42.イヴァンの1日
イヴァンはどんなに遅くとも、6時にはベッドから出て身支度をする。もちろん準備するのは自分のヴァレットたちだ。
準備を終えたイヴァンは、騎士団の朝礼に参加する。
イヴァンの剣術は特別優れているわけではないが、相手のスキを突くのがうまいため、陣形を組むのに最適な指揮官なのである。
「あの新人には、もう少し短い木刀を渡せ」
「かしこまりました」
「それから4班はトレーニングをさぼりがちじゃないか?」
「申し訳ございません!すぐに指導いたします」
団長にいくつかの指示を出すと、ダルクに今日の予定を確認しながら自室に戻り、朝食を取る。
「ダルク、これは新しいチョコレートか?」
「はい。先日の交易でいただいたものです」
チョコレートとナッツのクリームをパンに塗って食べるのが、イヴァンの定番の朝食だ。
本当はそれだけで十分だったが、王子の食事がパン2枚で許されるはずもなく、スクランブルエッグやソーセージも口にする。
朝食を終えると、王宮の中を歩きながら持ち場の視察を行う。
本日は洗濯場を視察することにした。
「ダルク」
「なんでしょうか」
「ここには奴隷しかいないのか?」
仕事は基本的に男女別で行われる。
イヴァンは初めに、男性が仕事をする洗濯場にやってきた。
大量の洗濯物を各フロアから集め、種類ごとに分けることが男性の仕事である。
しかし働いている男性のネクタイは、全員黒い。イヴァンは思わず眉をひそめた。
「洗濯はヴァレットではなくメイドの仕事ですので、ここには奴隷しかおりません」
「……そうか。ではメイドの元へ行くぞ」
日中の風もすっかり冷たくなり、皆が手をさすりながら働いている。
ランドリーメイドは、運ばれて来た洗濯物を川まで台車で運ぶ。それから濡れた洗濯物を絞って干した。
「ダルク、奴隷がいないぞ」
「奴隷は川にいるのではないでしょうか」
イヴァンは裏門から川まで降りると、奴隷たちは氷のように冷えている川で洗濯をしていた。
その手は皆揃いも揃って真っ赤で、冷たい風で顔が赤い者もいる。
「なぜ俺が来ても誰も手を止めない?」
「わかりません」
「そうか。おい、そこのお前。手を止めてこちらに来い」
イヴァンは黒い髪の女に声を掛けた。
女は慌てて洗濯物を桶に入れると、イヴァンの前で土下座をする。
「……顔を上げて、質問に答えろ。なぜ誰も手を止めない?」
イヴァンは単純な疑問を問いただけだったが、それを聞いた奴隷は一斉に手を止め膝をついた。
「て、て、手を止めると折檻が待っているのかと思い動かしていました。不快な思いをさせてしまい申し訳ございません」
「「申し訳ございません」」
奴隷の行動は、訓練された騎士団のように揃っていた。
イヴァンは動揺を隠すように「作業へ戻れ」と命じて、その場を後にした。
「ダルク、あの奴隷をまとめているのは誰だ?」
「ランドリーメイド長のシルヴィですが、実際に関わっているのは下っ端のランドリーメイドでしょう」
木の陰から奴隷を見ていたイヴァンは、見知った少女が奴隷の元へ歩いて行くのが見えた。
「皆さん、休憩ですよ!門の裏にリネンを出しておいたので、よく拭いてくださいね」
ジュリエットは奴隷に声を掛けると、裏門へ戻っていく。
「おい、お前そこで止まれ」
「イ……で、殿下!」
「お前奴隷担当か?」
ジュリエットはイヴァンの言葉に少し考えてから、うなずいた。
「リネンを用意したということは、お前が昼食を運ぶのか?」
「え?あ、その、奴隷に昼食はないのですが……」
ジュリエットの言葉に、イヴァンは慌ててダルクの顔を見る。
そして自分がいかに奴隷について知らないのか、思い知らされた。
(あいつが昼食を取らないわけだ)
「あの、殿下にお願いがございます」
「昼食を用意しろ、か?」
「いえ、リネンを用意したことは内緒にしてください。私が勝手にやっていることなので」
「……そうか、いいだろう」
「ありがとうございます」
イヴァンは頭を抱えながら、自室に戻ると綺麗な服に着替えた。
「お待たせいたしました」
「いえ、今日はこのような場を設けていただきありがとうございます。こちらは私の領土の名産品のシャンパンでございます」
「ありがとうございます。よかったらおかけください」
今日の昼食は、王宮に来た東の領地主との会食である。
各領地主は月に1度王宮に来て、王族に現状報告をするのが決まりとなっていた。
