやり直します」
「だからなんでお前は!」
「今度は何に怒っているんだい?」
イヴァンの限界が来た時、ダヴィドがタイミングよくドアを開けた。
「こいつが悪い。掃除をやり直すだなんだ言って、また膝をついている」
ダヴィドはため息をつくと、ブランシュの前にしゃがみこむ。
「ブランシュ、僕が誰かわかるかい?」
「はい、殿下」
「今日の掃除は完璧だったから終わりでいいよ。そして悪いんだが、毒見でこれを飲んでくれるかい?」
ダヴィドがブランシュにりんごジュースを渡す様子を見て、イヴァンは信じられないという顔でダヴィドを睨む。
一方でダヴィドはイヴァンを無視し、リンゴジュースを飲んだブランシュの頭を撫でる。
「毒は入っていないようです」
「ありがとう。次はこれを君に塗ってもいいかな」
「そ、そんなに高価なものは」
「これを君に塗らないと、怒られてしまうのは僕なんだが……それでも難しそうかな?」
慌ててブランシュは腕をダヴィドに差し出すと、イヴァンはダヴィドから瓶を奪い取った。
「俺が塗っても問題ないな?」
「仕方がないからイヴァン、君に譲ってあげるよ」
「は?」
イヴァンはブランシュの隣に座ると、痛々しい腕に優しく薬を塗ったが、ブランシュの目には涙が浮かんでいる。
「ど、どうした?痛むのか?」
ブランシュは寝間着をぎゅっと掴むと、かすれた声で返事をした。
「これでお二方は怒られませんか?」
これにはダヴィドも頭を抱えた。
♢
2日後、ようやく熱が下がり始めたブランシュ。
昼間はダルクかチャトゥラが常駐し、ブランシュに水分補給をさせ、冷えたタオルをこまめに取り換えた。
ヴァレットの2人がいない夜は、ブランシュが勝手に出て行かないよう鍵を閉めたが、心配したダヴィドがこまめに顔を出した。
「掃除は終わり、薬を塗ろうか」
ブランシュは夜中に熱が上がると、不安になって掃除を始めた。
1人部屋でじっとしていることが、怖くてたまらなかったのだ。
「ダ、ダヴィド様……明日は裁縫に行けますか?」
「まだちょっと無理かな」
喉まで腫れたブランシュの声はかすれ、白い肌の赤みが目立つ。
左腕の腫れに関しては、ほとんど良くなっていない。
「まあまあ、僕の話でも聞いてくれよ。チャトゥラは、はいはい言うだけだし、イヴァンは捕まらないし暇なんだ」
ダヴィドはブランシュがベッドに座ると、その隣に腰掛けて薬を塗る。
自分で塗るように言われても、ブランシュはもったいないと言って塗らないため、結局ヴァレットの2人かダヴィドが塗っていた。
♢
「最近ジェラールが声を出すようになったんだよ。これがもう可愛くて可愛くて。早くブランシュに会わせたいよ」
「い、いえ、私のような者がお会いすることはできません……」
「いや、会ってもらうよ」
ダヴィドはブランシュの返事を気にすることなく、好きなことを好きなだけ喋って帰る。
「今度ルイーズの部屋着を作ってくれないかい?王宮ではお揃いが流行っているようだし、似たようなデザインでお願いしたい」
「で、では明日にでも」
「それはまだ早いかな」
ブランシュはダヴィドへの反応に困り、ただ頷くことしかできない。
「あ、そうだ。今回は貨幣の他に物品報酬も出そうと思っているんだが、希望はあるかい?」
「い、いえ、結構です。お気遣いありがとうございます」
ブランシュは膝とおでこがくっつくほどのお辞儀をした。
「これはもう決定事項なんだ。それで何色がいいかな?」
「いや、その……」
「これがお見舞いってやつなんだけど、君は僕にお見舞いをさせてくれないのかい?」
ダヴィドのズルい言い方と、コットンの布にするからと言われ、ブランシュは説得されてしまった。
「あ、あの……もしあのワンピースと同じ色の布があれば、その、いただけませんか?」
ブランシュは部屋の壁にかかっている、王都へ行く際に使ったワンピースを指差した。
「もちろんいいけど、もう1着ワンピースを作るなら違う色の方がいいんじゃないか?」
「い、いえ、あの、イヴァン様とお勉強をする時の手提げを……ダ、ダメですか?」
ダヴィドは笑ってオーケーサインをした。
「療養が終わってからなら許可するよ」
