30.ブランシュの部屋
ブランシュは食堂の前でジュリエットと合流し、木の器とパンを受け取り、定位置となった1番端っこに座った。
今日は0のつく日なので、メニューは鶏肉が入ったシチュー。
申し訳なさを感じながらも、ブランシュはこの日を楽しみにしていた。
「うわぁ……い、いただきます」
ブランシュが食事の挨拶をすると、ジュリエットも隣で挨拶をする。
ジュリエットはシチューを食べながら、隣で一生懸命冷ましているブランシュを見つめる。
ブランシュが奴隷でなくなってから、季節が1つ変わった。
お肉はだいたいスープに入っているので、暑い日でも熱いスープを飲まなければならない。お肉に慣れているメイドの中には、熱いことに文句を言う者がいる。
しかしブランシュは温かい食べ物に目を輝かせ、お肉を食べては頬を抑えている。
「ブランシュ、私のお肉分けてあげる」
「ダ、ダメだよ!大事なお肉、ジュリエットが食べて?」
身分が変わり、ブランシュはジュリエットよりも上の立場になった。それでもブランシュは何1つ変わらず、またジュリエットも変わらなかった。
「ブランシュってほんと、ブランシュだよね」
「そ、そうかな?」
ジュリエットはそんなブランシュと、食事を取る時間がとても楽しみだった。
♢
エリアーヌのハンカチが、完成してから少し時間が経った頃。部屋の前に腐った果物や、小動物の死体が置かれるようになった。
ブランシュはそれ以降、念のため部屋に鍵をかけるようになった。
(イヴァン様やダヴィド様にもらった物は、汚されるわけにはいかないし……)
仲の良い縫い子や、ブランシュをよく思うメイドも出てきたが、奴隷上がりという状況は変わらない。
しかし、ブランシュは慣れた手つきで、淡々と掃除した。ゴミも動物の死体も、奴隷には見慣れた物だからである。
(私が奴隷であるばかりに、不快な思いをさせている人がいるんだわ。わざわざ階段を登って、ここにゴミを運ばせてしまっているなんて……申し訳ないな)
奴隷に嫌がらせをするのは、奴隷でない者の常識だと思っているブランシュ。
奴隷という存在が人をどれだけ不快にさせるのか、小さい頃からよくわかっていた。
もちろん嫌がらせをしている者たちは、そんな態度のブランシュを見て、平穏でいられるわけがない。
さらに、ブランシュが1人部屋をもらったと、次々と噂が広がっていった。
ブランシュの部屋を、ぐちゃぐちゃにしてやろうと皆が思った。しかしなぜか鍵がかかっている。
所詮は奴隷。閉じ込められているのだと思い、部屋の前だけが汚れ、それはエスカレートしていった。
♢
「そ、それでは失礼いたします」
勉強を終えたブランシュは、イヴァンの部屋からそさくさと抜け出し、自分の部屋へと戻っていく。
「……忘れていた」
イヴァンは、部屋に用意した紙がそろそろ無くなると、ブランシュに言われたことを思い出した。
イヴァンは、毎回逃げるように部屋を出て行くブランシュのことが面白くなかった。
少しからかってやろうと思いながら、紙を持って部屋を出る。
「な……これはなんだ」
ブランシュの部屋へ行くと、部屋の前には散乱した生ごみとネズミの死体。イヴァンは無意識に、一歩後退りをした。
そこにブランシュが木箱を持って、戻ってきた。
「イ、イヴァン様?」
「お前、何をしている?」
「も、申し訳ございません!」
ブランシュはイヴァンの目を汚してしまったと思い、慌ててゴミを木箱に入れていく。
その光景に、イヴァンは目を見開いた。
「お前、手袋はないのか?」
「えっと……ありません」
「汚いだろ!」
「も、申し訳ございません……あの、その、手を洗っていますから」
ブランシュはゴミを全て木箱に入れると、雑巾で綺麗に床を拭く。掃除は奴隷の特技である。
「で、では失礼いたします」
「おい待て!どこに行く?」
「こ、この箱を、その、片付けに行ってきます……」
