2.王子の修繕命令
ブランシュが連れてこられたのは、立派な縫製室だった。
イヴァンは木製の丸椅子を指でなぞってからゆっくり座ると、小さなブランシュを見下ろした。
「お前、裁縫できるだろ」
その一言で、使用人が一斉にざわついた。奴隷に裁縫などできるはずがない。
しかし、ブランシュは体を震わせながら頷いた。
「このドレスを2時間で直せ」
「……あ、そ、それは」
「もちろんここにいる使用人を全員使っていい。デザインを変えても構わない。これは命令だ」
王子の命令は絶対である。
よって、ブランシュができる返事は1つしかなかった。
「お、仰せのままに……」
裂かれたのは正面右側の約50cm。
これがレース部分だけなら簡単だったが、メインの布地まで綺麗に裂かれている。
刃物で刺す時に布をピンと張ったのだろう。スカートの付け根の生地もたわんでしまっている。
(ズタズタにされていないのは、恨みではなくただ恥をかかせるためだけ?でもまずは……)
問題なのは、これがシンプルなドレスだということ。誤魔化すための飾りを上から重ねるわけにもいかず、レースのようにひだを集めようにも布が足りないのだ。
「あ、あの、紙とペンを……あと、チュ、チュールはございますか?できれば、その……濃い緑のチュールを」
「はっ、お前字が書けるのか?」
鼻で笑いバカにした顔をしているのは、風格のある仕立て屋の男性。
ブランシュに字が書けるはずはないので、その考えは的を射ていた。
「え、絵を描きます……」
「皆ブランシュの言う通りに用意しろ」
「か、かしこまりました……」
イヴァンがにっこり笑うと、縫い子は頬を赤らめ、仕立て屋は渋々動き出した。
イヴァンはというと、ブランシュをじっと見つめ続けている。
「おい、これは何で切られたと思う?」
「ぺ、ペ、ペティーナイフかと思われます」
「そうか、根拠を言え」
「……ド、ドレスに刃を入れる時、い、勢いをつけて刺すと思うのですが、4cm程少し広く穴が膨らんでいます。ふ、拭き残しがあったのか、ほんのりとしたシミも……」
膨らんだ4cmの内、下側3mm程が少し変色していたのをブランシュは見てしまった。
包丁を拭く時は刃でない方から布を当てるので、刃先に果物の汁が残っていたのだろう。
「ダルク、朝食に果物を食べたかリゼットに聞いてこい」
「かしこまりました」
黒髪のヴァレットは頭を下げると、ちらりとブランシュを見てから部屋を出て行った。
「他には?」
「そ、その、包丁で布を切るのは難しいと思いますこぇ……ズタズタになっていないのは、や、やらなかったのではなく、できなかったのではないでしょうか」
ブランシュは、聞かれたこと以外は何も答えなかった。いや、答えられなった。
イヴァンは指で机を叩き、ブランシュから目を離さない。
「ほら奴隷、やるよ」
「あ、あ、ありがとうございます」
鼻で笑った仕立て屋が投げ渡したのは、くしゃくしゃにシワがよった薄茶色の粗悪な紙だったが、久しぶりの紙にブランシュは目を輝かせた。
イヴァン以外の仕立て屋、縫い子、使用人は皆眉に皺を寄せているが、ブランシュは気が付いていない。
ただほんのり口角を上げたブランシュは、たったものの数分で綺麗なドレスの絵を描き上げた。
「そ、そんな絵など誰でも描けるわ!」
「まあまあ、ブランシュも頑張っているんだ。邪魔するな」
驚きからイヴァンのことを一瞬忘れてしまった使用人は、イヴァンの低い声に肩をかすかに震わせ、口を静かに閉じた。
(ずっと視線を感じる……皆様の目を汚してしまうから、見ないで欲しい。特に殿下……)
緊張でいっぱいのブランシュは、時々手汗を服で拭きながら、自分の描いたドレスの絵に小さく裂かれた線を引いた。そしてその上から裾に広がる三角を作り、さらに4本の線を引きひだ(しわ)を描いた。
「デ、デザインができました」
「説明しろ」
