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『脇役女優』が『悪逆王子』と代わったら  作者: 千切キャベツ
第1章 第三王子所領政変録
23/26

1章:第16話 役名:『第三王子』④

 頭の奥が痺れている。

 意識がこれでもかっていうくらいクリアになって、カオリリーニェと乖離していく独特の感覚。表情かおが、姿勢からだが、声帯こえが、涙腺でさえ自然に動く。セリフや動作をいちいち考える必要なんかなくて、内から湧き出るものに身を任せる。それがリーニェになる。

 ルイラさん達の前や食堂で演技していた時とはまるで違う。

 役がハマった。降りてきた。アンネリーゼと問答をした辺りから、根拠の無い全能感が体を支配している。

 スポーツで言う『ゾーン』が芝居にもあるとするなら、この感覚がきっとそうだ。


 テンションがハイになってるせいか、目の前の狼男かいぶつ―――ショウも全く怖くない。素の私なら大型犬に吠えられただけでひっくり返るところだけど、今は牙をむき出しで凄まれ、鋭い爪が喉に食い込んでいたってへっちゃらだ。痛みもさほど感じない。


 涙目のまま、狼の顔をにらみ上げる。

 どうして自分リーニェが泣いているのか、私には分からない。理由なんて無いのだ。ただ、体中をうずまく熱が涙になって零れているだけ、としか言いようがない。

 そんなこちらの熱視線を受けて、ショウが顔色を変えた。狼面の表情なんて分からないかと思いきや、昔の3Dアニメ映画くらいは人間臭い。毛むくじゃらの中にきちんと眉毛らしき模様があるのだ。その眉尻を下げ、動揺を示すように瞳を揺らし、ぎちりと音が鳴るほど牙を食いしばっている。


「…………救う、だと」


 浮かんだ動揺の波を押さえつけるように、たっぷり五秒もかけてから彼は呟いた。

 血が滲んでいるかのような、怨嗟の声色で。


「シュナを救う? お前が……ッ、ふざけるな! ―――お前がッ!! お前がやったんだろうが!!」


 肌が衝撃で震えるほどの怒声を叩きつけてくる。結構な迫力だ。


「そうだ! シュナを犯したのも! 攫ったのも! 友だちを殺したのも! 全部お前だ! お前がその汚らしい手でやったんだッ!! それなのに、なのに―――言うに事を欠いて救うだと!? 冗談じゃない! ふざけるのも大概にしろ!!」


 ショウが叫ぶたびに、右手で掴んでいる彼の腕が膨れ上がっていくのがわかる。すごい筋肉。喉に当てられている爪がどんどん食い込んでいく。


「お前に一体何が出来る! お前なんかに―――ッ」


 ブツっ、とついに肉を抉る音がした。鋭いモノが肌を突き破り、体の内に異物が侵入する不快感。空いた穴から生暖かいものが勢い良く吹き出して、目の前の狼面があっという間に赤く染まっていく。


「―――ぁ」


 力を込めたのは思わず、だったんだろう。ショウが目を丸くして呆けたような声を出す。

 そりゃそうだ。この場でリーニェを殺したって、彼も彼の妹も助からない。スヴェトくんから聞いた家令さんの話と奴隷の実情を踏まえて考えると、むしろ最悪の結果を招くことになりかねない。

 っていうかこれ、ショウは暗殺計画の一員なんだろうけど、黒幕からしたらたまったもんじゃないわよねぇ。ただ殺せばいいわけじゃなくて、死んだ時の状況を整えたいからこその暗殺計画なんだろうし。ご愁傷様だわ。


 せっかく憎い敵の血を浴びているのに、ショウの顔は苛立ちに満ちている。いいマヌケヅラだ。面白くなってきたなぁ。

 喉に刺さった爪に掛かる力が急速に抜けていく。なんなら首から手を離しそうだったので、逆に私が強く掴み返してやった。逃げんなよ。


「で、殿下!」

「……来るな! 大丈夫だ」


 背後から焦ったような声がかかった。

 護衛騎士の一人だろう。近づこうとするのが音で分かったので、私は声を張り上げた。


「しかし、その傷はっ……!」

「本当に大丈夫だ。この程度、大したことはない。とにかく誰も動くな!」


 今いいところなんだ、余計な茶々を入れるんじゃない。

 意識を後ろに向けても、視線はショウから外さなかった。 

 怒りと憎しみに燃える瞳。でも完全に狂ってはいない。失敗に動揺する理性がきちんとある。私を見て、私の言葉を聞くことができるのなら、共演者としては十分機能する。

 

 さあ。リーニェのターンだ。

 ぶちかますぞ。


「ショウ。君の言いたいことは分かった。君にとって、僕の言葉はさぞ癪に障っただろう。すまなかったな。……僕が君と、君の妹にしたことについても謝罪する」

「な……何を、今更……っ!」


 ショウの声と表情は、色んな感情が入り交じったひどいものになっていた。


「今更、お前が謝ったところで、一体何の価値がある!?」

「そうだな。何の価値も無い。記憶の無い僕が……いや、そうでなくても、君にとって僕の謝罪に価値なんて無いんだろう。そんなことは百も承知だ。でもな……勘違いするなよ」

