28.第二王女の事情
ブランシュは夕食後、急いで部屋に戻った。
そしてすぐにデザインを描いた紙と裁縫道具を机の上に広げ、正座して待機した。
しびれ始めた足をブランシュがさすっていると、突然ドアが勢いよく開いた。
驚いたブランシュの体が後ろに倒れると、エリアーヌは鼻で笑う。
「さすが奴隷ね」
エリアーヌは大きなハンカチを取り出すと、ブランシュのベッドに敷き、その上に座った。
ブランシュが動けずにいると、エリアーヌはベッドを叩く。
「で?早くしてちょうだい!」
ブランシュは慌てて立ち上がると、よろけながらも急いで机の上の紙を手に取り、エリアーヌに手渡した。
「……いいわ、説明しなさい」
「は、はい」
ブランシュはまず、レースは編み直せるということを伝えた。本題は穴の方である。
「そ、その……あ、穴の方は元通りにはできません」
「だから?」
「お、2つ同じ刺繍を作り、両面から縫い付けるのがいいかと……」
ほんの小さな穴であれば、穴をくっつけるように縫うこともできたが、エリアーヌのハンカチの穴は大きかった。
「2つ作る意味は?」
「そ、その……ハンカチに直接刺繍するためには、ど、土台が必要なんです」
穴を隠すように大きく刺繍をすると、表側の穴は隠せる。しかし裏側から見れば刺繍の糸が、穴の中に見えるだけで解決にならない。
そこでブランシュ自身したことはないが、あるアイデアが浮かんだ。
「ま、まず、その、同じ刺繍を2つ作ります」
「なんで2つ必要なの」
「そ、それを両面から縫い付けるんです。そうすれば、えっと、どっちの面から見ても穴は見えません」
聞いたこともないアイデアに、エリアーヌは目を見開いた。
そしてもう1度渡された紙を見てみる。
そこにはマーガレットや、マーガレットに似たような形の花。それからいろんな形の葉っぱの絵が描かれていた。
つまりその中のどれかを2つ作ろうというのが、ブランシュの考えだった。
「……花は嫌。マーガレットがかすむって考えなかったの?」
「も、申し訳ございません!」
慌ててブランシュが膝をつくと、エリアーヌはブランシュに紙を突きつけた。
「この葉っぱにしてちょうだい。マーガレットの花へ伸びるようにして」
「お、仰せのままに」
ブランシュはエリアーヌに、縫製室から拝借した5種類の白い糸から、レースに使う物を選んでもらった。
エリアーヌは明日また来ると言って、そのまま出て行く。
ようやくブランシュはゆっくりと息を吸うことができたのだった。
(今晩中にレースを編み直そう。できるだけ癖を真似ないと)
♢
「あなた第五王女様と仲がいいでしょう?」
翌日、夜遅くに部屋へやってきたエリアーヌは、鋭い目で話しかけた。
しかしブランシュは何と答えたらいいのかわからない。
自分は仕事をしているだけで、リゼットと友達というわけではない。だが、仲は良くないと言うのも良くないだろうと思うと、何も言えなかった。
「少なくとも私よりは仲がいいはずだわ。あなたもそう思うでしょう?」
エリアーヌはブランシュが答えられないことをわかっていたので、うつむくだけのブランシュに口角を上げた。
「それで?葉はどうするつもりなのか説明しなさい」
ブランシュはようやく答えられる質問に、机の上から10種類の緑の刺繍糸をエリアーヌに見せる。
それから図案を広げ、色の調整とエリアーヌの好みを尋ねた。
「この緑がこっちの色が良いわ。これでもいいけど」
「で、でしたら色を重ねましょうか?」
ブランシュは声を震わせながら、エリアーヌの選んだ2つの刺繍糸を解いて重ねて見せた。
エリアーヌの目が思わず見開く。3種類も糸を重ねるのは、技術がないと難しいと知っているからだ。
「悪くないわ……今すぐ進めなさい!」
「お、仰せのままに……」
ブランシュは図案の絵を、とても薄い綿の布にチョークで書き写した。
その後刺繍枠に布をはめると、緊張で冷え切った手をこすりあわせてから、そっと針に糸を通す。
エリアーヌは腕を組み、ブランシュのすぐ隣に立って見下ろしていた。
「あなた、この穴はどうして空いたかわかる?わからないなら今すぐ考えなさい」
