41.タンゾワール王太子妃
イヴァンに売られないと言われたが、翌日のパーティーが終わるまで安心できなかった。
だがパーティー翌日の朝、食堂でジュリエットの顔を見たブランシュは、ようやくその事実を受け入れることができた。
♢
タンゾワールの王族が帰る前夜。
ブランシュは夕食後、食堂の前でチャトゥラに待ち伏せされていた。
「私のことは覚えておられますか?」
「も、もちろんです、チャトゥラ様」
チャトゥラはブランシュの答えに、にっこりと笑う。
「正解でございます。私はブランシュと呼ばせていただきますね」
(どうして私に敬語で話すんだろう……)
ダルク同様、自分に敬語で話すチャトゥラの気持ちがわからず、怯えたブランシュはうつむいたまま歩いた。
ちなみにチャトゥラがダルクと決定的に違うところは、おしゃべりな性格という点である。
「ブランシュ、あなたはダヴィド様のことをどう思っておられますか?」
「え、えっと、だ、第一王子殿下だと存じ上げております」
「それはそうですね」
チャトゥラは終始ニコニコと笑いながら、ブランシュの目を見て話しかけた。
ブランシュは目が合わないよう、うつむき続ける。
「ブランシュ、あなたはダヴィド様の話す通りの人ですね」
チャトゥラは小さな笑い声で、肩を揺らし続けた。
♢
ブランシュがチャトゥラに連れて来られたのは、ダヴィドの部屋だった。
ドアの外からでも微かに音楽が聞こえるのは、きっと蓄音機をかけているからだろう。
「失礼いたします」
チャトゥラはドアをノックすると、ブランシュを部屋の中に案内した。
(会食で見た……確かタンゾワール国の王太子妃?)
ダヴィドが座る椅子の向かい側には、タンゾワールの王太子妃である、エリーゼがソファーに座っていた。
ちなみに、フィルドールの第一王女でもある。
「これがあなたの玩具?」
エリーゼは鼻で笑うと、ブランシュの目をしっかりと捉えた。
「玩具ってほどじゃないんだけどね。それにどちらかというと、気に入っているのはイヴァンの方かな」
「イヴァン王子が?」
「癪だけどね」
「ジュール王子、それ本当なの?」
ダヴィドの横の椅子には、第二王子のジュールの姿もあった。
エリーゼは相変わらずニヤニヤしている。
ブランシュは全く状況がわからず、手汗をエプロンで拭うことしかできない。
「ほ、本当だよ」
「誰かに興味があるような人には見えなかったけど、私が嫁いでから変わったのかしら」
エリーゼにとってイヴァンというのは、的確な発言をする才能があるのに、フラフラと掴みどころがない。よくわからないが、顔の良い男というイメージだった。
「ブランシュ、突然呼び出してすまないね」
「あ、え、い、いえ」
「このおどおどしたのが本当に縫い子なの?」
信じられないという顔で、エリーゼは八つ当たりのようにジュールの足を軽く蹴った。
「エリーゼ王太子妃?ジュールを蹴るということは、国際問題に発展するけどかまわないかい?」
「……それは困るわね」
ダヴィド(25歳)、ジュール(23歳)、エリーゼ(22歳)は年齢が近いため、幼少期は共に勉強をした。
頭の回転が速いエリーゼは、いつもジュールをイジメていた。それをダヴィドが止めるというのが、昔からの関係である。
「ジュールもこの子のこと気に入っているんでしょう?」
「き、気に入っているというか、その……」
ジュールはブランシュに感謝している反面、ダヴィドやイヴァンを差し置いて気に入っていると言う勇気はなかった。
その態度が、エリーゼは気に食わなかった。
「そこのあなた、名前は?」
「ブ、ブ、ブランシュ、です」
「ダヴィド王子がそう呼んでいたわね。で、苗字は?」
「……ありません」
エリーゼは目を見開き、組んでいた足をゆっくりと降ろした。
王族の国際的会食の場で縫い子と紹介されるような人物が、苗字も持たない下級身分の者だなんて信じられなかったのだ。
「苗字もないような女が、王子様方と仲がいいの?やっぱり玩具じゃない」
(どうしてみんな仲がいいのかを気にするのかしら。仲がいいも悪いも、私は命じられたことに従うだけの奴隷で、この方が言う通り玩具でしかないのに)
「あなたどこ出身?」
「西側の領地の伯爵家の……」
ブランシュは爵位が剥奪された伯爵の名を出していいのか迷った。しかしエリーゼはそれを許してくれない。
「伯爵家出身なのに苗字がないなんて、どこの伯爵?」
「え、あ、その……ヴェルフェレ伯爵閣下です」
「あら、父親に売られたなんて、相当嫌われていたのね」
エリーゼは満足げに笑ったが、その隣のダヴィドの目は鋭かった。
ジュールはエリーゼとダヴィドの顔を交互に見ると、目尻がどんどん下がっていく。
「ご兄弟は?」
「い、いません。それにその、伯爵家の馬小屋出身で……」
