48.初めてのお見舞い
ダヴィドが去った後も、巾着をしまったブランシュは編み物を続けたが、イヴァンへの心配が頭から拭えなかった。
ブランシュは、お見舞いに行くかどうかを悩んでいた。
自分のせいでイヴァンが雨に濡れ、風邪を引いたからだと思っていたからである。
しかし、果物や花は持っておらず、ブランシュが王族に渡せる物など1つもない。
(中庭のお花でもいいのかな……)
すでに寝巻きに着替えていたブランシュは、編み物を机の上に置いた。
そしてドアに鍵をかけると、静かに部屋を抜け出した。
中央の井戸は王族が使うので、昼間に行くことは絶対にできない。
(前に忍び込んだ時と違って、お花を取ったら……ダメだよね)
奴隷が使える北側の中庭には、シロツメクサばかり。
そこで、縫い子のみんなが使っている、南側の中庭へ向かうことにした。
気配を消し、息をするのも忘れて廊下を歩く。夜遅いのもあってか、誰もいない南側の中庭。
「わぁ」
中庭の隅の方には、青と紫のビオラが小さな群れをなしている。
その美しさに、ブランシュの口から感嘆の声が漏れた。
忍び込んだ手前、長居するわけにはいかない。
花を踏まないようにしゃがみ込むと、美しいビオラを急いで選ぶことにした。
(この花ならお見舞いに持って行っても、許してもらえるかもしれない)
一生懸命下を向いて花を選ぶブランシュは、イヴァンのことだけを考えて部屋を出てきた。
結び忘れた髪が顔をさらりと撫でる。
時折髪を耳に掛け直し、急がなければと思いながらも、じっくりと1番美しい花を探した。
悩み抜いた末に、最後は青いビオラを1つ選び手に取った。
♢
イヴァンの口からかすれた声が漏れた。
「妖精……?」
イヴァンはどうしてもと無理やり自分を呼んだ、王妃の元へ行ってきた帰り道。
体調不良でも容赦のない母親に、腹の底から苛立っていた。
だがその道中でイヴァンの目に入った、小さな花畑と長い白髪の女の子は、まるで妖精のように見えた。
「ダルク、俺はこれを見たことがあるぞ」
熱のせいで、今見えている景色が現実かどうかも曖昧である。
しかし、以前ダヴィドが言っていた「5歳の時に行ったエヴィノールでのパーティー」という言葉が、目の前の景色と重なった気がした。
「ダルク、エヴィノールについて本格的に調査を開始する」
「かしこまりました。では、熱が下がったらもう1度おっしゃってください」
「俺は本気だ」
肩で息をするイヴァンの腕を、ダルクはそっと支える。
「イヴァン様、とにかくお部屋に戻りましょう」
「そんなことより、あれはブランシュか?」
冷たい風がイヴァンの頬の熱を冷まし、女の子の顔がちらりと見えた。
そもそもこの王宮にいる白髪の人間は、ブランシュの他にいるはずがない。
「おい!」
「イ、イヴァン様!?」
ビオラを手折り、立ち上がったブランシュは飛び跳ねた。
「今すぐここに来い」
「は、はい!」
イヴァンの元まで走ったブランシュは息を荒くしたが、イヴァンを見ると悲し気に目尻が下がった。
なぜなら、自分よりもイヴァンの方が苦しそうな顔をしていたからである。
「勉強はどうした?」
「あ、その、えっと……」
ブランシュはダヴィドと勉強という時間は過ごしたものの、ペンを握っていた時間はほんの少しであるため、なんと説明したらよいのかわからなかった。
その時、圧の強いイヴァンとおどおどするブランシュの間に割って入ったのはダルクだった。
「イヴァン様が発熱したので中止にいたしました」
「……じゃあお前ここで何をしている」
「も、申し訳ございません……」
1つ低くなった声に、ブランシュの肩がビクリと跳ねる。
ブランシュ縫い子が使う南の中庭に侵入したことを、イヴァンに咎められていると思った。
ブランシュは慌てて手折った花を背中に隠したが、もちろんイヴァンが見逃すはずがない。
「おい、何を隠した?」
「イヴァン様、もう少し優しくおっしゃってください」
無意識に声をどんどん低くするイヴァンに、ダルクは思わず口を挟んだ。
「わ、私が悪いのです!」
イヴァンとダルクの顔を交互に見つめたブランシュは、隠したビオラの花を差し出した。
「なんだ、それは」
「お、お見舞いに……」
「もう1度言え。それはなんだ」
ブランシュのか細い声は冷たい風にかき消され、イヴァンには聞こえなかった。
ブランシュは目を潤ませながら、イヴァンの目をじっと見る。
「お、お見舞いに、伺いたかったのですが……謁見するための物がなくて、その、申し訳ございませんでした」
ブランシュはぎゅっと目をつぶると、体をこわばらせた。
「見舞い?それなら早く言え。行くぞ」
「イヴァン様、もう夜遅いのでやめておきましょう」
