40.疑問の始まり
「おやすみ、ブランシュ」
「鍵かけろよ」
「はい、おやすみなさい。失礼いたします」
ブランシュを部屋に送り届けたイヴァンとダヴィドは、鍵が閉まる音を確認してから階段を降りた。
「イヴァン。1つ聞くが、なぜブランシュを縫い子にした?」
「今更奴隷に戻すと言うのか?」
「純粋な疑問さ」
ダヴィドの質問に、イヴァンは頭を掻きながら、冷たい視線を送った。
「明らかに怯えていたが、布を見る目は職人そのものだった。あのビクビクした態度で、正確な答えが返ってきた。信じられるか?」
「にしてもだよ。リベットのドレスを任せるなんて賭けじゃないか?」
ダヴィドもブランシュの腕は、もう十分知っている。
しかしそれは今の話であって、本来奴隷にドレスを触らせるなんてあり得ないと思っていた。
「実際賭けだった。でも黒いリボンをつけた女が、長さや時計を知っていた。あり得るか?」
イヴァンは当初ブランシュの様子を見て、身分を偽っているのではないかと思った。
しかし、偽るならランドリーメイドを名乗ればいいと、一瞬でその可能性を捨てた。
奴隷でいることに、メリットは1つもない。
それは先ほどの光景で、改めて理解させられた。
「君の人を見る目は確かだからね。今更ながらよくやった」
「別にお前のためじゃない」
「知ってるよ、じゃあおやすみ」
「……ああ」
♢
イヴァンは自分の部屋に向かいながら、道中すれ違う貴族令嬢やメイドの黄色い視線を無視した。
(裁縫技術もそうだが、観察力はどこで手に入れた?)
ブランシュの物覚えが、特別いいわけじゃないことは、勉強を通して知っている。
わからない。
裁縫技術を練習する時間があったのか?奴隷にそんな環境があったのか?
イヴァンはあったのだろうと結論づけた。
しかし、観察力は努力だけでどうこうなるものじゃない。もちろん見るポイントを学べば、全くできないわけじゃないが。
実際王族や高貴な身分の者は、観察力がないと失脚する可能性がある。そのため必死に観察することで、身につけていくのだ。
(暴力を受け続けたら、そうなるのか?奴隷はそうなのか?)
♢
「おかえりなさいませ、イヴァン様」
「ダルクは?」
「フロアのヴァレットの元へ」
イヴァンが自室に戻ると、10人のヴァレットが就寝前の準備をしていた。
ダルクはイヴァンのヴァレットであるが、上級ヴァレット長でもあり、とても忙しい。
イヴァンが席を外す時は、ヴァレット長として働いている。
「この中で奴隷を見たことがある者は挙手を」
イヴァンは椅子に座ると、さりげなくヴァレットに質問した。
すると10人全員が挙手した。
「では奴隷と話したことがある者」
すぐに7人が挙手する。
「お前、なぜ奴隷と話した」
「仕事を振るためです」
「お前は?」
「支給品を渡すためです」
「お前は」
「自分はぶつかられました」
3人目の答えに、イヴァンの眉はピクピクと反応した。
イヴァンは目を瞑り、深呼吸をする。
「お前はぶつかられてどうした?折檻か?」
イヴァンは淡々と、感情を乗せず質問した。
「……申し訳ございません」
「なぜ謝る?」
「それは、その、奴隷にぶつかられたのに、折檻という程のことをしなかったので」
ヴァレットは上級使用人として、正しい振る舞いができなかったことで、イヴァンに怒られると思った。
イヴァンは深い息を吐くと、机に頬杖をつく。
「殴ったか?」
「いえ、蹴りました」
「……そうか」
イヴァンにとって、奴隷はただの雑用係である。正直下級使用人と何も変わらない。
(奴隷は安い使用人ではないのか?)
