54.虫の入ったかご
ダヴィドがドアを閉めると、ブランシュは咳を堪えながら糸の入ったカゴの中を、床に落ちていた針でつついた。
(毛虫……やっぱりこの方法なの……)
かごの底には、3匹の毛虫が糸に絡まっていた。
ブランシュはエプロンを脱ぐと、そのカゴと布を包む。
「ブランシュ、今度は何をしている!」
ブランシュは勢いよくドアを開けたダヴィドの大きな声に気づくことなく、顔を真っ赤にして片づけをし続けている。
「ダヴィド様、離れていてください。あとはこちらでなんとかいたします」
「チャトゥラ。でもこれ以上ここにいたら、ブランシュが」
「それもこちらでなんとかいたします。大丈夫です」
チャトゥラにとって、何よりも大切なのは主である第一王子のダヴィドである。
もちろん、ダヴィドが何を大切にしているかもわかっている。
そこに空組の縫い子たちが戻ってきた。
「何があったの!?」
「なんでこんなにヴァレットが」
「待って、ブランシュは?」
「まさか!」
廊下で待っていた縫い子たちは、大勢のダヴィドのヴァレットが縫製室に向かっているのを見て、追いかけてきたのだ。
「君たち、そこで止まりなさい!」
しかしヴァレットたちは、リゼットの縫製室の3つ手前の部屋の前で縫い子を止める。
そして、そのまま聞き取りと称して空き部屋に連れて行った。
「ブランシュはまだか?」
ダヴィドのつぶやきに、ヴァレットたちはお辞儀をするだけだった。
♢
「この中に、毛虫が、いました」
「ありがとうございます。ブランシュはもう離れて隅にいてください」
ブランシュは言われた通り、部屋の一番奥の机の横に立った。
「毛虫の毛は舞う、手分けして掃除しろ。引き出しなど細かいところは後でいい、わかったか?」
「「はい」」
チャトゥラは持参した大きな布を広げると、2人のヴァレットに持たせた。
そして、ブランシュに寝間着を渡す。
「布の向こう側で着替えてください。そのあと部屋で湯浴みを」
「あ、ありがとうございます。でも、川に行きます。大丈夫です」
奴隷の傷は汚くて見せられないが、今回ばかりは仕方ない。
ブランシュはそれ以上に、毛のついた制服で王宮内を歩く危険をわかっていた。
急いで着替えたブランシュはチャトゥラに裂いてもらった隠しの布を、腫れた腕に巻き付ける。
「今表に出ている布と糸は全て処分する。袋に入れてから厳重に木箱へ入れろ。私はダヴィド様とここを離れる。いいな?」
「「かしこまりました」」
(完成したパーツは金庫に入れてあるし、鍵はジャネットさんが持ってる。みんなの裁縫箱も戸棚の中だし、きっと大丈夫)
ブランシュがドレスの心配をしている間に、チャトゥラはブランシュを連れて部屋を出た。
そして清潔な羽織りを着せると、チャトゥラはダヴィドと2人でブランシュを川へ連れて行く。
ダヴィドはこの寒い季節に川へ入ることなど、最初は認められなかった。
しかし、全身を流すしか方法はそれしかなかったと説得されたのだ。
「ブランシュ、なぜ何かが起きたとわかったんだ?」
ブランシュは自分のような者が、告げ口をしてもよいのか悩んだ。
しかしリゼットが狙われたとなると、言わざるを得ない。
「不審な、レディースメイドと、すれ違いました」
「そうか。ならなぜ毛虫がいるとわかった?」
「よくある、手法なんです。かごに毛虫を入れて、それを振るんです」
ダヴィドは息絶え絶えのブランシュに、眉間をひそめる。
「辛い時にたくさん話しかけてしまってすまない」
「いえ、問題ありません」
ブランシュの淡々とした態度が、タンゾワールの奴隷を見た時のブランシュと重なり、ダヴィドはぐっと唇を噛みしめた。
♢
チャトゥラは川の近くのリネン庫からタオルを渡すと、縫製室に急いで戻っていった。
ダヴィドは少し離れた岩に座り、ブランシュは川まで降りていく。
川の中は、寒いのに熱い。じんじんと熱が襲う腕に、冷たい水が刺さる。
息が上がり、凍えるほどの冷たさに足が痺れたが、それでもブランシュは髪までしっかり流した。
ブランシュは岸辺のタオルで体を拭くと、新しい寝間着に着替える。
「大丈夫じゃないな。これを着なさい」