「は、はい。こ、このドレスを切り替えデザインに変更します。まず破かれた部分を含めて、三角に布を切り取ります。そ、そこにギャザーを寄せたチュールを縫い付けます」
ブランシュは震えながらも、スラスラと簡素な記号を書き始めた。
四角の中に3つの点は、3つ折りにしてアイロンをかけるという意味。ジグザグ模様は、ギャザーを寄せるという意味。
普段は使用人に「はい」以外の返事をすることがないブランシュたどたどしくも自分の絵を一生懸命説明した。
「おい奴隷、なぜオーガンジーを使わない?」
「じ、時間がありません。オーガンジーの裾を処理する時間が惜しいのです……」
柔らかいチュールはほつれないため、オーガンジーの代わりになる。ブランシュの機転を利かせた発想を、誰も理解することができなかった。
おまけに、そのデザインをダサいと受け入れられずにいる。
「俺はこのデザインを採用する」
「イヴァン様なぜ!?」
「質問を禁じる。すべてブランシュに従え。いいな?」
「「……仰せのままに」」
誰もが惚れるウインクに落ちない女性を、イヴァンは今この瞬間初めて見た。
ブランシュが慌てて目を逸らす横で、縫い子の女性はそろいもそろって見惚れている。ブランシュの素っ気ない態度にイヴァンは鼻で笑った。
(あれがジュリエットの言っていた天使の王子様……みんなを見つめてるからそう呼ばれてるのかな。これから針を持つのに手汗がすごい。あと1時間45分もないのに)
「な、何するの!?」
「最低!」
周囲の反応にブランシュの肩をびくりと跳ねさせたが、受け取ったハサミでドレスの裂け目の頂点から裾まで躊躇いなくザーっと切った。
戻ってきた使用人は悲鳴を上げて慌てたが、イヴァンだけが頬杖を付きその指先をじっと眺めている。
「チュールをその三角の布の幅の倍以上の大きさで、だ、台形に切ってください」
「下に履くのは緑のパニエだけど?」
「そ、それが透けないぐらいのボリュームが欲しいです」
「……わかったわ」
縫い子の女性は仕方なくチュールにはさみを入れたが、仕立て屋はわざとだらだらアイロンをかけた。
(ど、どうしよう。それじゃあ伸びちゃう。あ、あのお方の作るひだも緩い……。切り替え部分を縫うのに、1時間は欲しいのに足りるかな……)
ブランシュは丁寧に糸の処理をする縫い子にアイロンを頼み、自分の手を一生懸命動かした。
そもそも奴隷は人に仕事をお願いすることはありえないので、この方が落ち着くとも言える。
「ブランシュの手は見ていて飽きないな。あ、仕立て屋は全員帰っていいぞ」
「イ、イヴァン様!?」
「縫い子たちはブランシュと共によく働いている。お前たちにもう用はない、下がれ」
「「も、申し訳ございません……」」
イヴァンの言葉にも不満げに部屋を出て行く男たちに、これまたブランシュは気がつかなかった。
なぜなら、人生で初めて触る最高級なシルクの感触と、針と糸をリズミカルに動かす至福に浸っていたからである。
(あれ……みんなはけちゃった。奴隷といると穢れちゃう。ずっと我慢していただいて申し訳ない……)
我に返ったブランシュはうつむいたが、それでも手を動かし続けた。
ようやく手が止まったのは、ブランシュの背中に伸びた影と圧だった。
「ほう、素晴らしいできだな」
「……あ、も、申し訳ございません」
「時間だ」
仕上げのアイロンをかけていたブランシュは、少しの間時計を見るのを忘れていた。
「お前……まあいい。そのドレスを持ってこい。リゼットのもとへ行くぞ」
「お、仰せのままに」
ブランシュの声は今にも消えそうなほどか細かったが仕方ない。
(ど、どうして急に手を握ってきたの!?穢れてしまいますよ!?……緊張で吐きそうだよ)
イヴァンはブランシュの持っていたアイロンを、手を握るかたちで置かせたからである。
「本番はこれからだろ?ブランシュ」
甘ったるい声に、ブランシュの震えは止まらなかった。




