第80話 獣道 〜裸足で逃げる 白い牢獄 猫が開ける 闇下の通路 聖女の器を 神が測る 獣道だけが 森へと続く〜
第80話
「し、知らせなきゃ……。森に……シルヴァーナさんに……」
セラは震える膝を押さえて立ち上がった。
踏み出した足に力が入らず、膝をついた。
ドンッ。
バルコニーのソルセリオンは、神父の部屋の窓を振り返った。
「神父殿。そなたの部屋で音がした」
「え?」
「セラは今、どこにいる?」
神父は、慌てて司令室を出ると自室に向かった。
ドアは開いたままだった。
部屋に飛び込んだ神父が叫んだ。
「セラか!?」
しかし、そこには誰もいなかった。
「ふう……違ったか。……ん?」
窓際のテーブルに置いた自分の手帳が開いていた。
「まさか!?」
神父は、静養室に向かって駆けた。
連絡通路に、神父の足音が響いた。
セラは、連絡通路に立て掛けてある大きな軍旗の裏から顔を出した。
「司令棟にも管理棟にも戻れない……。あ!」
セラは連絡通路から下へ伸びる非常梯子を見つけた。
セラは足に巻いた布切れを捨てると、裸足でハシゴを降りた。
ジャリ。
素足にめり込む小石が痛かった。
軍隊がいる正面からは出られない。
バリケードの影で、セラは頭を抱えた。
「急がなきゃ……でも」
見上げた壱番街の壁は高かった。
その時。
「あ、あなたは……さっきの」
影の中に、緑の目が光った。
猫だった。
猫は、セラの顔を覗き込んだ。
「またお前か。何してるんだ? お前、泥棒か?」
「どろぼっ……違うわよ……」
「じゃあ、何してんだ?」
「ここから逃げたいの」
猫は、ポカンとした。
「泥棒じゃねえなら、普通に出ていけばいいだろ、正面から」
「それが出来ないから、困ってんの!」
「わかった、わかった。オレはお前に炊き出しをもらってた身だ。ついてこい」
そう言うと、猫は駆け出した。
「あ、待って!」
セラは猫の背中を追いかけた。
人気の無い兵舎を抜けた街の裏手で、猫はピタリと動きを止めた。
「ここだ」
「はあ、はあ。ここが、何?」
セラは、またバリケードを見上げた。
「バカか。下だ」
「え? ……マンホール?」
「よっ、こらしょ」
猫はめんどくさそうにマンホールの蓋を開けた。
真っ暗な地下から、生暖かい風が吹き出た。
セラは、猫の顔を覗き込んだ。
「まさか……」
「ここから、お前がいた六番街の教会裏に行ける。人間の大きさなら、一本道だ。いけ」
「う、うん。……ありがとう」
セラは恐る恐るマンホールのハシゴに足をかけた。
ピチャ。
生暖かい水を踏んだ。
暗闇に差し込む月明かりが唯一の光だった。
「そういえば!」
セラは、思い出したように上を見上げて言った。
「さっきあなた、ウィーニーの名前を──」
ガコンッ!
猫は、マンホールの蓋を閉めた。
「もう! 変な猫! ……まあ、でも、ありがとう」
セラはそう言うと、暗闇の地下道を歩き始めた。
猫は、マンホールの蓋をポンポンと踏みつけた。
「フン。これで恩は返したからな」
猫がそう言って踵を返そうとした、その時。
「何をしている?」
「あん?」
猫は振り返った。
ソルセリオンだった。
「その下に、何かあるのか?」
「あん? 見えねえのか? マンホールだ」
「……」
「知らねえのか? ここは獣道だ。それともなにか、最近の帝国軍は、獣から通行料でも取ろうってか?」
「そなたは、南の森の獣か?」
猫は、ペッと唾を吐いた。
「南の森だぁ? オレはこの街のホームレス猫だ! 文句あるか!」
ソルセリオンは、しばらく猫を見つめると、それ以上何も言わず背を向けて去っていった。
「フン。気取った格好しやがって。なんだアイツは」
猫も背を向け、ラップを口ずさみながら壱番街を去っていった。
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Yo 気取った変態野郎 増えたな胡散くせえやつ
南の森の獣か?だって やかましいわ馬鹿野郎
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司令塔に戻ったソルセリオンに、神父が慌てて駆け寄った。
「ソルセリオン様! セラが……いません! この布が連絡通路に……おそらくハシゴから外へ……」
神父の手には、破れた軍旗の切れ端が握られていた。
ソルセリオンは、南の森を見つめた。
「そうか。仕方ない」
神父は恐る恐るソルセリオンの顔を見上げた。
「セラは……どうなるのでしょう?」
ソルセリオンは笑顔を浮かべて答えた。
「あの子は聖女となる子です。戦場で会ったら丁重にお連れしましょう」
「……はい」
ソルセリオンは、一人司令室の中に入った。
静かに席に座ると、部屋に掲げられた神の軍旗を見ながら言った。
「その器になければ、死して信仰の象徴になってもらいましょう」
壱番街から抜け出したセラ。
暗闇の中を一心不乱に走った。
壱番街に並んだ軍隊の姿が、頭から離れなかった。
「はあ、はあ……森が焼かれる……。シルヴァーナさん!!」




