第44話 Wild Blood 〜光る目 森の声 超える境界線〜
篝火の傍ら。
ファントムは無言で剣を研いでいた。
シャリ。シャリ。
規則正しい音だけが、森の静寂に溶けていく。
セラは、その横に座っていた。
(暗い……)
篝火の炎は小さく、ファントムの手元がよく見えない。
セラは立ち上がると、近くに落ちていた枝を拾い、火にくべようとした。
その瞬間。
シュ。
セラの手首に、何かが巻き付いた。
「え……」
蔦だった。
どこから伸びてきたのか、細い蔦がセラの手首に巻き付き、キュッと締め上げた。
枝が、手から落ちた。
顔を上げた瞬間──
目の前に、矢。
「小娘。契約を犯すか?」
低く、静かな声。
「だ、誰っ……?」
炎のような赤い髪が、夜風に揺れる。
引き絞られた弓。
長身で細身、しかし鍛え上げられた女の体躯。
腰に下げた短剣。
その目が、わずかに緑に光った。
セラは動けなかった。
ファントムは剣を置くと、無言で立ち上がり、篝火に砂をかけた。
ジュッ。
炎が消え、辺りが闇に沈む。
「す、すみません……!」
セラは慌てて頭を下げた。
女は、セラの目を見つめたまま動かない。
セラは静かに唾を飲んだ。
やがてその矢は、静かに下ろされた。
蔦が、ほどけてセラの手から離れる。
(この目……どこかで……)
緑に光るその目。
見たことがある気がした。
(ウサギだ!)
セラが思い出したのと同時に、女は踵を返した。
ファントムは静かに言った。
「ワイルドブラッドとの契約だ。夜は明かりを大きくしない。森の生き物を惑わせるな、と」
「契約……」
「ここはオレ達が借りている場所だ。ルールがある」
ファントムは再び腰を下ろし、暗闇の中で剣を研ぎ始めた。
女はしばらくセラを見下ろすと、髪を靡かせ音も残さず森の闇に消えた。
その奥に、光っていた無数の緑の目も同時に消えた。
セラは、暗闇の中で小さく呟いた。
「……怖かった」
ワイザーは、ニコリと笑った。
「ほほ。気に入られたようじゃの」
「どこが!?」
セラはワイザーに顔を向けた。
「ねえ、ワイザー。あの赤髪の人は?」
ワイザーは空を見上げながら答えた。
「ほほ。シルヴァーナ。この森の主のようなものじゃ」
「主……」
「自然の意思を感じる者達、ワイルドブラッドのリーダーじゃ。この森はあの者達のものでもある」
セラは、シルヴァーナが消えた森の闇を見つめた。
「あの目……緑に光ってた。教会に現れたウサギみたいに」
「ほほ。気づいたか」
ワイザーは、それ以上何も言わなかった。
夜が更けた。
キャンプの焚き火が次々と消えていく。
セラは一人、テントの外に座って空を見上げていた。
星が、びっしりと広がっている。
(ウィーニー……今頃どこにいるんだろう)
教会を離れてから、一度も会っていない。
無事でいるのか。
ちゃんと食べているのか。
あの黒いツナギを着て、どこかを走り回っているのか。
セラは小さく笑った。
「絶対、無茶してる」
風が吹いた。
木々が揺れる。
森の奥から、小さな虫の声が聞こえてくる。
「でも……あの子は大丈夫」
セラは膝を抱えて、小さく呟いた。
その頃、壱番街。
ラプター大佐は地図を指で叩いた。
「決めた。南の森だ」
ファルコン少佐が頷く。
「港は?」
「船の手配に時間がかかりすぎる。メカが消えた今が好機だ。早く動いた方がいい」
「南の森はワイルドブラッドのテリトリー。先日教会で兵士二人がやられています。交戦になれば……」
ラプター大佐は手を上げた。
「まず接触を試みろ。補給ラインの確保に協力するよう交渉しろ」
「交渉、ですか」
「ワイルドブラッドも帝国軍の敵ではない。話が通じるなら、それに越したことはない」
ファルコン少佐は静かに頷いた。
「はっ。ブラックゲートは?」
「少数の調査隊を出す。オレが直接指揮する」
「大佐自ら……」
「ブラックゲートの向こうに何があるか。それはオレが直接確かめる」
沈黙が落ちた。
「はっ。承知しました」
「それと、少佐」
「は」
「南の森に孤児院上がりのシスターが逃げ込んでいるという話だ。見つけ次第、保護しろ」
「保護、ですか」
「丁重にな」
ファルコン少佐は、それ以上聞かなかった。
「はっ」
扉が閉まる。
ラプター大佐は再び地図に視線を落とした。
ブラックゲート。
その先に何がある。
「……急がねばならんな」
窓の外。
夜が、明けようとしていた。




