43.冬支度
冬になり、朝の風が冷たくなった。
使用人の部屋には火鉢が支給され、貴族の部屋の暖炉には火がついている。
ブランシュの部屋にも火鉢が置かれたが、炭のもらい方がわからず空っぽのままで、自分の編んだマフラーと腹巻きだけで寒さを凌いでいた。
「お前、また井戸に行こうとしているのか?」
炭とお湯を持ってブランシュの部屋に向かっていたイヴァンと、空の桶を持って階段を降りて来たブランシュ。
「え、えっと……その……」
「ダルク、そいつから桶を取り上げろ」
「ブランシュ、受け取ります」
肩をすくめたブランシュは、ダルクに桶を手渡す。
ブランシュは、階段をスタスタと登るイヴァンをすぐさま追いかけた。
「おい、どうして火鉢が空なんだ?」
眉をひそめたイヴァンは振り向くと、ブランシュの目をじっと見つめた。
ブランシュは肩をびくりと跳ねさせ、思わず一歩後ろ下がりかけたが、ダルクがいるため逃げ道はない。
「……あ、その……す、炭ってどこでいただけるのですか?」
イヴァンは頭を抱え、ダルクに今後は持って行くよう命じた。
同時にイヴァンはあることに気がついた。
「ドアの前のゴミをもう片付けたのか?」
「いえ、も、もう置かれておりません」
「そうか」
理由は単純で、意地悪をしていたメイドたちが、ブランシュが淡々と片付けることが面白くないと気づいたこと。
寒くてゴミを置くことが、大変になったことだ。
想像した理由とは違ったが、イヴァンは少し口角を上げると、お湯の入った桶を机の上に置き、ダルクは炭をセットした。
「俺は帰る」
「は、はい!あ、ありがとうございました。お、おやすみなさい」
ブランシュは1人になった部屋で、その暖かさに驚いた。
温かいタオルで体を拭き、マフラーと腹巻きをすれば、体の芯からポカポカする。
(こんな贅沢な生活をしていたら、きっといつかバチが当たるんだろうな)
♢
「空組の皆さん、おはようございます」
ダヴィドがアンを連れて空組の縫製室を覗くと、皆がヒソヒソと黄色い声を上げた。
「さて、この中でエプロンに刺繍が入っている者は、このテーブルに集まってくれるかな?」
裁縫教室が始まって、約3ヶ月が過ぎた。
エプロンに刺繍が入ったの者は、月組の縫い子が全員。星組の縫い子は半分と少し。
空組は、空組長のジャネットと、ブランシュの他に5人の縫い子。
「毎年編み物は、月組と星組の一部の縫い子が行っているね。でも、今年はエプロンに刺繍が入っている者にも教えることにしたんだ。異論はあるかい?」
5人の縫い子は顔を見合わせ、驚きの声を隠せなかった。
編み物は仕立て屋ではなく縫い子の仕事ではあるが、それは上級縫い子の仕事だからだ。
ミモザの刺繍を入れたマドレーヌは、ダヴィドの顔を見て目を丸くした。
「ほ、本当に編み物を教えていただけるのですか?」
「本当さ。君と君はブランシュと同じ班だったね。教えてもらうといい」
ブランシュと同じ班で、黄色いパンジーの刺繍を入れたカリーヌは、ダヴィドの言葉にマドレーヌと手を握り合う。
「ブランシュ、手当は出すからよろしく頼むよ」
「て、手当はもう」
「じゃあそういうことで」
ダヴィドはブランシュの言葉を最後まで聞かず、部屋を出て行った。
そして、廊下で待機していたチャトゥラの肩を笑って叩く。
「これでもう少し裁縫技術の向上が望めるかな?」
「そうですね」
刺繍入りエプロンを諦めた縫い子が出てきたことを察したダヴィドは、生産性を一時的に落とす覚悟で編み物教室を開くことにした。
「ここからはブランシュ次第だけど、どうなるか楽しみだ」
♢
ブランシュはまず、明るい色のウールの毛糸を5人の縫い子に渡す。
「ねえ、ブランシュ。編み物って手がカサカサになるんでしょう?」
カリーヌは嬉しそうに質問した。
ウールは手の油分を吸うため、上級縫い子の手がカサカサになるのは、ある種のステータスとなっている。
「すごい!本当にブランシュの手もカサカサだ!」
こうして学ぶ気満々の縫い子に、ブランシュは毛糸を指に掛ける方法や、かぎ針の持ち方を丁寧に教えた。
他の縫い子たちは使用人の服を直しながら、編み物をする縫い子の姿を羨むように時折見つめている。
「今日は裁縫教室参加しない?」
「ジャネットさんに参加したいって言いに行こうよ」
「刺繍は大変だけど、私たちも頑張れば編み物ができるかもよ?」
ダヴィドの目論見通り、空組の縫い子の教室参加率は跳ねあがった。
