47.ブランシュの不安
ブランシュはイヴァンの許可を取ると、王女のための頭巾付きで、マントの様なセーターを編み始めた。
外遊びで使うということで、暖かさを重視したウールの毛糸を選んだ。
「王女様の物なのにシルクは混ぜないの?」
興味津々のマドレーヌとカリーヌは、ブランシュがカゴに集めてきた毛糸を見て、疑問を口にした。
「あ、えっと、首や手などの、その、触れる部分だけはシルクにしようと思っています……」
ブランシュが珍しくかぎ針を手に持つと、5人の縫い子は釘付けである。
そして、アンも口を挟んだ。
「あなた、編み図は書かないの?」
「えっと、それは、その……書けないので……」
ブランシュの言葉に、空組の縫い子が一斉に振り返る。
「ブランシュにもできないことがあるの!?」
「型紙は引けるのに?」
ブランシュは祖母の作業を見ながら、実際に編みながら体で覚えたので、この冬初めて編み図を見たのである。
「ねえ、ブランシュ。マフラーどうやって編んでたの?編み図を見て編んでなかった?」
マドレーヌも驚きのあまり、目を見開いて質問する。
「それは、その、形を見てただけで……読んでたわけじゃなくて。す、すみません、あの」
「別に編めるならいいんじゃない?」
カリーヌは笑いながら、自分の編んだ練習中の毛糸を見せる。
「私なんて、全然綺麗な四角にならないよ」
「私も。ちゃんと数えて編んでるつもりなのに、だんだん目が少なくなって、ちっちゃくなっちゃう」
刺繍入りの縫い子たちは、次々と失敗した毛糸を引っ張って解いた。
「私たちは練習だけどさ、ブランシュは新しい毛糸使えば?」
「い、いえ、私もこれは練習なので。その、勿体無いので解きます」
ブランシュにとっても初めての形。誰も作ったことがないので、そもそも編み図もない。
ブランシュは5人の縫い子と同様、安いウールで試作しては解き、試作しては解きと繰り返していた。
「編み図がないならその記号は何?」
イラストの描かれた紙には、ところどころ記号が入っていた。
字が書けないブランシュは、縫い物も編み物も、オリジナルの記号を使ってメモをしているのである。
「こ、ここでシルクに切り替えて、繋ぎ目の編み方を変えるとか、そういうのを書いてて……」
現在文字を習っているとはいえ、まだ難しい文字は書けない。
「にしてもブランシュの毛糸って、ほんとスラスラ解けるよね」
「わかる!私のは絡まっちゃって、ほら、結局切ることになっちゃったよ」
ブランシュは自分の作業をしながら、ほどきやすいよう糸を均一に張る持ち方などを丁寧に教えた。
♢
ブランシュは2日目の朝に、練習用のウールで作った上着を完成させた。
しかし、その手はカサカサを超えてガサガサである。
朝食後に手を洗うと、傷口に冷たい水が刺さる。
他の縫い子たちは「痛い痛い」と騒いでいた。
編み物ができると給料はいいが、慣れるまではささくれに毛糸が引っかかり、さらに痛むのだ。
キズが進むと、指の関節などがパックリ割れて血が出てしまう。
対策として、希望者には無償で安いラード(豚の油)が配られるので、寝る前などに塗るのが一般的だ。
昼食に向かう前、空組の5人の縫い子はラードを薄く手に塗った。
だが、それを見ていた空組長のジャネットは鼻で笑う。
「これだから庶民は」
ジャネットのように地位やお金のある者は、植物油にハーブの香りの良いものや、蜜蝋などを使っていた。
ちなみに、ブランシュは何もつけていない。
物を「ください」と言う資格がないと思っているからだ。
伯爵家にいるときは、多肉植物を使用人のために採取していたので、自然と保湿されていたので問題がなかったというのもある。
「ブランシュ、今日はなんだか手が綺麗じゃない?」
「あ、それはその、シルクの毛糸しかまだ使ってないから……」
縫い子の中でも身分が高いものは、王族用にシルクの毛糸しか扱わない。シルクの毛糸を使って編む者の手は、すべすべなのである。
「今日もいいの?」
「う、うん、ありがとうございます」
縫い子は皆、ブランシュを置いて休憩に入った。
♢
ブランシュは、高級なボタンがしまってある大きな倉庫に行こうと、誰もいなくなった縫製室のドアに手をかけた。
しかしブランシュの手の上に、温かい手が重ねられて、驚きのあまりブランシュはしゃがみ込んだ。
「大丈夫かい?お手をどうぞ」
ブランシュの目の前で、手を差し出したダヴィドが笑っていた。
「ブランシュ、昼食はどうしたんだい?」
なぜか倉庫について来たダヴィドは、ブランシュの後を追いかけている。
「も、申し訳ございません……」
「だと思った。それでここには何の用が?」
「ボ、ボタンを探しに……」
ブランシュは、コートにつけるボタンを探しに来ていた。
棚の隅から隅まで探して回り、気に入った物に手を伸ばしたが届かない。
「僕が役に立ったね」
ダヴィドから受け取ったボタン入りの瓶を、ブランシュは手汗で滑り落としそうになった。
なぜなら、ダヴィドが背中からブランシュに覆い被さるようにして、棚の上の瓶を取ったからである。
「そうだ、イヴァンを見かけたかい?」
「い、いえ。ど、どうかなさいましたか?」
ブランシュはちょこちょこと顔を出すイヴァンが、珍しく見に来ていないことに気がついた。
特に王族の服が関わると、1日2回も来ることもあったのに。
「どうしてイヴァンが来ないかというと、なんと風邪引いてるからなんだ」
「……え?」
(王子様は大丈夫なんじゃなかったの!?)
