52.縫製室の違和感
「さ、ご飯ご飯!」
「ブランシュも今日はご飯に行くよ」
「ほら、裁縫箱をしまってしまって」
ブランシュは突然、マドレーヌとカリーヌに挟まれたので、2人をキョロキョロと見つめる。
2人もブランシュの顔を覗き込んだ。
「お昼ご飯全然食べないって本当だったんだね」
ティナをはじめ、裁縫教室に参加した星組の縫い子たちも顔を見合わせる。
「そうなんだよ。みんなも食べるように言ってくれる?」
「空組の子たちがこう言ってるし、さすがに今日は食べた方が良いんじゃない?」
「そうだよ。一緒に行こう」
ここまでして皆が声を掛けたのには、2つ理由がある。
1つは、どんなに集中していても反応するブランシュが、声を掛けられても気がつかなかったこと。
もう1つは静かな縫製室で、ブランシュがお腹を鳴らしたうえに、それにすら気づいていないと思ったからである。
「……わ、わかりました」
圧力に負けたブランシュが、ピンクッションを腕から抜いて裁縫箱にしまうと、マドレーヌとカリーヌがハイタッチをした。
(2人ともジュリエットみたい。ハイタッチというのは、普通の人なら行うものなのかな?)
ブランシュは勘違いしたまま、縫い子たちの1番後ろをとぼとぼと歩く。
カリーヌはブランシュをチラリと見ると、わざとらしく大きな声を出した。
「今日はツナパンだったらいいな!」
「私はトマトソース派」
(ツナパン……ってなんだろう。トマトソースのパン?)
ブランシュは昼食をほとんど食べない。
食べるとしても、カサカサのパンをカゴから1つこっそりと取るだけで、みんなが食べる普通の昼食を知らない。
「ブランシュは何パンがいい?」
「何パン……とはなんでしょうか?」
ブランシュが首を傾げると、縫い子たちは各々好きなパンを紹介した。
そうして話しあった結果、最終的に皆が同じ結論に至った。
「ブランシュには、溶けたチーズのパンを食べて欲しいな」
「あれ贅沢だよね」
(チーズって溶けるんだ)
ブランシュはダヴィドと、溶けたチーズが乗ったパンを食べたことがある。
ところが、いまだにあれがチーズだったと気づいていない。
(今日はチーズのパンかな?)
ブランシュは少しだけワクワクしながら、みんなの後ろをひょこひょこと歩いた。
♢
角を1つ曲がり、長い廊下を歩いて、階段を降りようとした時。
ポケットを触ったブランシュは、ハンカチがないことに気がついた。
食事の前は、しつこいぐらい手を洗うブランシュ。
特に、誰かと一緒に食事を取る時はかなり念入りに手を洗った。
ハンカチは、奴隷だったブランシュの必需品である。
(きっとマドレーヌに返してもらったハンカチを、私がきちんとポケットにしまえてなかったんだわ)
自分の汚い手では、みんなと一緒に食べられない。
誘ってくれた縫い子たちに申し訳なく思うと、自然にブランシュの足が止まった。
「ブランシュ、どうしたの?」
「あ、あの……忘れ物をしまって……」
ブランシュがうつむいて呟くと、マドレーヌはブランシュを笑いながら小突いた。
「ブランシュ、逃げる気でしょ」
「……え?」
「今日は絶対一緒に食べるって、もう決めちゃったからね!」
ブランシュが顔をあげると、他の縫い子たちも手招きをして待っている。
「ここで待ってるから、忘れ物取ってきたら?」
「す、すぐ戻ります!本当です!」
「じゃあここで待ってるね」
「ゆっくりでいいよ」
ブランシュは何度もお辞儀をしてから、縫製室へと向かった。
「ブランシュって律儀だよね」
「あんなに急いで戻るなんて、ほんとかわいい子」
「チーズのパンだったら、ちょっとわけてあげようか」
縫い子たちは顔を見合わせて笑うと、ブランシュの話をして盛り上がった。
♢
早歩きで縫製室に向かったブランシュは、心臓がドキドキしていた。
誰かが自分を待っているということが、初めてだったからかもしれない。
(早くしないと、みんながお昼ご飯食べ損ねちゃうかも)
しかし急いでいたブランシュは曲がり角で、青いリボンを付けたメイドとぶつかってしまった。
「も、申し訳ございません!」
反射的に土下座しようとしたが、ブランシュの声に反応することもなくメイドは走り去った。
(どうして私を叱らなかったんだろう。それに……手袋?)
