37.親善会食
この国の名前は「フィルドール」です。
ブランシュは早朝に起きると、寝間着のまま部屋を雑巾がけした。
それからベッドを綺麗に整え、制服に着替える。
真っ黒なメイド服は、小さなブランシュが自分に合わせて丈を直した。
おろしたてのピカピカの靴は、少しも削れていない。
シミもくすみもない白いエプロンの裾には、青いコルンブルーメの花の刺繍が入っている。
ブランシュは髪をくしで梳かすと、いつも通り白いシュシュで1つに結ぶ。
(今日がこの部屋最後の日になるかもしれない……)
ブランシュは荷物を机の上にまとめてから、振り返ることなく部屋を出た。
北側の中庭に行くと、井戸で顔を洗うとハンカチで丁寧に拭き、身だしなみを完璧に整える。
食欲はなかったが、ジュリエットの顔を見るために食堂へ行き、スープを少し食べた。
ジュリエットと別れ、ブランシュは深呼吸をして覚悟を決める。
ブランシュは言われた通りの、広間に向かった。
♢
来客用の広間に到着すると、白い扉には金の装飾が施されていた。
ブランシュは、大量のレディースメイドの向こう側にイヴァンを見つけた。
しかし小さすぎるブランシュに、イヴァンは気づいていない。
(人も多いし手汗が……でも真っ白なエプロンで拭くわけにもいかないし、どうしよう)
あまりじろじろと見てはいけないという気持ちに加え、緊張からブランシュが視線を落とすと、イヴァンの手に王妃の小指と薬指がさらりと触れたのが見えた。
何度も触れる手を見て、ブランシュはあれがスキンシップなのだと思った。
奴隷である上に親のいないブランシュは、スキンシップというものを言葉でしか知らない。
廊下が人でいっぱいになると、扉がゆっくりと開いた。
王妃とイヴァンが部屋に入ると、王妃のレディースメイドも2人部屋に入っていった。
しかし残りは整列すると、スタスタと立ち去っていく。
ブランシュはどうしたらよいのかわからず、顔をキョロキョロと見渡しているうちに、廊下に取り残されてしまった。
「ブランシュ、中へどうぞ」
ブランシュが部屋に入ってこないので、見かねたダルクが仕立て屋の隣に立つよう声を掛ける。
ここにいる4人の仕立て屋は、王妃のドレスを作り、ブランシュの刺繍の見本を真似てハンカチを作った者たちである。
1番端にちょこんとブランシュが立った隣には、以前パッチワークのアドバイスを求めてきた仕立て屋だった。
「お前も来たのか」
やっぱりかと言わんばかりに口角を上げた仕立て屋だが、横3人はブランシュが来たことでムスッとしている。
ブランシュはできるだけ肩をすぼめ、小さく縮こまった。
♢
タンゾワールの王族の方々と、この国の王が椅子に座る。
「ご来訪いただき、改めてお礼を申し上げます」
「こちらこそおめでたい場に呼んでいただき感謝致します」
「もうそろそろで来ると思いますので、今しばらくお待ちください」
2人の王が挨拶をしている間、服を汚せないと思ったブランシュの爪は、跡がつくほど手に食い込んでいる。
イヴァンはそれに気がつき視線を送ったが、ブランシュはそれに気づかなかった。
最後にダヴィドとルイーズが赤子を抱いて部屋に入ると、皆が拍手をして迎えた。
「大変お待たせ致しました」
「お待ちしておりました、ダヴィド王子、ルイーズ王子妃」
全員が席に着くと、この国の王が軽く咳払いをする。
「それでは我がフィルドールと、タンゾワール国の友好と、この国の新しい命に乾杯!」
「「乾杯!」」
グラスを掲げた王族たちはお酒を飲みながら、長い長いテーブルの豪華な食事に手を付ける。
もちろん、話題は赤子についてである。
「ダヴィド王子にそっくりな子が生まれたね。お名前は?」
タンゾワールの王は、赤子に小さく手を振った。
「ジェラールと名付けました」
「とてもいい名前だ!お前もそう思うだろう?」
タンゾワールの王は自分の妃の肩を叩き、ご機嫌に笑う。
ダヴィドも笑顔で対応しながら、かごの中で眠るジェラールの頭を優しく撫でた。
