46.雨の日の遠回り
王族会議で疲れ、王に詰められ、ダヴィドに揶揄われ、苛立ちでいっぱいになったイヴァン。
「イヴァン様、なぜそちらへ?」
「こっちからでも部屋に帰れるだろ」
仕事をしたくないイヴァンは、遠回りをするために部屋と反対側の角を曲がる。
「中庭まで遠回りする必要はないと思いますが」
「いいんだ。俺は少し働きすぎだと思わないか?」
「王子なのです当たり前かと」
イヴァンはわざとらしくため息をつくと、ダルクの顔を見ないようにして歩いた。
「あれはブランシュか?」
イヴァンの視線の先には、庭の反対側を歩いているブランシュがいた。
1つに結んだ髪を揺らして歩くブランシュは、イヴァンが初めて見る顔だった。
ブランシュは昼休憩のタイミングで、奴隷部屋に腹巻きを届けに行った帰りである。
ブランシュから物をもらうことに慣れて来た奴隷たちは、ありがたく腹巻きをもらうと、順番に使っていた。
それを知って嬉しくなったブランシュは、誰にも見られていないと思い、体を揺らして歩いていたのだ。
見たことのないブランシュの姿に、イヴァンの足が思わず止まる。
そして、振り向いてダルクの顔を見ると咳払いをした。
「ダルク、俺は休憩することにした」
「イヴァン様!?待ってください!」
イヴァンは先ほどまでのイラつきを潰すように、中庭を突っ切った。
しかし、この日はあいにくの雨。
ジャケットを頭に被せるようにして走ったが、当然イヴァンはびちょびちょに濡れた。
「イ、イヴァン様!?」
自分に近寄ってくる勢いと圧を感じ取ったブランシュは、顔から服まで濡れているイヴァンと、遠くの方から走ってくるダルクに気がついた。
「お前、昼食を取れとあれほど言っているだろ!」
息を切らしたイヴァンの口から出たのは、会うたびに言われている口癖のような言葉である。
しかし、ブランシュはそれどころではない。
「え、あ、その、だ、大丈夫ですか?あ、今ハンカチを、えっと」
ブランシュは慌ててポケットハンカチを取り出すと、イヴァンの前に差し出した。
「お前、この花が好きなのか?」
ハンカチの角には、ブランシュのエプロンと同じ青い花の刺繍が施されている。
イヴァンはハンカチを受け取ると、ブランシュのエプロンの裾を指した。
「い、以前いた伯爵家の庭に、その、たくさん生えてたので……。そ、それよりもイヴァン様、風邪を引いてしまいます!」
ブランシュはエプロンを脱いで渡したかったが、奴隷の衣服など渡すことができない。
オドオドと慌てるブランシュを見て、イヴァンの口から小さな笑い声が漏れる。
「お前はダルクみたいなこと……。だいたい俺は王族だから、風邪を引かないんだ!」
(王女様は風邪を引くかもしれないって言ってたけど、王子様は男性だから風邪を引かないのかな?)