青いリボンをつけた彼女が上級メイドであり、誰かのレディースメイドだということがわかっても、王宮には王妃と6人の王女がいる。
さらに、各王女はそれぞれ大量のメイドを抱えているため、ぶつかったメイドがどこのメイドなのかもわからない。
(知り合いのレディースメイドの方はいないけど、必ず謝罪に行かないと……あとでみんなに聞いてみようかな)
いつも下を向いているブランシュが、知っているレディースメイドなど1人もいない。
それでも、謝罪しなければという焦りも相まってブランシュは縫製室まで走った。
♢
ブランシュは縫製室に近づくにつれて、少しずつ不安が大きくなっていった。
(この時間は誰もいないはずの縫製室から、なんで走ってきたんだろう)
王女様の縫製室が並んだ廊下までやってきたブランシュ。
みんなと1番奥のリゼットの縫製室から出てきた時に、他の部屋には誰もいないことを知っていた。
そもそも、昼食の時間に仕立て屋と縫い子を訪ねて来る人は滅多にいない。
不安が増すばかりのブランシュは、深呼吸をしてからそっと部屋を覗いてみる。
だが、誰もいないし変化はない。
いつも通りの部屋に見えたが、どうしても違和感が拭えなかった。
ブランシュはドアのすぐ横の壁に、ぴたりと背中をつけてあたりを見渡す。
部屋の中央の机には、もう使わない糸の入ったカゴと、マドレーヌが挑戦して失敗した布が置かれている。
そして、自分の座っていた1番手前の机の下に、落ちていたハンカチを見つけた。
重い空気の中、ブランシュはハンカチをそっと右手で拾うと、ハンカチの感触に嫌な予感がした。
レディースメイドほどの身分であれば、手袋の着用が認められるかもしれない。
庭に出た帰りかもしれない。
それでも、コートを着ずに手袋だけをつける理由が、1つ浮かんでしまった。
(まさか……)
ブランシュはハンカチを拾った自分の手を見て、心臓がバクバクし始めた。
もしブランシュの想像が本当だとすれば、今すぐ口を何かで覆わなければいけない。
(先ほどの方……口元を布で覆っていなかった?)
下を向いて歩いていたブランシュは、ぶつかったメイドの首元までしか見えていなかった。
しかし、微かな記憶の中のメイドは、リボンの上にチラリと白い布があったような気もする。
喉に感じる微かな違和感。
ブランシュは自分が証明するしかないと、大きく息を吸った。
(誰かがこの部屋に入ってくる前に、私が1人でなんとかしないと……)
「何をしてるのかな?」
中央の机を見つめていたブランシュは、見知った声に飛び跳ねた。
「ダ、ダヴィド様!?」
張り詰めていたブランシュは、ダヴィドを見た瞬間に頭が真っ白になった。
「どうしたんだい?」
口をパクパクさせるだけのブランシュを見て、ダヴィドも一瞬目を見開く。
ただ声をかけただけで、ここまで動揺されたのは久しぶりだったからだ。
「あ、えっと、あの……だから、その」
ダヴィドは、いつも以上に言葉が出ないブランシュを見て、笑いがこぼれた。
「落ち着いて。僕はまた君が昼食を取らないんじゃないかって、見に来ただけだよ」
ブランシュまでは入り口から10歩ほど。
ダヴィドは1歩目を踏み出そうとした。
——その時。
「入らないでください!」
初めて聞くブランシュの大きな声と、あまりにも必死な様子に、ダヴィドは全く動けなかった。




