24.ズボンの裾
ブランシュがパッチワークを教えるようになってから、イヴァンは毎晩縫製室を覗きに行った。
この日もブランシュを覗きに来たイヴァンだったが、部屋の電気はついているのにブランシュがいない。
「お手洗いか?まさかダヴィドに絡まれているんじゃないだろうな」
ため息をつきながら部屋から出ると、1本道を曲がったところで転んだのだろう使用人に、手を貸すブランシュが見えた。
「そういえば足を引きずって歩く使用人をよく見かけるが……ズボンの裾にシミ?」
イヴァンは疑問に思ったが、ブランシュが使用人にお辞儀をするのを見ると、そんなことどうでもよくなった。
目の前のブランシュが振り向くと、自分を見てびくりと肩を震わせるから、思わず口角が上がる。
「イ、イヴァン様……」
「早くしろ」
イヴァンの後ろをちょこちょこと歩くブランシュ。
2人で縫製室に戻ると、手際よく片付け始めるブランシュを見ながら、イヴァンは木の椅子に座った。
(椅子が固い……いっそ俺用の椅子をここに置くか?)
そんなことをイヴァンは考えていると、ブランシュは小さなブランケットを手に持って、そっと近づいて来た。
「あ、あの、よかったら……椅子に敷いてください」
「……受け取っててやる」
「あ、ありがとうございます」
ブランシュが机を拭き始めるのを見て、イヴァンは口を開いた。
「おい」
「はい!」
(なぜこいつは毎回驚くんだか……)
「さっきの使用人はなぜ転んでいた」
「……わかりません」
イヴァンの予想通りの答えだったが、ブランシュの顔がいつもより暗いことに気がついた。
イヴァンは机に頬杖をつくと、ブランシュの目を見つめる。
「質問を変える。使用人のズボンの裾のシミはなんだ?」
「あ……わ、わかりません」
ブランシュの体が小さく震え始める。
(なぜブランシュまで震える。やはりこいつは何かを知っているな?)
「そこの椅子に座れ。お前の足も見せてみろ」
「……お、仰せのままに」
ブランシュは言われた通り椅子に座ると、メイド服の裾を軽く持ち上げた。
イヴァンは白い靴下を隅から隅まで確認したが、シミは見当たらない。特別異常もない。
「イヴァン様!」
「なんだ?ダルク。血相を変えて」
イヴァンがこの時間に出歩くことを知っていたが、ダルクはどこに言っていたのかまでは知らなかった。
しかしブランシュに関わる時は、極端にヴァレットの数を減らすので、この時間もブランシュの元へ行っていると推測したのだ。
「イヴァン様こそブランシュに何をしているのですか!?」
「お前誰に口を利いているのかわかっているよな?俺はただブランシュの足を見ていただけだ」
「見ていただけ……?」
イヴァンは王子なので、何をしても許される。とはいえ教養は持ち合わせているため、ダルクはこの状況の意味がわからなかった。
「なぜ慌てている」
「じょ、女性の足を見るというのは……そういうことだからです。せめてここではない方がよろしいかと」
ダルクにそう言われて、イヴァンは自分の行動をようやく理解した。
「ダルク、部屋の前で待ってろ」
「かしこまりました」
ダルクが部屋を出ると、イヴァンは顔を擦り小さな声でブランシュの名前を呼んだ。
「悪かった。その、そういう意味じゃない。ただ……知りたかっただけだ」
「ぞ、存じております」
ブランシュは深いお辞儀をした。王子にヴァレットの前で恥をかかせてしまったことを、申し訳なく思ったからである。
イヴァンはわざとらしく咳ばらいをしてから、ブランシュに顔を上げるように言った。
「ブランシュ、もう1度聞く。お前はズボンのシミについて何も知らないんだな?」
「……はい」
「じゃあ例えばの話だ。ズボンにシミを付けた使用人に、俺ができることはなんだ?」
ブランシュは目を大きく見開くと、息を漏らした。
王子にできることを言うということは、王子に命令するに近い。
しばらく沈黙が続いた末に、ブランシュはゆっくりと息を吸った。
「た、例えばですが……ミツロウかはちみつなんかが喜ばれるのではないでしょうか?」
(確かにはちみつは滋養強壮にいいと聞くし、甘いものは元気が出るからな)
「わかった」
イヴァンは部屋を出ると、ダルクに話は聞こえていたかと聞くと、何もと返ってくる。
ダルクは優秀なヴァレットなので、聞こえないよう部屋から離れた場所で待機していた。
それからすぐに小さなはちみつ瓶を用意させると、イヴァンは廊下で待機し、シミの付いた使用人を見つけた瞬間に声を掛けた。
「お前、その足どうした?」
「へ?あ、いや……なんでもありません」
(まあ予想通りの答えだな。簡単に教えてくれるなら、ブランシュが言っていただろうしな)
「そうか、まあいい。それよりこれをやろう」
「えっと……」
「はちみつだ。嫌いか?」
「い、いえ!ありがとうございます!」
使用人は瓶を受け取ると、満面の笑みでお辞儀をした。
(ブランシュも奴隷に果物を分け与えていたようだし、その辺の使用人もはちみつ程度で嬉しいのか?)
