10.王都へのお忍び
縫製室で朝を迎えたブランシュは、一晩かけてなんとか間に合わせたワンピースに袖を通す。
(あぁ、きっと何か言われるんだろうな……)
ブランシュは重い足取りでエントランスへ向かい、その予想は的中した。
「は?」
イヴァンを見つけたブランシュは、ちょこちょこと歩いて近寄ったが、初めて聞く低い声に喉がしまりそうになった。
折檻する人を思い出したブランシュは、動くこともできずただじっと震えている。
「お待たせ、ってブランシュ。髪色を変えたのか?白髪の方が似合っていたのに」
ダヴィドがブランシュの頭をポンポンと叩くと、イヴァンは口をパクパクさせブランシュを指差した。
「な、なんなんだその髪色は!」
詰め寄りかけたが、すぐにぴたりと止まった。
それから顔色の悪いブランシュを見て、表情が変わる。イヴァンは咄嗟に抱きしめると、かすれた声で「悪かった」と呟いた。
ブランシュはとにかく必死に頷いた。
(た、叩かれるのかと思った……髪を染めた私が悪いのに、なんでイヴァン様は謝ったのかな)
白髪は目立つので、よそに行くときはいつもクルミの皮を煮た染料で、髪を染めているブランシュ。
急遽昨晩染めたので、かなり明るい茶髪であるが、白髪よりはましだった。
♢
「こ、これに乗るんですか……?」
ブランシュは黒い簡素な馬車を見上げると、口を開けてキョロキョロと見渡した。
「王都に来る下級貴族なら、これぐらいの物に乗っていますから大丈夫です。ダヴィド様もイヴァン様も、乗車なさってください」
どうやらこの馬車を運転するらしいダルクを見て、ブランシュは小さく何度も手を叩いた。
しかしぼーっとしていたため、ダヴィドに手を引かれ馬車に乗り込むことに。
それと同時に、反対側の手を後ろに引かれると、踏み外したブランシュはすっぽりとイヴァンに抱きしめられた。
状況を理解する前にブランシュは馬車に乗せられ、イヴァンはダヴィドに見せつけるよう隣に座った。
2人の王子がやいのやいの言い始めると、馬車も出発。
そこでようやくブランシュは2度もイヴァンに触れてしまったことと、狭い馬車の中にいることに気がつき、真っ赤な顔を手で覆うのだった。
♢
「木の座席は尻が痛むな」
庶民の馬車に2人の王子は眉間にしわを寄せたが、荷台に雑魚詰めだったブランシュは、座席があることに感動していた。
窓の部分にガラスはなく、心地よい馬の蹄の音と、馬車に合わせて揺れる鈴の音が、ブランシュの耳に届いた。
「わっ!」
王子の存在を忘れて、顔を外に出していたブランシュは、馬車が緑道に入り揺れると前方によろける。
咄嗟にダヴィドが手をそっと支えれば、ブランシュは真っ赤な顔で息を忘れ、イヴァンが手を握れば、瞬きも忘れた。
(自分のポンコツさが嫌になっちゃう。迷惑かける前に帰りたいな……)
逃げ場のない馬車の中、何かと絡んでくる王子2人に、ブランシュの息はかすれていくのだった。
♢
馬車が止まるとブランシュはダルクから受け取った灰色のフードを、2人の王子に差し出した。
「こ、これを……」
「なんだ、この安っぽいフードは?まさか被れと?」
「えっと……ひ、必要だからです」
「イヴァン、俺たちの黄金の髪は街で目立つんだ。ちゃんと被れよ」
イヴァンはまるで汚い物に触れるように、フードをつまみ上げるとため息をつく。
一方ダヴィドはブランシュの耳元で「ありがとう」とささやいてから、フードをそっと被った。
(手汗が……ダヴィド様は距離が近い気がするんだけど、気のせいかな?)