ブランシュはイヴァンの言うことが正しいと素直に受け止め、自分も風邪を引かないようにと思った。
(寝る時につけるレッグウォーマーも編もうかな)
ブランシュは縫製室に向かいながら、そんなことを考えていた。
しかし、階段で足が止まった。
イヴァンの走る姿が、頭のどこかに引っかかったのだ。
でも、それが何かはわからない。
(ジャケットを被る……何かうまくできそうなんだけどな)
何かが浮かびかけたブランシュだが、ひとまず仕事をしなければならない。
そしてその考えは、裁縫を教えている間に薄れてしまったのだった。
♢
一方イヴァンは、ブランシュが去った瞬間ダルクに捕まった。
「イヴァン様!さすがに今のはよろしくないかと思います」
「大丈夫だ」
「だいたい、王子が風邪を引いたら困ります」
「俺は風邪を引かない」
ダルクはわがままな主人にため息を飲み込み、急いで部屋に向かうと、タオルを持って戻ってきた。
「これ、なんとかしておけよ」
イヴァンは、ダルクにジャケットを突きつける。
それから奪い取るようにして、タオルを手に取った。
♢
午後の仕事を終えた後、夕食を食べジュリエットと別れたブランシュ。
部屋に戻って勉強道具を準備しながら、頭の片隅で王女のコートについて考えていた。
だが、雨なのもあってかいつもよりも寒い部屋。
火鉢をつけるのはもったいないからと、ブランシュは少しの間だけ、マフラーをつけることにした。
(首元を温めたら体が温まる……そうだ)
ブランシュは以前イヴァンに見せてもらった、絵本の表紙を思い出した。
(イヴァン様も中庭を走る時、こんな格好じゃなかったかな。そうか、私が思ったのはこれかもしれない)
マントを頭に被せて走るイヴァンの姿と、イヴァンに見せてもらった絵本の女の子が、ブランシュの中でふと繋がった。
そろそろ部屋を出なければいけない時間だったが、ブランシュは紙を取り出しペンを握った。
「袖を作らなければシワが寄らないよね。じゃあ胸下まで布が来るようにして、背中は……」
ブランシュはひとまず、自分の頭の中にあるものを紙に書き、勉強道具に挟んだ。
それから急いで部屋の鍵を閉めて、イヴァンの元へと向かった。
♢
「遅い」
イヴァンはブランシュが珍しく遅いので、ダルクへ迎えに行くよう命じたところだった。
「も、申し訳ございません。その、お、王女様のコートについて考えていて……」
息を切らしたブランシュを見たイヴァンは、急いでこの部屋に向かってきたことがわかったので、ひとまずそれは置いておくことにした。
「急ぎじゃないと言っただろう。まあいい、とりあえず座れ」
ブランシュは慌てて椅子に座ると、羽ペンが重くなっていることに気がつき、首を傾げた。
「なんだ?」
「い、いえ、な、なんでもございません」
重いとわがままを言っては、イヴァンに失礼だと思い、ブランシュは黙ってペンにインクをつけた。
字を書くことに慣れてきたブランシュは、イヴァンの手本を見て真剣に真似ていく。
「ここはもう少し余裕を持って膨らませろ」
「は、はい」
「そしてここはもっと、字を詰めて」
「も、申し訳ございません」
ブランシュの謝罪に慣れたイヴァンは、その言葉を流しながら勉強を教えていく。
そして、あっという間に1時間が経った。
「で、王女のコートについて何が浮かんだか?」
イヴァンはチョコレートを口に入れると、それをコーヒーで流し込む。
それからブランシュにチョコレートを手渡し、頬杖をついた。
「その、え、絵を書いてみたのですが……」
「……ほう、面白いな。見たことのないデザインだが、この模様はなんだ?」
ブランシュが描いた絵には、波打つ線が描かれていた。
「そ、それはその記号を……あの、け、毛糸で編もうかと思いまして」
布は厚くて重いし、薄くすれば意味がない。
そこでブランシュは、太い毛糸で厚めに編むのはどうかと考えたのだ。
「よし、これを作れ。1週間あれば足りるか?」
イヴァンは雪が降る前に、ブランシュが完成させるだろう作品を、あの親子に自慢したかった。
「ま、間に合わせます。あの、それで、その……」
「なんだ」
イヴァンはブランシュの新しいデザインに、口角を上げながら目を細める。
「えっと、い、以前見せていただいた絵本のイラストを見たいのですが……」
「絵本?」
「あの、あ、赤いフードをかぶった女の子の絵本なんですが……ダ、ダメでしょうか?」
「赤ずきんか、なるほどな。いいだろう、持っていけ」
ブランシュがいつも以上に深いお辞儀をすると、イヴァンはブランシュの治らないお辞儀する癖に、ため息をついた。