ブランシュは昨晩レースを編みながら、そのことについて考えていた。
これだけ大切にされているハンカチを、エリアーヌが穴を空けたとは思えない。つまり誰かがやったのだ。
ブランシュは穴の小ささを見て、最初は太いペンを刺したのかと思った。だがそれだとレースが破れたり、ほつれる理由に繋がらない。
ふと自分の手を見たブランシュは、穴と同じ大きさのように見えた自分の親指を、そっと当ててみた。
その瞬間、ブランシュは固まってしまった。
穴と自分の指のサイズがほぼ同じだったからではない。親指以外の指先が、レースに当たったのを見て理解したからだ。
「……ふ、踏まれたのですか?」
エリアーヌの口から息がもれた。
「第一王子様や第三王子様が構うわけね」
エリアーヌはぽつぽつと、ハンカチについて話し始めた。
初めて婚約者がくれた物が、このハンカチだということ。
政略結婚だが、自分は彼を愛しているということ。
大事な日に必ず持ち歩いていたこと。
レディースメイドや他の王女に自慢していたこと。身分が上の、第一王女とリゼットにだけ話していないこと。
「あなたにはわからないわ!自分の大切なものを踏みにじられる気持ちが!母親の身分だけで上下がつくこの私の立場が!」
エリアーヌは机をドンと叩くと、ブランシュがただ悲しそうな顔で自分を見つめていることに気がついた。
「明日も来るからなんとかしなさいよ!」
♢
エリアーヌが来訪してから3日目の夜。
ブランシュがイヴァンの元から急いで帰ると、階段の下でエリアーヌと鉢合わせた。
「あなた本当に口が堅いのね」
このハンカチについて、エリアーヌに話す者が1人もいなかった。
イヴァンも、ダヴィドも何も言わない。エリアーヌはリゼットの名前を出したので、何か言われると思っていた。
自分が脅したとはいえ、どうせ誰かに告げ口するだろうとエリアーヌは覚悟していたため、思わず口にしてしまうほど驚いていたのだ。
ブランシュは同じ刺繍を2つと言ったが、実際は左右対称に作らなければならない。
声を荒げるエリアーヌを思い出すたびに体が震えたが、爪が食い込むほど手を握って正確な刺繍に仕上げたのだった。
「こ……のような形にな、なりました」
美しい葉の刺繍に、エリアーヌは言葉を失った。しかしすぐに腕を組んで続けるようブランシュに命令し、ベッドに勢いよく座った。
「あなた、友達はいる?」
エリアーヌはブランシュの顔を見ることができず、手元を見つめながらつぶやいた。
ブランシュは少し考えてから、ゆっくりと言葉にする。
「み、皆様もよくしてくださいます……で、でも奴隷の私が友達と呼んでいいはずないのです」
ジュリエットに自分の友達だと言ったブランシュだが、それを他の人に言えない。
慎重にハンカチをひっくり返しながら、丁寧に刺繍を縫い合わせるブランシュの顔を見て、エリアーヌは眉間にしわを寄せた。
「あなたは別に……もう奴隷じゃないでしょう」
エリアーヌの言葉に、ブランシュの手が初めて止まった。
「私、あなたのこと嫌いだったわ。大っ嫌いだったの」
(第二王女殿下をそんな気持ちにさせていたなんて……申し訳ないわ。でもなぜ嫌い"だった"なの?私はずっと奴隷なのに)
「私の成人パーティーを覚えてるかしら?1ヶ月も前から考えて作らせた真っ赤なドレスを、あなたの作ったリゼットのドレスに目を奪われたでしょ?」
もともとリゼットのことは嫌いだった。自分より後に生まれたのに、正嫡の子というだけで特別扱いされていたからだ。
そして成人という大きな区切りの日の主役を奪った、リゼットのドレスを作ったブランシュを憎んでいたエリアーヌ。
ブランシュはリゼット様のことを思い自分の仕事をした。
色やデザインの被りはちゃんと考えたものの、誰かを傷つけたくなかったブランシュには、つらい言葉だった。
ブランシュは何も言えず、エリアーヌも黙り、2人の間には沈黙が続いた。
しばらくしてエリアーヌはため息をつくと、顔を覆って深くうつむいた。
「あのね……」
エリアーヌは大きな深呼吸をすると、ブランシュの目を見つめた。そして重い口を開いた。
「リゼット第五王女様のドレスを破いたの、私なの」