(やっぱり編み物の需要は高いから、人手が足りないんだわ)
ブランシュは編み物が足りないのだと思い、一生懸命手を動かしながら、丁寧に教えた。
5人は基本の編み方を覚えると、15cm×15cmの正方形を綺麗に作る練習を始めた。
アンとブランシュはその横で、貴族が使う羽織れるようなマフラーを編み始める。
「そんなペラペラのマフラーで寒くないのかな?」
「こ、これは室内用だから、その、薄手の方が肩こりしなくて良くて、その……」
シルクの薄いマフラーは、貴族のステータスである。
自分はこんなに薄くて肌に優しい素材でも、平気な環境にいるということの証明になるからだ。
「なんで私たちはかぎ針なの?アンさんとブランシュのとは違うけど?」
「か、かぎ針の方が使いやすくて、いろんなものを作れるから、えっと」
ブランシュが緊張でうまく説明できないでいると、もどかしくなったアンが口を挟んだ。
「これは棒針と言って、柔らかい物を作るのに適しています。伸縮性を持たせることができるので、上級階級の方々が望む物を作ることができるのです」
ブランシュは黙ってアンに頭を下げる。
だがアンはブランシュの顔を見ることなく、話を続ける。
「しかし作る物が限られているうえに、慣れるまではとても時間がかかるので、皆さんはまずそちらを使いこなせるように努力してください」
アンが淡々とまくしたてると、5人の縫い子は黙って練習の続きを始めた。
「あら、ブランシュ。あなた自分の棒針はどうしたのですか?」
「えっと……」
「お金はあるでしょう?」
裁縫箱と同様、編み物をする者は皆、自分のかぎ針と棒針を持っている。
しかし、かぎ針と棒針には、自分の名前を書かなければならない。
というのも、書けるような身分の者でないと、本来編み物をできないからだ。
(自分の名前を書けるようになったけど、こんなに小さな字はまだ書けないし……)
「ブランシュ、これを読んでみなさい」
「は、はい!えっと……ア、アン・ムートン?」
ブランシュは読み終わってすぐに、両手で口をふさぐと息が止まった。
(奴隷が文字を読めるってバレちゃった……ダヴィド様やイヴァン様が罰せられたらどうしよう!?)
口角と目尻がどんどん下がっていくブランシュを見て、アンは小さく笑った。
「名前が読めるなら、私が名前を書いてあげます。自分の物を買ってきなさい」
♢
3日後、ダヴィドとイヴァンが罰せられていないことに安堵したブランシュは、ジュリエットと王都で買い物をして帰ってきた。
ブランシュが買ったのは、かぎ針と棒針、それから大量の毛糸である。
「それどうするの?」
「い、今から編もうと思って」
「ブランシュが編み物するところ見てみたい!ねえ、ダメ?」
ジュリエットが目を潤ませると、ブランシュはすぐに自分の部屋に案内した。
「すごい!ブランシュの手ってどうなってるの?手品みたい」
ジュリエットが感心するほど、ブランシュの手の動きは熟練していた。
ブランシュは午後全部を使って、オレンジ色の腹巻を1つ仕上げた。
「こ、これジュリエットに。あの、プレゼント」
「いいの!?これ腹巻でしょ?高いから私諦めたのに……もしかしてブランシュ、知ってた?」
「えっと……ちょっとだけ」
「ありがとう!大切に使うね!」
3玉の毛糸でできた腹巻は、既製品の腹巻の5分の1ぐらいの価格である。
しかしブランシュが作った腹巻を外で売ったら、一般的既製品の倍以上の価格で売れるだろう。
「ブランシュ、毛糸触ってもいい?」
「もちろんいいけど、どうして?」
「やっぱり毛糸ってこんなに伸びないよね。どうしてこの腹巻は伸びるの?」
「そういう編み方がね、あ、あるんだよ」
ジュリエットはブランシュの前で制服の下に腹巻を付けると、喜びのあまりブランシュに抱き着いた。
ブランシュは手をどうしたらいいのかわからず、宙に浮かせたままである。
「ブランシュ大好き!」
今度はジュリエットの両手が宙に浮く。
「ブランシュ、ハイタッチだよ」
「ハ、ハイタッチ?」
「私の真似をしてみて」
ブランシュは素直に両手を上げると、ジュリエットが手を合わせて叩く。
(叩かれて音が鳴ったけど……これはなんか、ジュリエットと手を繋いでいるみたいかも)
ジュリエットはブランシュが目を細めたまま固まったので、もう1度ハイタッチをした。
一方その頃、イヴァンは第六王女に呼び出されていた。