「あ、ありがとうございます。ダ、ダヴィド様……?」
ダヴィドは喋る時に、手をよく動かす。
ブランシュはいつも顔より少し下を見ているため、その指先に紙で切ったような傷跡を見つけてしまった。
「ん?」
「だ、大丈夫ですか?その、怪我が」
「これかい?」
ダヴィドはにっこりと笑い、右の手のひらをブランシュに向けた。
「これは内緒にして欲しいんだけど、僕は結構ドジでね。紙で指を切るし、剣術でも怪我をするしで、怪我だらけなんだよ」
「お、お薬を塗りますか?」
ブランシュは慌てて立ち上がったが、ダヴィドはブランシュの手をくっと引っ張り座らせると、再びジェラールとルイーズの話を聞かされるのであった。
♢
「よりによって第三王女……か」
今回被害を受けたのはブランシュだったが、イヴァンは当然リゼットが狙われたのだと思っていた。
しかし、リゼットがあの場に行くことはないし、リゼットよりも先に縫い子が被害に遭うと気がついた。
確かにドレスが完成しなければ、恥をかくのはリゼットである。
とはいえその責任は、責任者のブランシュに向くことは明白だ。
夏に行われた第三王女の成人パーティーでは、仕立て屋のみが仕上げたドレスの着用命令が下された。
今思えば、これはブランシュを使うなという意味だったのだろう。
それほどまでに、第三王女は身分制度に厳しい女性だった。
上級使用人ですら下賤の者として扱い、下級使用人とは絶対に顔を合わせない。
その生活は徹底されている。
「薬の使用記録の控えは、俺が保存する」
「かしこまりました」
イヴァンは犯行に及んだメイドも、無事では済まないと考えた。
そこで、直近の医務室の利用履歴や薬の使用履歴を確認したところ、第三王女にたどり着いたというわけである。
頭の回る第三王女が、リゼットを狙ったわけではないと言った場合。
第三王女に恥をかかせたとして、ブランシュが罰せられる可能性もあり、イヴァンは問い詰めることができなかった。
♢
「だいぶ腫れも引いてきたね」
療養4日目。
熱は夜になると上がるものの、日中の容体は落ち着いてきた。ブランシュの腕の腫れも引き始めた。
だが、赤い斑点と喉の痛みが消えたわけではない。
「薬を塗るから手を出して」
「あ、いえ、もう大丈夫です、その」
「まだ痒いだろう。薬を塗れば早めに裁縫へ戻れるかもしれないけど、いいのかい?」
痛みが治ると、今度はかゆみが襲ってくる。
ブランシュは寝ている時は無意識に掻いてしまい、掻きむしったところが内出血を起こしていた。
「も、申し訳ございません……」
「気にしなくていい。そんなことよりも、恋バナをしないかい?」
「恋バナ……とは何ですか?」
ブランシュは恋愛どころか、友人ができたのも最近の話なのため、恋バナという単語すら知らないかった。
「好きな人とかいないのかい?」
「皆さんに、か、感謝しております」
「そういうのじゃないんだな。ブランシュ、好きな男の人とかいないのかい?」
「お、男の人と会うのは、ダヴィド様やイヴァン様だけで……」
ダヴィドの質問の意味が、ブランシュには理解できなかった。
王宮に来るまで、男の人と話すのは主のみ。
現在も、主従関係のある人としか話すことはない。
「君は文字を勉強しているだろう?絵本にも王子様に恋する女の子とか出てくるんじゃないかな」
「えっと……あ、赤ずきんには出てきませんでした」
ダヴィドは声を上げて笑うと、塗り終わった薬の瓶のふたを閉める。
「もっと文字を読めるようになって、本を読むようになればわかるはずだよ。だって、物語の大半は色恋の話なんだから」
(勉強したらわかるなら、もっとたくさん努力しないと……イヴァン様に恥をかかせてしまうかもしれないわ)
「まあ、いずれイヴァンが教えてくれるさ」
「わ、わかりました」
ブランシュは素直に言葉を受け取り、ダヴィドはニヤニヤとブランシュを見つめた。
「入るぞ」
ブランシュはノック音に飛び上がったが、ダヴィドが慣れた手つきで座らせた。
「どうぞ」
トレーを持ったイヴァンは、ダヴィドの返事よりも先に入ってきた。
(なぜお二方とも、汚い肌の私の元に来るの……穢れて欲しくないのにな)