ブランシュは焦って瓶を落とすと、ダヴィドが拾ってブランシュの手に握らせる。
「大丈夫、このガラスと同じで頑丈なやつだからさ。一応君にも伝えておこうかと思って。じゃあね」
「ダ、ダヴィド様!?」
ブランシュも慌てて倉庫を出たが、ダヴィドの背中は遠かった。
♢
夕食後、1人部屋で編み物の続きをしていたブランシュ。
「ブランシュ、開けてくれるかい?」
突然の甘く低い声に、ブランシュはかぎ針を落とすと、カランカランと音が響いた。
「お、お待たせいたしました」
「大丈夫かい?」
「は、はい……申し訳ございません」
ダヴィドがドアを閉めると、ブランシュは壁に背中をペタりとつけた。
「まあまあ、椅子に座って。今日は勉強の日だって聞いてたから、僕が教えてあげようと思って」
ダヴィドは机の横に立つと、ブランシュを椅子に座らせた。
「まずは僕の名前を書いてみようか」
ブランシュは、すでにダヴィドの名前をスラスラと書けるようになっていた。
「すごいな、もう書けるのか。じゃあ次はジェラールとルイーズを書けるようになろうか」
ブランシュは見本を見ながら、一生懸命真似て書いた。
ダヴィドは、それを満足そうに目を細める。
「じゃあ今日はここまでにして、ちょっと僕の話を聞いてくれないかい?」
「か、かしこまりました」
ブランシュはダヴィドの前置きに肩をすくめて身構え、ダヴィドはベッドに腰掛けた。
「ここで聞いたことは秘密にしてくれるかい?」
「も、もちろんです!」
ところが、ブランシュの予想とは異なり、ダヴィドは自分の子がいかに可愛いのかを語り始めた。
「2.3年で嫌々期というものが来て、父上など嫌い!なんて言われたら……僕はきっと泣くだろうね」
ダヴィドは語り尽くすと、満足そうにベッドから立ち上がった。
「今日は付き合ってもらっちゃって悪かったね」
「い、いえ……あの、ダヴィド様」
ブランシュはエプロンをギュッと握ると、大きく息を吸った。
「お見舞いってなんですか?」
夕食前に食堂前で、今日の勉強は中止だとダルクに聞かされたブランシュ。
隣でそれを聞いたジュリエットに、お見舞いに行かないのかと聞かれたのだ。
お見舞いという概念がないブランシュは、イヴァンに失礼がないようにしたいという思いから、勇気を出してダヴィドに質問したのである。
「お見舞いというのはね、大丈夫ですか?って顔を出すことだよ」
「そ、それはどれくらいお金が必要ですか?」
ブランシュは、引き出しから巾着を取り出した。
「お金はいらないさ。例えばそうだな、果物やお花を持って行くことが多いかな。でもブランシュは、何も持って行かなくて大丈夫だよ」
ダヴィドはそう笑いながら、部屋を出て行った。
(風邪を引いているということは、寝室に入れてもらうんだよね。やっぱり謁見許可を取るために何か必要なんじゃ……)
王子の部屋に出入りすることが特別だとわかっていたブランシュ。
しかし寝室に入るとなると、それは謁見行為に当たると考え、巾着の中を見つめ悩んだのだった。