ダヴィドは川から戻ってきたブランシュに、自分のジャケットを着せた。
ところが、震えが止まらないにもかかわらず、ブランシュはそのままジャケットをダヴィドに返す。
「いただけません。もう慣れたので大丈夫です」
(久しぶりなだけで、今まで当たり前だったこと。こんなことで、ダヴィド様の服を汚すわけにはいかないのに)
だが、ブランシュに押し返す力は残っておらず、ダヴィドは無言でブランシュを包んだ。
「何があった!?」
「イ、イ、イ、イ、イヴァン様……」
唇まで真っ青なブランシュは上手く喋れず、代わりに立ち止まってお辞儀をした。
「今はそんなこといいだろ。椿の木はこのあたりだろ?大丈夫なのか?」
「イヴァン、あっちの壁のさらに向こう側にあった。ブランシュが教えてくれたよ」
「なぜそんなことを知っている」
ブランシュは王宮に来たばかりの時、人見知りの激しさから奴隷ともうまく会話ができなかった。
震えてばかりいるブランシュは仕事ができないと決めつけ、誰も一緒に仕事をしないどころか、食事も距離を取って食べていた。
「それは、王宮に来たばかりの時に、見つけました」
イヴァンもダヴィドも言葉に詰まり、結局2人はブランシュを部屋へ連れ行き、休ませることにした。
「お前はしばらく休みでいい」
「いえ、見た目は腫れていますが、すでに痛みはほとんどありません。一晩寝れば動けます」
「一晩で治るとは思えないよ」
イヴァンとダヴィドはそう説得しようとした。
それでもブランシュは諦めず、リゼットのドレスが間に合わないと言い、2人は結局説得されてしまった。
♢
お披露目式までリゼットの縫製室は使用不可となり、続きは嫁いで空いた第二王女の縫製室で作業を続けることになった。
「ブランシュ、本当に大丈夫なの?」
「だ、大丈夫です。耐性があります、ので、本当に、あの」
2人の王子を含め、皆がブランシュの言葉を信じた。
昨日とは打って変わって、おどおどした喋り方に戻った。
そのうえ、実際に裁縫を始めるといつも通りの手際だったからである。
誰も真実に気がつかないまま、ブランシュは黙々と作業を続けた。
「ねえ、ブランシュ。」
「ちょ、ちょっと待ってもらえますか?」
チュールは仕付け糸を遣えないため、ブランシュは集中して縫っていた。
布はなんと20mを越えているうえに、真っ直ぐに2本、完璧な線を縫わなければならない。
チョークも書けないの布なので、マス目のある机に布を合わたブランシュは、寸分の狂いもないギャザーを寄せたスカート部分を完成させた。
「ブランシュ、ほんとうにごめんね」
「私たちも戻ればよかったのに、ごめん」
責任を感じていたマドレーヌとカリーヌは、何度もブランシュに謝った。
「そ、そんなの、私が悪いから、本当に謝らないでください。本当に、その……」
ブランシュは皆が自分のせいで昼食を食べ損ねたことを知り、むしろブランシュの方が申し訳なく思っていた。
こうして誰もブランシュの嘘に気がつかないまま、パーティーの前日にドレスが完成した。
♢
「ギリギリで心配したけどさすがね!いろいろあったみたいだけど、出来は最高だわ」
リゼットにとって命を狙われることは、頻繁に起こるわけではないが、驚くようなことでもなかった。
それが嫡出子の宿命として、受け入れていたのである。
「大人みたいなピンクで、袖を取り外しできるっていうのも最新ね。お兄様、報酬は弾んでちょうだい」
大満足なリゼットはにっこりと笑い、メイドにそれを厳重保管するよう指示した。
「それじゃあ当日もよろしくね」
「いや、リゼット。悪いんだがブランシュはパーティーに出られないんだ」
「……え?いや、私」
目を丸くしたブランシュは、慌ててダヴィドの顔を見つめる。
「ちょっと怪我をしてしまってね」
「あ、いや、わ、私」
「そうなの?じゃあ仕方ないわ。空組の長の……名前忘れちゃったけど担当してたでしょ?あの人に言っといて」
「伝えておくよ。じゃあまた明日」
ブランシュはわけがわからないまま、部屋の外に連れ出された。
「さ、部屋に戻るよ」
「ダ、ダヴィド様?」
ダヴィドはブランシュを無視し、手を引いた。
「まったく、騙されたよ」




