36.ジェラール誕生
10月18日、王宮は歓喜の声で包まれていた。
中央の中庭は、お祝いの深い赤紫のダリアで埋め尽くされている。
第一王子と第一王子妃の間に、赤子が生まれたからだ。
♢
朝食後、ブランシュはいつものように星組の縫製室へ向かった。
「ブランシュおはよう!」
ブランシュがマドレーヌに「さん」をつけるたびに、呼び捨てでと言われ続けること数ヶ月。
「お、おはよう、マドレーヌ」
ブランシュは勇気を出して、そっと手を振った。
マドレーヌは満面の笑みを浮かべ、小走りで駆け寄る。
「もう“さん”付けは絶対に禁止だからね!」
「が、頑張ります」
「敬語も早くやめて欲しいのになぁ」
マドレーヌは笑いながら、ブランシュを小突く。ブランシュは困ったように、でも嬉しそうに笑った。
空組の縫製室に座ると、同じ班の縫い子たちは新品のエプロンを作り始めた。これはダヴィドの命令である。
「やっぱりこれも、第一王子様のご子息が生まれたからかな?」
「全部新しく綺麗なものにしたいってことなのかもね」
縫い子たちは、修繕ではない仕事を楽しんだ。
「ブランシュ、ここ真っ直ぐ縫えないんだけどなんでかな?」
「えっと、ま、待ち針を倍つけたら、ど、どうでしょうか?」
「……ちょっとサボっちゃった」
マドレーヌは笑いながら、頭にキノコがついた待ち針を止めていく。
「ブランシュ、ご子息様ってどんな子かな?」
「……どんな?」
「ブランシュは第一王子様と仲良いでしょ?何か知らないの?」
ブランシュは驚き、椅子が倒れそうなほどの勢いで立ち上がった。
(他の王族の方々にも聞かれることがあるけど、奴隷と仲が良いなんてありえないのに……。親しく見えているなら、なんとかしないと)
ブランシュは毎回この質問に困った。
与えられた命令に従っているだけで、そこに好意も悪意もない。
一緒にいるから仲が良いとか、一緒にいないと仲が悪いという概念もない。
そもそも奴隷が悪意を持つなど許されないのだ。
ダヴィドが奴隷と親しくしていると、勘違いされていることに焦ったブランシュは、王妃のドレス作りという命じられた仕事を無心でこなした。
♢
(すごい……今日もお肉が入ってるし、果物まである!)
少し口角が上がったブランシュを、ジュリエットが笑いながら小突いた。
「ブランシュってほんと、そういうところが好き!」
「あ、ありがとう?」
今日の夕食のメニューは、ソーセージの入ったスープと、ライ麦のパン。
ブランシュは真っ赤なリンゴを、大切に抱えた。
「そういえばブランシュ、ダヴィド様のご子息様ってダヴィド様に似てるのかな?」
「どうだろう?」
「知らないの?」
ブランシュは、なぜ自分が知っていると思われたのかわからず、目をパチパチとさせる。
ジュリエットはそれを見て、目を細めた。
「ま、それがブランシュだよね!」
夕食後、ブランシュはよくわからないままジュリエットと別れた。
それから部屋に戻ると勉強道具を抱え、コソコソとイヴァンの部屋に向かう。
「ブランシュ、早いですね。まだイヴァン様は部屋に戻って来ておりません」
「ダ、ダルク様。で、ではまた後ほど伺います」
「イヴァン様から、中で勉強して待つよう言われておりますので」
ダルクがドアを開けてくれたので、ブランシュは恐る恐る部屋に入る。
(何度座っても、この椅子には慣れないよぅ)
王族用の椅子に座り、イヴァンが置いておいてくれた見本を見ながら、文字を練習する。
「きちんと勉強しているな?」
ドアが開くと、ブランシュは飛び上がった。
イヴァンは後ろにいた、たくさんのヴァレットに休みを取るよう命令する。
そして、ブランシュの隣にドンと座った。
「あ、あの……」
「なんだ?」
「も、もしイヴァン様がその、お、お忙しいなら勉強は……」
ダヴィドは子が生まれたので、当然色々忙しい。するとダヴィドの仕事は、必然とイヴァンに降りてくる。
ブランシュは数ヶ月間勉強しているうちに、イヴァンの業務量が多いことに気づいていた。
だがそんなことを言われると思っていなかったイヴァンは、思わずため息をつく。
「あいつと俺は関係ない。勉強を続けろ」
「も、申し訳ございませんでした」
ブランシュはイヴァンを怒らせたと思い、焦った結果ペンが落ちた。するとインクが床に溢れ、すぐさま土下座する。
