第78話 ワールドエラー 〜森の自由は 血と土の匂い 神の食卓は 白すぎる祈り 冷たい手つきが 心を撫でる 優しい牢獄で セラが息を失くす〜
南の森。
ファントムは、大木の前で倒れているシルヴァーナに駆け寄った。
「シルヴァーナ!」
ファントムは、シルヴァーナの肩へ手を伸ばした。
その瞬間、ウサギ達が一斉に前へ出た。
「触れるな、人間」
「シルヴァーナは弱っている」
「“アレ”の負荷は大きい。命が削られた」
「アレとは、一体なんだったんだ? 突然、草木が生え……」
ウサギは、ファントムを遮るように言った。
「ワールドエラーだ」
「ワールドエラー? ……つまり世界にエラーを起こして自然を──」
「バカめ。逆だ。世界のエラーを正してるんだ」
「世界のエラー?」
「フン。お前たち人間が築いた世界、神によって保たれる偽りの平和──それが、エラーだと言ってるんだ」
「オレ達が、エラー……」
ファントムは、気を失っているシルヴァーナの横に膝をついた。
「しかし……そんなことせずとも、解放されたのに……」
視線を落としたファントムに、一羽のウサギが歩み寄った。
「愚かな人間め。神は解放などしない。神の慈悲は、拘束だ」
「慈悲は拘束……?」
その時、ファントムの背後で声がした。
「それは、間違いではないのぉ」
「ワイザー」
ワイザーは、長い髭を撫でるとシルヴァーナの顔を覗き込んだ。
「自然とは、そもそも自由のことじゃ。じゃが、その自由とは、誰にも守られぬということでもある」
「誰にも……守られぬ自由……」
ファントムは、倒れたシルヴァーナを見た。
守られぬ自由。
その言葉は、あまりにも冷たく、あまりにも正しかった。
ワイザーは、空を見上げ、辺りを見渡しながら続けた。
「雨はその死を哀れんで止まぬ。狼は鹿の子が可哀想と牙を止めぬ。木は朽ちた命を呑み込み、新しい芽を出す。生きるも死ぬも、己と循環の中にある。自然は、循環以外の何ものにも縛られぬ」
ワイザーは、もう一度シルヴァーナの顔を覗き込んだ。
「自然は、解放される必要などない。そうじゃろう、シルヴァーナ」
森には、湿った土と、血と、若葉の匂いが満ちていた。
白い皿。
湯気の立つスープ。
焼きたてのパン。
──どれも綺麗だった。
カチャ。
セラは、フォークとナイフを置いた。
「セラ。全く食べておらんぞ。ありがたく頂きなさい」
ソルセリオンの隣に座る神父は、セラを心配そうに見つめて言った。
「……食欲……ありません。ごめんなさい」
ソルセリオンは、静かに笑みを浮かべて言った。
「いいんだ、セラ。無理することはない。まずはゆっくり休みなさい」
セラは、軽く頭を下げると、席を立った。
ソルセリオンは、セラの手を優しく掴んだ。
その手は、なぜか冷たかった。
「セラ。少し話しませんか」
セラは目を伏せたまま、静かに座り直した。
神父は、小さくため息をつきながら、セラの顔を覗き込んだ。
「セラ。どうしたんじゃ? ここに来てから浮かぬ顔ばかりして。ようやく帰って来られたというのに」
「……」
セラは何も言わず、テーブルに置かれた食事をじっと見つめていた。
ソルセリオンは、セラの顔を見つめたまま神父に言った。
「すまぬが、セラと二人きりにしてくれぬだろうか?」
セラの眉がわずかに動いた。
「……わかりました」
神父は恭しく、静かに部屋を出て行った。
「……」
生暖かい夜風が、神の紋章が施された白いカーテンを揺らした。
「セラ。少し、顔色が悪い」
ソルセリオンの指が、セラの頬に、そっと触れた。
セラの肩が、ビクッと動いた。
「ここへ来てから、そなたは、よく眠れていないのだろう」
「……いえ」
「隠さずともよい」
神の声は、どこまでも、柔らかかった。
「戦いを見過ぎたのだ。心が、休まらぬのも、無理はない。そなたは優しい。優しい者ほど、戦いに、傷つく」
セラは、膝の上で、手を握った。
違う。
そうじゃない。
眠れないのは、戦いを見たからじゃない。
この場所が、息苦しい。
それを言葉に出来ず、セラは、俯いた。
「もう、安心していいんだよ、セラ。そなたが我々を呼んでくれた。世界が絶望に飲み込まれる前に」
「私が……呼んだ……」
セラの頭の中に、シルヴァーナの声が響いた。
──小娘。貴様何をしたかわかっておるか。
──貴様が呼んだ神のせいで、帝国軍は力を取り戻し、森を焼く──神が降りても平和など訪れぬ。
セラの視線は、自然と南の森へ向いた。
「気になるかね?」
「……あの森を、自然を、どうするつもりですか?」
ソルセリオンは、すぐには答えなかった。
「セラ。あの森を、案じているのか」
問い返された。
セラの、心臓が、跳ねた。
「それとも──あの森の女を、か」
神の、琥珀の瞳が、セラの奥を、覗き込んでいた。
「……」
「案ずるな、セラ」
ソルセリオンは、セラの髪を、撫でた。
「どうもしないさ」
そして、優しく微笑んだ。
「世界はあるべき姿に戻る。我々のような声あるものが人を導き、秩序の下で健全な平和を保つ」
再び、セラの頭の中を、シルヴァーナの言葉が駆け巡った。
──神々は、人間を焚きつけ、秩序を敷く。声なき者を覆い隠し、偽りの平和で人を騙す。自分達のためにな。
セラは、頭を押さえ、小さく肩を震わせた。
「いや……やめて……もう……いや」
──数刻後。
目が覚めたのは、静養室のベッドの上だった。
「私……」
セラは、妙に手触りのいいローブを着ていることに気付いた。
「この服……シルク? いつのまに……誰が!?」
セラは慌てて飛び起きると、胸を抑えた。
その時、静養室の扉が開いた。
「だっ誰っ!?」
「目が覚めたか、セラ」
「神父……様」
神父が、胸を隠して身構えるセラを見て言った。
「心配ない。汗だくだったから、住民の女性に手伝ってもらって着替えさせただけじゃ」
セラは、小さな声で言った。
「……出ていって」
「ん? どうした? そのローブは、ソルセリオン様がくれた──」
「出ていってよっ!!」
「セラ……」
神父は、静かにドアを閉めて出て行った。