「……何だと?」

「僕は許してもらおうなんて考えちゃいない。自分が許されるべきだとも思わない。僕が謝るのは、それが君に示すべき最低限の礼儀だからだ。この謝罪にそれ以上の意味も価値もありはしない―――」


 思い切り息を吸う。腹筋に渾身を籠める。


「―――だからこそ! 僕は口先だけでなく、行動で! 罪を償わなければならない!」


 声を大きくすると、力が入って血が吹き出る。口の中にも溜まり始めた。

 それでも、どんなに暖かい血が外に出ても、頭の熱は全く冷めない。


「僕は! 君の妹だけじゃない! 奴隷になった彼女たち全員のために出来る限りのことをする! そう約束したんだ! それを果たすことが、価値の無い僕にある唯一の価値なんだッ!! いいか! 君と、君の仲間がどうやって僕を殺し、どうやって君の妹を救おうとしているのか知らないが!」


 ショウの手首をへし折るつもりで握る。


「僕よりも早く、安全に、後の憂いなく彼女たちを解放できるはずがない! 君たちが無理矢理やるより僕が動いた方がいいに決まっている! 単純な話だ! 説明だって必要ない! そんなことも分からないのか!?」


 一旦台詞を切って、ショウの返しを待つ。


「……お、…………お前に! お前なんかに助けて欲しいもんか! そうだ! 仇に救われたなんて知ったら、例え体が助かったとしてもシュナの心が死んじまう!」

「知らせなければいい。ちょうど良く君がいるわけだしな。準備は全てこちらでやる。出来上がったら君に託すから、上手くやれ。もちろん、バレない範囲でサポートもしよう」

「な……」

「他にはあるか? 僕の邪魔をする理由だ。君の妹の自由を奪い続ける理由だよ。もしも僕を納得させられるなら、煮るなり焼くなり好きにしろ。みっともなく泣き叫んで、死ぬまで命乞いをしてやる。それが君に出来る償いだからな。だが」


 視線に込められるだけの力を込める。ショウは逃げるように一歩下がろうとした。掴んでいる手首を引いて留まらせる。


「本当に妹のことを思うなら、そんな事を考える前に協力してくれ。君の言う通り、彼女たちの心を救う手立てが僕にはない。君の協力があれば、ずっと上手く進められるだろう。―――どうか、頼む」


 真剣に言って、頭も下げようかと思ったが、やめた。芝居としてはそっちの方がいいんだろうけれど、今朝ルイラさんに止められて、私は奴隷少女たちに頭を下げていない。ここでショウに媚びるためにやるのは違う気がしたのだ。


 それでも、執務室の空気が張り詰めるのが分かった。

 もう空気と化していた他の書記官やスヴェトくんたちが、ざわめいている。リーニェが頼み事をするというのがよほど異様なんだろう。

 それを感じながら、ショウの目を見続ける。

 彼ははっきり分かるほど息を飲みながら瞳を泳がせ、何も言えないようだった。


 そろそろ終わりかな。


「協力は駄目か……無理もないな。せめて邪魔だけはしないで欲しいが」


 腹筋の力を抜いて、声色の棘を少しだけ丸くする。


「でもな。それでも、だからと言ってお前が僕を許す必要はない」


 止めを刺すために、掴んだ手首を無理矢理動かす。腕の太さから言って、抵抗されればびくともしないはずだけど、すんなり動かせた。

 私の血で真っ赤に染まった爪を、喉にできた傷の少し下の辺りにずらしてそえる。ショウは呆けた顔でそれを眺めている。


「気が済むまで僕を殺せ」


 そう言って、今度は自分でショウの爪を喉に突き立てる。新しい血が飛び散った。


「その上で、絶対に僕は死なない。奴隷から解放するまで―――何度でも言うぞ。君に妹は返さない」


 言い切った私に反論は返ってこなかった。

 ショウ自身に力が入っていなかったせいか、二度目の傷はそこまで深くない。

 でも、演出としては十分だろう。掴んでいた手首を投げ捨てるように放すと、彼は膝から崩れ落ちた。

 ひどい有様だ。全身が小刻みに震え、表情から怒りや動揺といったものが抜けている。狼の口をぽっかりと開けて、放心しているようだった。


 完全に呑んでやった。

 共演者続行不可能。

 私の勝ちで、この即興劇≪エチュード≫は閉幕だ。


 ―――と。

 そんな風に思ったとたん、頭からフッと力が抜けた。身体中を覆っていた熱も、風に吹かれたみたいに冷めていく。

 冷めて……冷め……いや寒っ!? っていうか痛ッ!? 首が痛い! 何!?


「でっ……殿下!!」


 頭の上から声がして、背中には堅い鎧の感触。

 それでようやく、自分が倒れそうになっていたことに気づく。どうやら、後ろにいた護衛騎士が支えてくれているみたい。名前どころかヘルムで顔も見えないから誰だか分からないけど、騎士くんありがとう……。


「殿下ぁ!? しっかりしてください! うわっ、こんなに冷たく!?」


 ずっとショウしか見ていなかったから気がつかなかったけれど、改めて辺りを見回せば、うわー。血の海じゃん。傷は大したこと無いと思ってたけど、ゾーン入って感覚マヒしてただけだったんだなぁ。

 っていうか、今も首からビュービュー出てるし。

 あれ? 私死ぬ? 死ぬの?