「おい!ブランシュ、いいか?俺の前で2度と土下座をするな。わかったか?」
イヴァンの低い声が体に響くと、ブランシュはすぐさま立ち上がった。
「……た、大変申し訳ございませんでした」
(……2度目はもうないってことだわ)
ブランシュが勘違いからペンを震わせていると、イヴァンは書類に目を通しながら深いため息をつく。
「あいつが父親かよ」
ぼそっと呟いたイヴァンに、質問したかった言葉を飲み込んだ。
「言いたいことがあるなら言え」
しかしイヴァンは、ブランシュが視線を落としたことに気がついている。
「あ、えっと、その……おめでとうございますと書きたいのですが……」
「……いいだろう」
♢
「ブランシュ、それ何の花?」
赤子の誕生から1週間後。
食事は通常通りに戻り、噂話も落ち着いてきた頃。
縫い子に任されていた王妃のドレスのパーツは完成し、残った部分は現在仕立て屋が縫製することになっている。
そして同じ班の縫い子が、下級メイドのエプロンを作る中、ブランシュはハンカチに花の刺繍をしていた。
「ベルドゥジュールという、お、お花です。タ、タンゾワールという国の国花だと言われました」
この国ではあまり見かけないその花は、薄いピンクが美しく、5枚の花弁でできているラッパのような形の花であった。
「タンゾワールって東の国か。今度王族が来られるんでしょ?」
マドレーヌは納得し、裁縫を再開した。
タンゾワールという国は、この国の東側にある。
3週間後に、タンゾワールの王と王妃、王太子と王太子妃、5歳のご息女がご来訪されることになっている。
というのも、タンゾワールの王と王妃は、この国の第一王子妃であるルイーズの両親なのだ。
「タンゾワールの王太子妃って、この国の第一王女様でしょ?そりゃあブランシュが抜擢されるわけだ!」
マドレーヌの言葉に、同じ班の縫い子たちは「やっぱりね」と顔を見合わせる。
他国の王族が来訪するとなると、本来は自国の国花のハンカチを贈るのが一般的である。
今回は友好国の来訪ということで、ルイーズがタンゾワールの国花の絵を描いた。
ブランシュはそれを見ながら見本を作り、現在仕立て屋が真似て何枚も花の刺繍が入ったハンカチを作っている。
「やっぱり国花の刺繍ができるといいよね」
「手に職があれば結婚できるしね」
下級メイドが妊娠すると解雇されるため、結婚する者はほとんどいない。
逆に上級メイドのような家柄のしっかりした者は、嫌でも結婚しなければならない。
「王宮での生活も悪くないけど、お金があるなら私は領地に戻ってもいいなぁ」
「王宮で働いてたって肩書は大きいよね!」
奴隷だったブランシュは、将来のことを考えたことがなかったので、縫い子たちの考えに驚いた。
(みんなとても優しくていい人だから、幸せになって欲しいな)
♢
その晩、ブランシュは日記にベルドゥジュールの花の絵を描いていた。
「おい、開けろ」
聞き覚えのある低い声に、ブランシュは椅子から飛び跳ねる。
そして急いでドアを開けると、イヴァンがメイド服一式と木箱を持って立っていた。
「お前、靴と服を新しくしろ。エプロンの刺繍も新しくやり直せ」
イヴァンは机の上に荷物を置くと、慣れた様子でベッドに腰掛ける。
「えっと……」
ブランシュはドアを閉めたが、その場から動けなかった。
「タンゾワールの王族の前に出るのに、お前のそれではみすぼらしいだろ」
「そ、それはどういう……」
自分の服が、他の縫い子の服よりも古いのはわかっていた。むしろ、そういうものを選んだのだ。
「ダヴィドの妻の出身国だ。お祝いでご来訪されるって、使用人の中でも噂になってるだろ」
「は、はい。でも、その、王族の前に出るというのは……?」
(玄関に使用人が全員並んだりするのかな?)
ブランシュなりに一生懸命考えたが、イヴァンの答えはそれをはるかに上回っていた。
「お前も会食に出るんだよ」
「……え!?」
「ブランシュ、お前大きい声出るじゃないか」
イヴァンは声を出して笑うと「そういうことだ」と言い残し、足早に部屋を去った。
(な、なんで……まさか、う、売られるの?)
ブランシュは思わず泣きそうになったが、大きく息を吸ってから、ごまかすようにエプロンの刺繍を始めた。