生ゴミの入った箱を、その辺に置いておくことはできない。
ブランシュは1番近いゴミ捨て場まで、往復30分かけて毎日通っていた。
「そうか……俺はお前に用があったんだが?」
「あ……」
(用もなくイヴァン様が来るはずないのに……どうしよう)
生ゴミを持ったブランシュは、イヴァンのそばに行くことができず、目を泳がせるだけだった。
イヴァンはため息をつく。
「俺は紙を持ってきたんだ。部屋に置いておく。わかったな?」
「あ、ありがとうございます!」
♢
翌日ブランシュは生ゴミを片付け、部屋の鍵を回すとなぜか開いていた。
ブランシュはもらった物が無事か確認するため、慌ててドアを開ける。
「遅い!」
「……も、申し訳ございません」
男性の低い声にブランシュは小さく飛び跳ねると、そのまま頭を下げた。
「イ、イヴァン様……」
「まあいい、入れ」
ブランシュは急いでドアを閉めると、イヴァンの元へ歩いて行く。
しかしすれ違うようイヴァンは立ち上がり、部屋の鍵を閉めた。
ブランシュは折檻が待っているのだと思い、その場に両膝をつく。
「はぁ、お前はなんでいつもそうなんだ……」
イヴァンは頭を掻きながらベッドの中央に座った。
そしてブランシュに、隣に座るよう言った。
ブランシュは手汗をエプロンで拭いながら、ベッドの端に座る。
「……もういい。それより、お前の部屋の前はいつもああなのか?」
「それは……えっと、はい……」
イヴァンはつい舌打ちをした。
ブランシュは、思わず自分の体を抱きしめる。
「考慮して鍵つきの部屋にしたが、正解だったな」
「も、もう1度おっしゃっていただけますか?」
イヴァンがボソボソと呟くので、ブランシュには聞き取れなかった。しかしイヴァンはブランシュを無視して、ベッドに置いておいたジャケットをブランシュに押し付ける。
「これに刺繍をしろ」
「……えっと」
ブランシュは少し悩んだ。
本来洋服は、裏地をつける前に刺繍をするものである。でないと裏地に縫い目が出て汚く見えたり、厚手な物だと針が通らないからだ。
「こ、これは……せ、正装のジャケットですか?」
重厚感のあるジャケットは、上質な布と細かい装飾が施されている。それは、普段着ている物の比べものにならない。
「そうだ。何か問題あるか?」
「……わ、私が刺繍をして、い、いいのですか?」
正装となると、一般的に男性服の刺繍は仕立て屋が行う。最近はブランシュの裁縫教室の効果もあり、仕立て屋の刺繍技術も向上している。
ブランシュはなぜ自分なのか、全く分からず困惑した。
「お前にやれと言っているんだ。わからないのか?」
「い、いえ……。その、どの部分に刺繍をしたらいいのでしょうか?」
場所によっては糸をほどき、表地と裏地の間から刺繍できる。しかしイヴァンの答えを聞いて、ブランシュはそれを諦めた。
「後ろ襟の下はどうだ?正装の場で正面や袖はマズいかもしれないからな」
背中側は布の面積が広いので、デザイン自体はしやすい。
しかし襟の糸はほどいてしまうと、芯が取れたり歪んでしまうため、それはできなかった。
「か……かしこまりました」
「できるのか?」
できないことはない。
ブランシュは、エリアーヌのハンカチのようにしようと考えた。
「ちょ、直接刺繍するのではなく、その……刺繍をしたものを縫い付ける形でも、よ、よろしいでしょうか?」
イヴァンは顎に手を当てると、ブランシュの目をじっと見つめる。
思わずブランシュは冷え切った手で、エプロンをギュッと握りしめた。
「ブランシュ」
イヴァンは立ち上がると、ベッドの端に座るブランシュのすぐ隣に座った。
「方法などなんでもいい」
ブランシュは壁の方を見て俯く。
(なんでイヴァン様はこんなに近いの……?私何かしちゃったかな)
「このジャケットに刺繍しろ」
ブランシュはゴクリと唾を飲んだ。
そして声を振り絞る。
「お、仰せのままに」
イヴァンはニヤリと笑った。