欲しいものがすべて手に入るイヴァンには、何かをもらって嬉しいという感覚が薄かった。
ブランシュがなかなか報酬を受け取らないのは例外としても、まさか使用人がはちみつごときで喜ぶと思っていなかった。
それからイヴァンはダルクに小さなはちみつ瓶を10個と、大きな瓶を1つ用意するように言った。
そして大きな瓶を抱え、縫製室に向かう。
「ブランシュ」
「は、はい!」
ブランシュはやはり飛び跳ね、それからすぐにお辞儀をする。
「お前にもこれをやろう」
「……へ?」
「なんだ?お前ははちみつが好きではないのか?」
「えっと、その……食べたことがありません」
ブランシュはエプロンをぎゅっと握ると、申し訳なさそうにうつむいた。
まさかの答えにイヴァンは驚くと、すぐに自分の部屋に連れて行き、はちみつのかかったパンを食べさせた。
「これが、はちみつ……」
「どうだ?」
「とてもおいしいです!その、お、お砂糖とも違う味がします」
口を開けたまま固まるブランシュを見て、使用人ははちみつを食べると元気になるのだとイヴァンは思った。
ブランシュが大事そうにはちみつを持って部屋を出ると、イヴァンはかごに小さなはちみつ瓶を10個入れる。
翌日からイヴァンは、ズボンの裾にシミを付けた使用人を見つけると、強引にはちみつ瓶を渡すようになった。
どのヴァレットも最初は警戒していたが、すぐに頭を下げて笑顔で感謝するので、イヴァンはダルクに追加の瓶を用意するよう命じた。
ダルクはなぜそんなことをしているのかわからなかったが、主人の命令に素直に従った。
この日、ダルクは食糧倉庫のはちみつを、小さな瓶に移そうとしていた。
そこにダヴィドが顔を出す。
「ダルク、それはイヴァンの命令か?」
「はい」
「悪いが中止してくれ。イヴァンは部屋にいるんだろう?」
ダルクはダヴィドとイヴァンの部屋に戻ると、イヴァンは頬杖をついてダヴィドを見上げた。
「イヴァン、最近はちみつを配っていると聞いたが本当かい?」
「あぁ、だったらなんだ?」
「命令だ、中止しろ」
ダヴィドがゆっくりと口角を上げると、イヴァンは立ち上がる。
「なぜだ?」
「王族が使用人に、褒美でもなく物を配るのは違うだろう」
こうしてはちみつ配りは、ダヴィドによって強制終了となった。
機嫌が悪くなったイヴァンは、ブランシュの元を訪ねる。
しかし、ブランシュはなぜか手首に蜂蜜を塗っていた。
「ブランシュ、お前何をしている?」
「あ……」
「その腕はどうした!?」
手首から腕にかけて赤く腫れた腕に驚き、イヴァンは思わずその腕を掴んだ。
ブランシュが一瞬顔をしかめたのを見て、慌てて手を離すイヴァン。
「い、痛むのか?」
「た、ただの火傷です……その、アイロンをぶつけてしまって」
「それでなぜはちみつが必要になる」
「……火傷が服につくと、その……痛いので」
イヴァンはブランシュの腕をもう1度見た。
思い返してみると裾にシミを付けた使用人は、皆ある王子の部屋に出入りしている者ばかりだった。
その王子は身分の低い者を極端に嫌っており、特に男性を毛嫌いしていることで有名だったので、イヴァンの中にある仮説が立った。
「それが……服を汚すんだな」
ブランシュは黙ったまま俯き、イヴァンは顔を覆った。
(他の王子の遊びか……嫌なものを見た)
第5章完結