ジェラールは、ダヴィドと同じ癖のない金髪。瞳はルイーズの黒に、ダヴィドの青みが混ざったような色をしていた。
ブランシュがチラリと見えたのは、自分が縫ったブランケット。
(公の場でまさか使うなんて……)
申し訳なさでいっぱいになったブランシュは、それを掻き消すように、さらに力を込めて手を握りしめる。
豪華な料理とお酒を、続々と運んでくる使用人。
ブランシュは粗相がないよう集中しながら、静かに目の前の景色を見つめていた。
「イヴァン様、こちらを」
イヴァンの名前に反応したブランシュが声の方を目を向けると、ダルクが水の入ったコップを渡しているところだった。
よく見ると、イヴァンの顔はほんのりと赤く、その横で王妃が酒を勧めている。
「そうだ、イヴァン王子」
「なんでしょう?」
「時間がある時で構わないので、我が国の騎士団に指導をしてくれないか?」
タンゾワールの王は、選抜した15人の騎士団を連れて来ていた。
この国の騎士団担当のイヴァンは、外交でも剣術や馬術に関わっている。
ダルクはイヴァンに耳打ちをした。
イヴァンは立ち上がり、タンゾワールの王の前で頭を下げる。
「よろしければ我が国の騎士団に、そのことについて先に指導させていただいてもよろしいでしょうか?」
「かまわないよ」
「善は急げということで、1度ここで席を外させていただきます」
「悪いね」
イヴァンは他の王族にもお辞儀をしてから扉に向かう。
ダルクが扉を開けると、ブランシュは振り返ったイヴァンと目が合った。
♢
イヴァンがいなくなってから30分程で、王がタンゾワールの王族に声をかける。
「ではそろそろ贈り物をお渡ししてもよろしいでしょうか?」
「毎回悪いね」
「いえいえ。まずは王族の皆様にハンカチを」
ダヴィドのヴァレットであるチャトゥラは、仕立て屋に1枚ずつハンカチを渡す。
ブランシュも、震える手でハンカチを受け取った。
(あ……これ、私が刺繍したやつだ。何かあってもこれだけは自分の首でなんとかできるんだ)
ブランシュは自分で責任を取れることに安心した。
その間に仕立て屋は、タンゾワールの王と王妃、王太子、それから王太子妃に手渡した。
ブランシュもまだ受け取っていないご息女に、慌ててハンカチを渡す。
女の子はハンカチを受け取ると、飛び跳ねて喜んだ。そしてブランシュに抱きついた。
子どもの自分が何かもらえるとしたら、それは毎回お菓子だからだ。
ブランシュは子どもと関わったことがなかったので、どうしたらいいのかわからなかった。
しかしそんなブランシュを気にかけることなく、タンゾワールの王族たちはハンカチを見て興奮していた。
「これは美しいベルドゥジュールじゃないか!」
「隣の花はヴェロニク・ドゥ・ペルスだ」
「ちょっとお前のハンカチも見せてみなさい」
王太子妃を除く3人の大人は、自分たちのハンカチを見せ合っては感嘆の声を上げた。
一般的に贈り物のハンカチは、来訪国の王と王妃のみに渡す。正確に言うと、2人分を用意するのがやっとなのだ。
「我々が友好国だということが、よく証明されたハンカチですな。本当にありがとうございます」
タンゾワールの王の言葉に、フィルドールの王族4人も自分たちのハンカチをそっと取り出し、テーブルの上に置いた。
「い、いったい何枚作ったんだ!?素晴らしい!」
「2か国の国花入りを9枚も……。この国の仕立て屋は大変優秀ですな」
ブランシュは怒られているわけじゃないとわかり、なんとか息を吸うことができた。
しかし、依然として女の子の後ろで動けずにいる。
「こんなにも細かくて丁寧な刺繍を、今まで見たことがない!」
「孫にまでいただき、感謝の言葉では言い足りませんな」
「ルイーズ。素晴らしい国に嫁げて、お前は幸せ者だな」
「ええ、本当に」
「それで、どの仕立て屋がデザインしたんだ?」
タンゾワールの王族は、一斉に仕立て屋に顔を向けた。
しかし、ルイーズがダヴィドよりも先に口を開いた。
「ここにいる縫い子ですよ、お父様」
その瞬間、場が静まり返った。