ブランシュは没落したとはいえ、伯爵の名を穢さないよう、自分は関係ないことを伝えたかった。
ダヴィドとジュールはブランシュが奴隷だったことを知っているので、その気持ちを察することができたが、エリーゼは違う。
「そんなの奴隷じゃない!どうして裁縫ができるの!?」
エリーゼは思わず大きな声を出し、立ち上がった。
ダヴィドはブランシュが奴隷と罵られたことに眉をひそめながらも、なぜ裁縫ができるのかはエリーゼ同様に気になっていたので、ブランシュの顔をチラリと見る。
「あ、え、えっと、伯爵夫人には娘がおらず……そ、それと、私の祖母が裁縫上手で……」
「ふっ、なんだ。裁縫だけを叩き込まれたのね。いかにも奴隷の使い方って感じで、納得したわ」
ブランシュも、自分が典型的な貴族の奴隷だという自覚があったので、エリーゼの言葉に「そうなんです」と言いたいぐらいだった。
エリーゼは腕を組み、ソファーにドンと座る。
「えっと、奴隷の使い方っていうのはその、どういうことなんだい?」
「あら、ジュール知らないの?自分の子どもがどんなに覚えが悪くても、親は暴力をふるうのをためらうでしょ?でも奴隷なら自分が思うままに育てられるし、自分の思い通りにいかなければ……わかるでしょう?」
ダヴィドはエリーゼの言葉に吐き気を覚えたが、同時にブランシュの裁縫技術について納得した。
ジュールは想像以上の言葉に、青い顔をしている。
一方ブランシュは自分を奴隷として扱うエリーゼに、懐かしさと安堵まで覚えていた。
ダヴィドは目を細めたブランシュの顔を見て、小さなため息をつく。
「エリーゼ王太子妃、話を変えよう。エヴィノールの王の白髪について何か知っているかい?」
ダヴィドの言葉に、エリーゼはふっと笑う。
「知ってるわ。白髪と赤い瞳は、3代前のエヴィノールの王の象徴だったそうよ。でも10年以上前にクーデターが起きて、現在の王族は青みがかった髪色と瞳に変わったわ」
3人は一斉にブランシュの顔を見た。
白髪とオレンジ色の瞳は、エヴィノールの王と関係があるのだと、見たこともないダヴィドもジュールも思った。
ブランシュはただ皆が自分の目を見るので、逸らすこともできず緊張で眩暈がした。
「当然現在も、白髪と赤い瞳は迫害されていると聞いたわ。この奴隷もきっと、容姿だけで迫害された人の子孫ってところね。そしてエヴィノールの奴隷がこの国に流れてきた」
エリーゼはブランシュを鋭い視線で見上げながらも、優しい顔で嘗め回すようにじろじろと見た。
ジュールはうつむき、ダヴィドは腕を組んでじっと考え込む。
「違いないわ。私の考えが外れるはずないもの。そうでしょ?そこの奴隷もそう思うでしょ?」
「は、はい……そ、その通りです」
エリーゼは満足げに笑い、翌日タンゾワールへと帰っていった。
♢
タンゾワールの王族が帰ってから2週間後。
結局、騎士団の交流として王族の方々に同行する羽目になってしまったイヴァンが、ようやくタンゾワールから帰国した。
帰って来たイヴァンは、その足でブランシュの部屋へ向かった。
ブランシュは仕事を終え、夕食前に裁縫箱を置きに部屋へ戻ってきた。
しかし、かけたはずの鍵が開いており、心臓がバクバクと鳴りだす。
「……え」
浅い息でゆっくりとドアを開けると、目の前の光景に目を見開いた。
部屋の中にはなぜか机が増えており、その上にはスープやパン、果物がたっぷり並んでいる。
「遅い」
「イ、イヴァン様?」
「食事だ、付き合え」
突然の事態に、ブランシュはダルクの顔を見た。
しかしダルクは首を横に振るだけである。
「あの……なぜここで食事を」
「俺の部屋にいたら、ダヴィドが来ちゃうだろ」
(ダヴィド様が来るとどうして困るんだろう。それにこんな豪華な食事……)
「いいか?俺はお前を口実にここで休む。その褒美としてこれを食え。わかったか?」
「か、かしこまりました」
ブランシュはよくわからなかったが、イヴァンが自分を利用するために来たことだけはわかり、ひとまず安堵した。
裁縫箱を自分の机の上に置くと、新しく持ち込まれた椅子の上にちょこんと座る。
「なあ、お前エヴィノールと関係あるのか?」
「な、ないと思います。生まれも育ちも、に、西側の伯爵家の馬小屋ですから……」
ブランシュはなぜ皆がエヴィノールとの関係を聞くのかわからなかったし、イヴァンもなぜブランシュがエヴィノールに興味がないのかわからなかった。
「お前は自分がなぜ白い髪なのか、気にならないのか?」
「えっと……し、白い髪に生まれただけですから」
イヴァンが大きなため息をつくと、ブランシュは背後に気配を感じ慌てて振り向いた。
「お前なぜここにいる?」
「ダ、ダヴィド様……」
ダヴィドはニッコリと笑い、ソファーに腰掛けた。
「イヴァンの居場所ぐらい、すぐわかるからね」