叩かれなかったことに驚いて目を開けたブランシュは、ダルクに花を差し出した。
「こ、こんな時間に迷惑をかけて、も、申し訳ございませんでした。その、失礼いたします」
ブランシュが勘違いしていることに気がついたダルクは、その花を受け取ろうと手を伸ばしたが、イヴァンが強引に花を奪い取った。
「これは俺への見舞いと言っていたが?」
「あ、も、申し訳ございません!」
「ダルク、こいつの謝罪を今すぐやめさせろ。耳障りだ」
受け取った花をぎゅっと握り、柱に寄りかかったイヴァン。
ブランシュは土下座しかけたが、二度とするなと言われていることを思い出し、今度は頭を下げようとした。
だが、ダルクがブランシュの肩にそっと手を乗せた。
「ブランシュ、眠くないですか?」
「は、はい」
「もしよろしければ、少しだけお見舞いに来ていただけるとイヴァン様が喜びます」
「おい!俺は許可してやっただけで、喜ぶのはこいつだ」
ブランシュは目を見開くと、反射的にお辞儀をした。
イヴァンはブランシュの行動に目をつぶり、そのまま歩き出す。
「イヴァン様、お待ちください。ブランシュ、行きましょう」
お見舞いという名の謁見許可が出たとわかり、口角が上がったブランシュは2人の背中を追いかけた。
ところが、ブランシュは初めて自分の足の速さで後ろを歩けたので、途端に不安な気持ちでいっぱいになったのだった。
♢
「は、入ってもよろしいのですか?」
「いいから早くしろ」
(私がお願いしたことだけど、本当に王子様の寝室へ入っていいのかな。それに今日のイヴァン様は、なぜかいつも以上に怒ってらっしゃる)
奴隷は体調でメンタルを左右できるような身分ではないため、体調が悪いから機嫌が悪いということをブランシュは知らない。
ブランシュは恐る恐る寝室に足を踏み入れると、部屋の隅にこそこそと移動する。
イヴァンはブランシュをぼんやりと見つめながら、青いビオラの花をベッドサイドに置いた。
「も、申し訳ございません。その、か、花瓶を用意できなくて……」
「野草は強いので、花瓶がなくても大丈夫ですよ。イヴァン様は早く着替えて薬を飲んでください」
ダルクの言葉に安堵すると同時に、慌ててくるりと回って壁を向き、すぐに耳を塞ぎ目をつぶった。
「あいつは何をしている」
「おそらくですが、イヴァン様の着替えの邪魔をしないようにしているのではないでしょうか」
イヴァンは服を脱ぎ捨てると、ダルクに渡された寝間着を被り、薬を水で流し込む。
「ひぃ!」
それから後ろでダルクが服を拾い集める中、イヴァンはブランシュの腕を引っ張った。
「もういい」
イヴァンはブランシュが自分を見たことを確認すると、そのままベッドに倒れこんだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫だ」
イヴァンの行動ひとつひとつに、ブランシュが体をビクビクさせる。
今も気を失ったのかと思い、ブランシュの顔は真っ青になった。
「あ、そ、それではおやすみなさい!し、失礼いたしました!」
これ以上迷惑をかけられないと、ブランシュは後ずさりをしながら部屋を出ようとした。
イヴァンはそれを許さない。
「ダルク、そいつを椅子に座らせろ」
布団に潜り込んだイヴァンはこちらを見ることなく、指でベッド近くの椅子を指さした。
ダルクが渋々椅子をベッド横に運ぶと、ブランシュはお尻を少しだけ乗せるようにして座った。
「いいか?」
イヴァンのかすれ声に、ブランシュはゆっくりとイヴァンの顔を覗く。
ところが、イヴァンは目をつぶったまま動かなくなった。
「ダ、ダルク様!?」
口を押さえたブランシュの両手の震えが、どんどん大きくなっていく。
「ど、どうしよう……」
ブランシュの目が再び潤んだが、ダルクは大き公文息をはいた。
「イヴァン様は就寝されたようですね。ブランシュ、お手数おかけいたしました」
「イ、イ、イヴァン様はだ、大丈夫なのですか……?」
「薬も飲みましたし、すぐに熱も下がりますよ。大丈夫ですから、ブランシュも安心して眠ってください。お部屋まで送りましょうか?」
ダルクが目を細めると、ブランシュから小さな安堵の息が漏れた。
「お、お見舞いありがとうございました。あの、自分で戻れます。あ、ありがとうございました」
「気をつけて戻るんですよ。おやすみなさい」
「お、おやすみなさい」
♢
ブランシュは自分の部屋に戻る道中、自分が迷惑をかけたのだと思い、うつむきながら歩いた。
(イヴァン様は具合が悪いのに、私の勉強を心配させてしまったわ……勉強していた方がよかったのかな)
顔色が赤く、息づかいの荒いイヴァンを思い出す度に、ブランシュの心が痛んだ。
(お見舞いって難しいな……)