イヴァンは言い方がキツいことはあっても、暴力を振るうことはない。意味がないと思っていたからだ。
指で机を叩くイヴァンを見ながら、支度を続けるヴァレットたちは、なぜ自分たちが奴隷について聞かれているのかわからなかった。
イヴァンがブランシュに肩入れしていることは、もちろんヴァレットたちもわかっている。
しかしイヴァンが“ブランシュという女の子”を気に入っているだけで、そこに“奴隷”が結びついているとは、想像もできなかった。
「全員今日は終いでいい」
「「かしこまりました」」
ヴァレットたちはイヴァンに一礼してから、部屋を出て行く。
同時に、ダルクが入れ違いで入ってきた。
「ただいま戻りました」
ダルクはお湯の入った桶をベッドサイドに置き、ヴァレットが用意した石鹸やタオルを確認する。
「ダルク……俺はお前に暴力を振るったことがあるか?」
「ええ、剣術の時に」
王子は成人するまで、毎日剣術を学ばなければならない。
イヴァンは6歳の時から、6つ年上のダルクと剣を交えてきた。
「あれは……別に暴力じゃないだろ」
「剣術は人を傷つけることができるので、私は暴力と捉えることができると思います」
剣術の授業では、たとえ王子であってもしっかりと叩かれる。技術とは、頭ではなく体に叩き込むものだからだ。
「イヴァン様だってダヴィド様に、本気で剣を振っていたではありませんか」
「木剣だろ」
「当たり前です」
イヴァンはダルクと剣を交えるよりも、ダヴィドと交える方が、圧倒的に上達した。
ダヴィドから受ける痛みを、一瞬で体が覚えたのである。
(確かに暴力は有効だ……)
「だから?」
イヴァンの独り言に、ダルクは返事をしなかった。
♢
「イヴァン様、それでは私も失礼いたします」
「……待て」
イヴァンは寝巻きになったはいいが、寝られる気がしなかった。
いつもなら着替えが終わった時点でダルクに休みを取らせるが、なぜか1人になりたくない。
「何でしょうか?」
「お前は明日早いのか?」
「いつも通りでございます」
「じゃあ茶を入れろ」
「かしこまりました。お酒が残っているようでしたら、ハーブティーはいかがでしょうか?」
♢
ブランシュはベッドに入ろうとして、突然響いたノックに飛び上がった。
「ブランシュ、開けろ」
低い声にブランシュが慌ててドアを開けると、イヴァンとダルクが立っている。
ブランシュは初めて見るイヴァンの寝巻き姿に、思わず目を背けた。
(わ、私が見てはいけないものだわ……なんでこんな時間に!?)
驚きと焦りを隠せないブランシュを見て、イヴァンも驚くと同時に安堵していた。
「お前……寝ようとしていたのか?」
「は、はい!あ、いえ、も、申し訳ございません……」
きっとブランシュも眠れず、暗い顔をしているかもしれないと思っていたイヴァンは、すっかり拍子抜けしてしまった。
「心配して損した」
「も、もう1度おっしゃっていただいてもよろしいでしょうか?」
「なんでもない!」
(やっぱり私何かしてしまったんだわ。奴隷の売買は夜に行われるの?……メイド服を着ているとダメなのかも)
用件が勉強でも裁縫でもなさそうなので、ブランシュはいよいよ売られるのだと、イヴァンの目を見ることができなかった。
イヴァンの言葉を聞き取れなかったことも、余計ブランシュを不安にさせた。
「お前、茶に付き合え」
「……え?」
「いいから部屋に入れろ」
イヴァンはブランシュの返事を待たず、そのまま部屋に入る。
ブランシュはお辞儀をしてから、イヴァンの元へ歩こうとしたが、視線を感じて振り返った。
「私も入ってよろしいでしょうか?」
「も、もちろんです!申し訳ございません!」
ダルクはブランシュにお礼を言うと、机の上に籠を置いてお茶の準備をした。
ブランシュがドアを閉めると、イヴァンはいつものようにベッドに座っていた。
「お前、手のひらを見せてみろ」
「……えっと」
「早く来い」
イヴァンは会食で、ブランシュが手を強く握りしめていたことを思い出した。
しかしブランシュはイヴァンの前に来たが、もじもじとするだけで手を見せない。
「……この手はどうした?」
イヴァンは我慢できず、ブランシュの手を掴んだ。
手のひらはくっきりとした爪の跡が4つと、内出血したかのように赤く滲んでいた。
「も、申し訳ございません……売り物が
「……もう1回言ってみろ」
「そ、その、売り物を傷つけて……」
イヴァンは会食での様子と、中庭での顔を思い出し、ブランシュの手を離すと頭を抱えた。
「ダルク、茶は?」
「できております」
ダルクはイヴァンとブランシュに、カップを1つずつ渡した。
「ブランシュ、飲め」
「は、はい!……いただきます」
ブランシュは温かいお茶を飲むと、心までポカポカとした。
「いいか?お前はこの国の縫い子だ。誰にも売らない、わかったら返事をしろ」
「……はい」
イヴァンは今日何度目かわからないため息をついたが、ブランシュがお茶に目を輝かせているのを見て、目を細めた。
「ブランシュ、寝れそうか?」
「は、はい。ありがとうございます」
ブランシュは売られないことを知って、無意識に肩の力が抜けた。
(明日もジュリエットに会えるんだ)
ブランシュの口角が少し上がると、イヴァンの口角も上がった。




