14.グラデーション
王宮の客間で、手芸屋の店主は初めて見る王子に怯えていた。自分がなぜ呼び出されたのか、説明されていなかったからだ。
「し、失礼いたします……」
ノックと共に入ってきた白髪の小さな女の子を、店主は二度見した。
「遅かったな、ブランシュ。まあいい、説明しろ」
真っ黒なメイド服の少女を見て、店主は高貴な家の出だと思い、膝をついて頭を下げた。
イヴァンはそれを面白そうに眺めている。
♢
ブランシュは店主に布を渡した。
「この水色に淡いピンクの染料を重ねて……紫がほんのりと入った、グラデーションの布を作ることは可能でしょうか?」
「……なぜ俺に?」
初めて会う人であることに加えて男性である店主の顔を、緊張したブランシュは見ることができない。
勇気を出してちらりと顔を上げれば、ニヤニヤしているイヴァンと目が合ってしまった。
(せっかく来てもらったんだから、頑張ってお願いしないと)
「お、奥様のワンピースがとても素敵でした。旦那様が染めていると伺ったので、ぜ、ぜひともお力をお借りしたいのです」
店主は驚いて、口を開けたまま固まった。このことを誰にも話したことがなかったからだ。
「……これは王子様のご命令でしょうか?」
「いや、こいつの個人的頼みだ。受けるも断るも自由にしたらいい」
イヴァンは目を細め、ひじ掛けに腕を乗せて頬杖をついている。
「お嬢さん、お名前は?」
「ブ……ブランシュ、で、す」
息継ぎをするように名前を答えると、店主はブランシュの手を握った。
(手汗が……奴隷の手など触らないでください)
思わずぎゅっと閉じた目を、ブランシュはすぐに見開いた。
「ブランシュさん、この仕事を引き受けよう。で、俺はどうしたらいい?」
「悪いがそこから先の話は、そのヴァレットと進めてくれ」
ダルクと店主が部屋を出ると、ブランシュは胸をなでおろした。
「さあブランシュ、ここからが本番だ」
含みのある笑い声に、ブランシュは止まらない手汗を一生懸命エプロンで拭うのであった。
♢
ブランシュはいつもの空組の縫製室ではなく、1度だけ来たことがあるリゼット専用の部屋に連れていかれた。
「技術の高い月組の縫い子は、第二王女エリアーヌ様のドレスを作っている。よって、私とあなたを含めた10人が制作チームです。異論はありますか?」
「い、いえ……ありがとうございます」
アンは仕立て屋抜きでドレスを作れという、意地悪をしたつもりだった。だがブランシュは、アンがチームを作ってくれたことに感動していた。
(マドレーヌたちをチームに入れてくれるなんて、きっと人見知りの私に配慮してくれたのね。アン様はとてもお優しい方だわ)
「ではさっそく、デザイン画をもとに役割分担を発表しなさい。このチームの責任者はブランシュ、あなたなのですから」
アンは淡々と突き放すようにブランシュを鋭い目で見る。
しかしブランシュはドレスで頭がいっぱいで、アンの視線に気がつかなかった。
「こ、この中でレースを編める方はい、いらっしゃいますか?」
「私しかいないわ」
「で、ではアン様。袖部分を編んでい、い、いただきたく存じます。ほ、星組の御三方は型紙を引けますでしょうか?」
「ええ、まあ」
ブランシュは手早く説明すると、マドレーヌを含む5人に真っ白な布を渡し、自分もすぐに作業へ取り掛かった。
「ねえブランシュ、本当に全部仮布を縫いするの?時間足りる?」
マドレーヌの質問に、アン以外が頷いた。
ブランシュの計画では仮布を1度、型紙通りに組み立ててリゼットにフィッティングするというものだった。
一般的には胸元やウエストなど、必要最低限の部分だけ仮布を当てて調整する。ブランシュはこれを全てやると言った。
「こ、このデザインを1度も作ったことがありません。だ、だからやっておきたいのです」
この言葉にはアンも思わず目を見開いた。
王宮に来る前は縫い子として働いていた奴隷だと、皆が勘違いしていたからだ。
「そんなに自信満々なのに……できるってことじゃないの?」
(自信なんて少しだってないけど……今はやるしかないわ)
「……成功させるために、仮縫いをします」
縫い子は皆言葉を失ったが、すぐに星組の縫い子がブランシュの型紙を指さす。
「か、仮縫いするのはいいけど、リゼット様のダーツが大きすぎる。1cmは誤差とは呼べないわ!」
余計なことをするなと言わんばかりに、捲し立てた。だがブランシュは最後まで静かに聞くと、ゆっくりと口を開く。
「あの……リ、リゼット様は成長期ですので、少し大きめに取っています」