「……いいか……例え僕がどうなっても……誰にも責任はない。ショウにも、君たちにもだ……今あった事は……この場に居た者だけの……秘密に……」


 焦る内面の私≪カオリ≫とは裏腹に、私≪リーニェ≫の口は演技を続ける。ゾーンの残滓だ。そりゃー死に際だしね、かっこいいこと言わなきゃね。


「そっ、そんな……! あの書記官のためにそこまで……くぅっ! リーニェ殿下、俺、殿下のことを誤解してました……!」


 ホラ、騎士くんには響いてるみたいだし。役者冥利だわー……。って、洒落になってないけど。

 あ、ヤバ……なんか目の前が暗くなってきた。本当に死んじゃうかも―――


「何やってんのよ」


 棘のある声と共に強めの衝撃音があって、背中の支えがなくなる。突然のことに私はわけもわからず自分の血で出来た水たまりの中へ転がった。

 声の方を見れば、霞み始めた視界でもはっきりと分かる赤色の長髪。アンネだ。彼女は私を支えていた騎士くんを蹴り飛ばしたみたいで、右足を前に伸ばしている。


「あ、アンネリーゼさん? な、なにを……」

「ハァ? 何を、じゃないわよこのブタ。クサイこと言っちゃって、キレイに死ねると思った? あたしの管轄内で王族が死ぬとか迷惑どころの騒ぎじゃないっつーの」


 出血のせいか、アンネの周りが歪んで見える。上から水槽を覗きこんだみたいに光が乱反射しているというか……って、あれ?


「白、『顕現』。起きなさい、仕事よ仕事」


 気のせいかな。その歪みが集まって、なんだか段々魚っぽい形になっていく、ような……?


「オイこら。仕事だって言ってんでしょ? じじいー! 聞こえてんの、起きろ!」

『―――むあぁぁーあ。なんじゃあ、うるさいのう。姫か? 仕事とはまた、急じゃのう……』

「急もクソも、四六時中寝てるアンタが悪いんでしょーが! いいからさっさとシャッキリしてよ! わりかし緊急の要件なんだけど!」

『おうおう、相も変わらず口の悪い姫様じゃこと』


 気のせいじゃなかった。

 いつの間にか、アンネの傍らには透明な―――水で出来たクジラのようなものが浮かんでいて、彼女と会話している。

 アレって、もしかして……


『おぉ、なんじゃ。あそこで死にかけとるのはリーニェのゴミカスかの? 姫様、ついにやってしまったんじゃな』

「ちっがうわよ。自我を剥奪されたいの?」

『おうおう。怖いわい』

「アレ、助けるから。とりあえず、その辺に零れた血を傷口に戻してやって。絨毯に染み込んだやつも出来るだけ回収してね。あ、ゴミとかバイキンとかなんか体に悪そーなのはできるだけ除けて戻さないとオーラン先生に怒られるわ。あとそうね、歩けないみたいだしついでに体を包んで神殿まで運んでもらえる?」

『寝起きに仕事量ハンパないのう……』


 やけに声の渋いクジラが口をあんぐり開けて空中を泳いでくる。意外と牙がすごい。でも見た目が透明なせいか私が死にかけてるせいか、あんまり怖いと感じない。


『確か、お前さんは精霊わしらの言葉も解るんじゃったか。全く、依り代にもならないくせに忌々しいというか、不愉快な呪いじゃのう……まあいい、抵抗してくれるなよ?』


 どっちにしろ体が動かなくて逃げられないし、今の会話からして私に止めを刺そうってわけじゃなさそうなので、大人しくすることにする。

 頭から透明クジラに飲み込まれる。体を包む感触は、予想どおり水中だった。ほんのり暖かくてなんとも言えない心地良さがあり、不思議と呼吸も普通にできる。私に血が混じったせいだろう、透明クジラは赤クジラになった。


『ん? この味は……ほう。貴様、中身が何やら面白いことになっておるのう。これは興味深い』


 クジラが何か喋っているけれど、くぐもっていて聞き取りづらい。水中だし体内なんだから当たり前か。

 ……っていうか、ああ、眠い。ここ、眠るのにちょうどいい気持ち良さだ。今寝たらヤバイかもしれないけど、たぶんこれは抵抗できないやつだ。

 それでも私が耐えていると、アンネが近寄ってくる。

 血で赤色になったクジラの中から見ても、彼女の鮮やかな赤髪はハッキリと見えた。


「……ま、この様子なら大丈夫でしょ」


 私の顔をのぞき込んで、ふっと微笑む。やっぱり、笑顔はそんなに悪くないかな。


「何のことか分かんないでしょうけど、一応お礼を言っておくわ。なかなか楽しかったしね―――ありがと」


 棘の無いアンネの感謝という、この先聞けるかどうか怪しい激レア台詞をぼんやり耳に残しながら、私は意識を手放した。


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