♢
馬車から10分ほど歩くと、賑やかな街にたどり着いた。広場まで行けば、たくさんの人でにぎわっている。
「確かに男は皆、僕たちと同じような恰好をしているね」
「俺のブランシュが優秀だからな」
「お前のじゃないだろ」
小突き合いをする王子の真ん中で小さくなったブランシュは、ゆっくりとあたりを見渡した。
確かに男性は、似たようなデザインの服を着ている。流行りの色は黄色らしく、次に灰色と緑色のシャツを着ている人が多かった。
「それにフードを被ってるやつも、結構いるんだな」
王都にはいろんな人が来る。変わった帽子の人もいれば、フード姿の人もいる。
「ブランシュ、お前のワンピースは地味だな」
「いいじゃないか。おかげで僕たちとペアルックだ」
確かに女性の方が黄色やくすんだピンクなど、カラフルな服を着ている。
ブランシュが着ているのは、王子に使った余りの緑の布と、生成色の布でできたワンピースだ。
(わぁ、いい匂い!これは……さくらんぼかな?)
2人が自分を見ていることに気が付かず、ブランシュは市場の方へ顔を向けた。
すぐそこにたくさんみずみずしい野菜と、たっぷりと熟れた果物が積まれている。
「ブランシュ、行きたいところがあれば行っていいぞ」
イヴァンはそう笑ったが、ブランシュは首を横にブンブンと振った。
奴隷は主人の元から、指示なく一歩も動いては行けないからである。
イヴァンは、ブランシュが場所見知りをしているだけだと思い、背中をわざと押した。
「わぁ!」
よろけたブランシュは目の前の鶏にぶつからないよう、手をバタバタと動かしてバランスを取る。
そして、目の前に広がる騒がしい市場に目を輝かせた。
「いらっしゃい、バゲットが焼きたてだよ」
「このハムは熟成された、最高級品だ」
「今日は卵を6つ買ってくれたら、1つサービスだ!」
(こんなに賑やかだなんて、目が回っちゃう)
心躍ったブランシュだが、すぐにイヴァンの横へ戻り、触れないぎりぎりの距離を保って歩き始めた。
(街の屋根はどれもカラフルだ。まるでイヴァン様の部屋の本棚みたいに綺麗だな)
そんなブランシュに気分の良くなったイヴァンは、山吹色の屋根を指さした。
「ブランシュ、あそこは手芸屋のようだ。行ってみるか?」
「い、い、いえ……大丈夫です。ご配慮ありがとうございます」
ブランシュは王子の陰で縮こまりながらも、目に入るもの全てが気になった。
そして本当は手芸屋にも行きたかった。
しかしお店の中に入るという行為は、好奇心よりも恐怖が勝ってしまうのである。
ブランシュが俯くと空気を変えるように、ダヴィドが噴水に行こうと言った。
広場のシンボルであるため、2人の王子は見たいと思っていたからだ。
「ここが広場中央の噴水か。悪くないな」
「だが、みんな興味がなさそうだ。座っているのも2人だけ」
それを聞いて、ブランシュは噴水の段部分を見る。
すると、白い鳥のフンで薄汚れていることに気がついた。
次に座っている人を見る。
1人は男性で、もう1人は女性だった。
知り合いではなさそうな2人の共通点……。
「ブランシュ、なぜ庶民はここに座りたがらない?」
「あ、えっと……鳥のフンでよ、汚れています。す、座っているのはグレーの、汚れが目立たない服の人かと……」
イヴァンの質問に答えるブランシュは、説明しながら王都の庶民の生活水準が、領地よりも高いことに気がついた。
きっと領地の庶民なら、気にせず座るだろう。
♢
街の中で微かに香る石鹸の匂いに、ブランシュは王都の人の生活の豊かさを感じた。
少し前に王宮の女性の間で流行った、くすみピンクが今王都に降りてきたのだということにも気が付いた。
(いっぱい歩くのには慣れてるけど、こんなに面白い場所は初めてだったわ。とっても楽しかった)
街を歩き回ったブランシュは、お忍びがもう終わり帰るのだろうとイヴァンの顔を見る。
だが、その考えは甘かった。
「ブランシュ、これからやることはわかるな?」
「……へ?」
「イヴァン、もっと優しく言ってやれよ。ブランシュ、ここからがお楽しみの時間だ」
ニヤリと口角を上げたイヴァンと、じっくりと目を細めたダヴィドに挟まれたブランシュは、身体の芯から震え、唾をごくりと飲み込む。
(お忍びってあと何をするの?もう帰りたいかも……)