「今年もぶどうが豊作でございました。来年もおいしいワインが期待できそうです」
「それは何より。綿花の方はいかがですか?」
「えっと……悪くはないのですが、その、良いとも言えないという感じでございます。も、申し訳ございません」
ブランシュが縫い子になってからというもの、衣服の交易が増えた。
よって、イヴァンはシルクやコットンなどの、素材の実りを気にしていたのだ。
会食を終えると、自室で書類仕事を進める。
外交で得た情報をまとめたり、騎士団の報告書を読んだり、貴族から上がってきた希望書に目を通したりと、やることは山ほどある。
「ダルク、コーヒー」
「かしこまりました」
イヴァンは立ち上がり体を伸ばしながら、最近見てきた奴隷の姿について考えていた。
「お待たせいたしました」
「なあ、奴隷とはああいうものなのか?」
「少なくとも私が知っているのは」
椅子にドンと座ったイヴァンは、書類の山を机の端に寄せた。
それからブランシュの勉強用ファイルを手に取ると、口角を上げる。
「今日はあいつに何と書かせようか。縫製室は難しいか?」
「いずれ必要になるかとは思いますが」
「あとは、お前の名前も読み書きできるようになってもらわないとだな」
「私ですか?」
人の名前を読み書きできることに、越したことはない。身の回りの人の名前は、できるだけ覚えさせようとイヴァンは考えていた。
「イヴァン様、そろそろお時間です」
「わかった」
夕食は、第四王子のロランと共に過ごしていた。
「例の縫い子は、大活躍のようですね」
「えぇ、ロラン王子」
「味がいいのですか?」
ニヤニヤとした笑顔とじっとりした目で、ロランはイヴァンを見つめた。
イヴァンは水を一口飲むと、鼻で小さく笑った。
「味を確認する必要もないですよ。よろしければ、ロラン王子のために刺繍でもやらせましょうか?」
イヴァンは内心苛立っていたが、自分より立場が下の王子に振り回されるわけにはいかない。
余裕を見せつけつつも、ブランシュをそういう目で見ているように見られることに吐き気がした。
「お願いしたいところですが、私のところの仕立て屋が優秀なので、ひとまず間に合っております」
「そうでしたか。それは失礼いたしました」
ロランはパンを一口食べると、イヴァンに笑いかける。
「イヴァン様の婚約者の方を、早く見てみたいものですが……あれは玩具なのでしょうか?」
「ロラン王子。あなたがそれを私に口出せるような立場でしたか?」
「失礼いたしました」
イヴァンは腹わたが煮えくりかえりそうだったが、何とか飲み込んだ。
ロランも何を言ってものらりくらりとしているイヴァンに、貧乏ゆすりが止まらなかった。
夕食を終えた2人は背を向けた瞬間に、揃って眉をひそめた。
「ダルク、肩を揉め……疲れた」
「もうすぐブランシュが来る時間ですが、よろしいですか?」
「……お前は今日のチョコレートの用意をしてこい」
「かしこまりました」
眉間に皺を寄せていたイヴァンは目を細め、準備した教材を机の上に用意する。
羽ペンもブランシュにバレないよう、少しずつ高価なものに変えているのが、イヴァンの秘密である。
「お、お待たせいたしました……」
「座れ」
「は、はい!」
イヴァンはブランシュに文字を教えながら、一生懸命になると猫背になっていく姿を眺めていた。
自分が子どもの頃は姿勢が悪いと怒られたが、イヴァンはなぜかブランシュを怒る気にはなれなかった。
「ブランシュ、終わりだ。チョコレートの時間にしようじゃないか」
「……は、はい」
食べれば喜ぶのに、なぜいつも遠慮するのかがイヴァンにはわからなかった。
ブランシュが部屋を出ると、すぐにヴァレットが10人近く入ってきて、寝る支度を始める。
「ダルク、ブランシュは昼食を取らないよな」
「そうですね」
「奴隷たちが食べたらブランシュも食べると思うか?」
「わかりません」
イヴァンはふとした時に、奴隷のことを思い出すようになった。
特にブランシュに染みついた奴隷らしさが見えると、奴隷という存在について考えてしまう。
「わかりませんが、イヴァン様がしたいようにするのが1番かと」
「……ああ」
ダルクはひとまずイヴァンに納得してもらえるよう、王子として好きにすればいい、という思いで伝えた。
しかしこれが、イヴァンの行動を後押しするなんて、ダルクは想像もしていなかった。
第8章完結