「あっそ!じゃあ私は言われたことだけやるわね」
ふんっ!とそっぽを向くと、星組の3人はヒソヒソと話しながら型紙の続きを引いた。文句を言いながらも、引かれた型紙はとても正確だった。
「あ、あの……マドレーヌさん。もう少し大きめになみ縫いしても、もらえますか?」
「マドレーヌでいいわ。そしてそんな雑でいいの?」
「リゼット様はせ、成長期なのできっと何回もやり直すことになるので……ほ、解きやすいようにお願いします」
空組の5人とアンはブランシュの言葉に納得し、黙々と手を動かした。
(あぁ、人に説明するのって緊張しちゃう。まだ心臓がドキドキしてるもの)
♢
翌日、上半身の仮縫いを終えると、ブランシュはアンとリゼットの部屋へ向かった。
「あら、背中側もその布合わせるの?」
「は、はい……失礼致します」
ブランシュが後ろ側の布を調整している間に、アンが胸元のダーツを的確に増やす。
「こんなに細かく測る縫い子は、今まで1人もいなかったけれど」
自分で頼んだことではあるが、奴隷に任せるというのは不安なものである。リゼットはブランシュに鋭い言い方で、質問攻めにした。
しかし奴隷だったブランシュには、よくある日常である。大きな声が聞こえるたびに肩が跳ねたが、その手を止めることはない。
一方アンは、王族の圧力に慣れているとはいえ、ここまで執拗に絡まれている人を見るのは初めてだった。
次は自分に矛先が向くかもしれないという不安は、部屋を出るまで続いた。
我慢できなくなったアンは、縫製室に戻る途中に口を開く。
「ブランシュ、あなた意外と肝が据わってるのね」
ブランシュにはその言葉の意味がわからなかった。
手を止めると折檻が待っているというのは、奴隷の常識である。
ブランシュに何を言っても伝わらないため、縫製室に戻る頃にアンは諦めた。
「ブランシュ!早く来て!」
部屋の入り口にはマドレーヌと、手芸屋の店主が手を振って待っている。
「こちらが試し染めした布になります」
木箱から出された布は、淡いピンクから境目の紫を通り、水色が際立つ美しいグラデーションが輝いていた。
「何これ!」
「綺麗なグラデーション」
「ブランシュの描いた通りの色だわ!」
「紫陽花みたいじゃない?」
縫い子たちは興奮した様子で、顔を見合わせる。
ブランシュも目を輝かせ、前のめりになった。
「残りの布もこのように染めてよろしいでしょうか?」
「よ、よろしくお願いいたします!」
店主を見送ったブランシュの心は高鳴っている。
(やっぱりすごい方なんだわ!奥様のオレンジから茶色へのグラデーションワンピース、とっても素敵だったもの)
染め場へ戻った店主もまた、胸が高鳴っていた。
♢
ブランシュは難しい裾のまつり縫いをしながら、皆の作業を時折確認し、指示を出した。
「ブランシュ、ギャザーはこれぐらいでいい?」
「も、もう少し寄せて欲しいです」
「タメ口でいいってば」
マドレーヌが笑うと、アンが休憩の時間を告げた。
「じゃあ私たちお昼休憩に行ってくるね。ブランシュは本当にいいの?」
「う、うん。あ、ありがとう、マ、マドレーヌ」
ブランシュは皆を見送ると、再び椅子に座って裾のまつり縫いを続けた。
「あなた自分の裁縫箱は?」
「ひいっ!」
誰もいないと思っていた部屋で、突然声をかけてきたのはニースだった。
ブランシュが道具を入れていた缶を机からはたき落とし、ふんっと鼻を鳴らす。
「あなたなら買ってもらえるでしょう?王子様の特別なんだから」
ニースはしてやったりの顔でドアに手を伸ばしたが、ノブに触れるよりも先にドアが開いた。
「女とは怖いものだな」
「「イ、イヴァン様!?」」
ゆっくりと目を細めるイヴァンを見て、ニースは真っ青な顔で走り去った。
ブランシュは反射的にお辞儀をしている。
「イヴァン様……な、何の御用でしょうか?」
「リゼットのドレスが順調か見に来ただけだ。悪いか?」
「そ、そ、そんなことありません」
ブランシュが真っ赤な顔で否定する姿を見たイヴァンは、笑いを堪えながら机に腰掛ける。
「裁縫箱ぐらい買ってやる。希望はあるか?」
「い、いえ!いただけません!その、わ、私にはこれで十分ですから」
イヴァンには物をねだらない理由も、相変わらず自分を見ない理由もわからない。
わからないので、とりあえずブランシュの隣に座ることにした。
ブランシュは眉間に皺を寄せるイヴァンから顔を背けるように、ひたすら手を動かし続けたのだった。
(どうしてイヴァン様は隣にいらっしゃるの?奴隷から離れてください……)




