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『脇役女優』が『悪逆王子』と代わったら  作者: 千切キャベツ
第1章 第三王子所領政変録
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1章:第15話 とある人狼の追憶②



「皆さん、成人おめでとうございます! 本日という日を迎えられたことが―――」


 普段は収穫祭なんかで使われる広場が、今日だけは市場と呼ばれる。

 新しい年の最初の一日。俺たち、数えで15歳になった幼学校の卒業生は、誰もが緊張で吐きそうになりながら村長の話を聞き流していた。

 当然だ。これは成人を祝うためのパーティじゃない。今後の人生を決める最大のイベントなのだ。

 授業で聞かされた話によると……俺たちの値段は基本、全員一律。商人同士で希望が被った場合のみ、競売形式で値段を釣り上げていく。つまり、優秀なヤツから順番に選ばれていくことになるのだ。

 毎年、村に来る奴隷商人は三人くらいで、卒業生の中から何人が選ばれるのかはその年による。上から数人しか買われない時もあれば、全員を一人の商人が買っていく、なんてことも過去にはあったらしい。

 だから、俺のように自信がないヤツにとって重要なのは、どんな商人が来るかだ。とにかく人数を欲していて、金に余裕のある商人が来れば、人気の無い者を買ってくれる可能性もゼロではない。



「それでは皆さんお待ちかねの商人様ですが……」


 村長の言葉に、ようやく全員が耳を傾ける。

 優秀なヤツにとっても、自分の主人候補がどんな人物かは気になるのだろう。


「なんと! 今年はあの! アンザス王国第三王子、リーニェ・グルムブルド・ロウ・アンザス様が直接! わが村にやって来て下さるのです!!」

 

 リーニェ第三王子。

 その名前を聞いて、周りから悲鳴にも似た歓声が沸き起こった。

 隣の国、アンザス王国の第三王子領―――ちょっと前まではアヴィーレ都市伯領と呼ばれていたらしいその場所こそ、幼い頃俺たちが行った人間の街。あのコロシアムがある都市のことなのだ。もちろん、彼自身も競技奴隷のチームを抱えているオーナーの一人だ。

 大都市の領主であり、なにより大国アンザスの王族である。そんな人物が商人を通さずに直接奴隷を選びに来るなんて普通じゃない。もし王子のチームに迎え入れられることがあれば、たいへんな名誉だ。自分が一生安泰なのはおろか、両親や一族まで国中から称賛されることだろう。獣王様から爵位を与えられてもおかしくない。それほどの相手だ。

 

 俺の中で、諦めていたはずの気持ちが膨れ上がっていく。

 無駄だと分かっていても、否応に期待してしまう。


「ショウ兄さん……」


 声がして、隣を見てみれば、シュナが複雑そうな顔をしていた。


「ごめんな、約束したのに。いや、俺なんか絶対選ばれないって分かってるんだけど、でも」

「……ううん、いいよ。もし選ばれたら、わたしのことは気にしないで」

「……ごめん」

「いいって」

「俺が選ばれたら、きっとシュナも選ばれるよ」

「わたし的には嬉しくないなぁ、それ。まあ、兄さんと離れ離れにはならないのは良いけどさー」

「……そうだな。どっちにしろ二人一緒にいられると、いいな」


 そんな話をしていると、少し落ち着いてきた。

 やがて、村長の元に門番が駆け寄ってくる。それが何を意味するのかは一目瞭然だ。


「殿下の馬車が到着しましたっ!」

「そうか! よし、私はこれから殿下をお迎えする! 卒業生諸君、君たちは少しでもいい、身だしなみを整えておくのだ! 一人でも多く、王子に見初められるようにな!」


 村長が門番と共に駆けていくと、広場は騒然となった。

 服に着いたわずかな埃を払うヤツ、髪を手櫛ですいてみるヤツ、少しでも目立つ場所へ行こうと列を乱すヤツから、腕立て伏せを始める男や胸の谷間が見えるように服を破く女まで。まるで暴動のようだ。かくいう俺も、服の皺を伸ばそうと躍起になった。冷静なのは、シュナくらいのものだっただろう。


 そして。


「きっ、来たぞ!!」


 群衆の中の誰かが叫び、次いで蹄の音が聞こえる。馬だ。数は三頭。少し遅れて、大勢が歩く足音も聞こえる。王子とその供回りがこちらにやってくるのだろう。

 騒いでいた連中が一斉に静まる。さすがに、王族の前で粗相をしようなんて馬鹿はいない。

 

 蹄の音が徐々に大きくなる。おそらく、そろそろ家の角から姿を現すだろう。広場にいる百人以上の目線が、広場の入り口へ釘付けになっていた。




 まず、見えたのは腕だった。

 槍の穂先に突き刺さり、ぶくぶくと泡立った血を吹き続ける腕。その下に本来あるべき、頭や胴体などは見えない。まるで食いちぎられたかのように乱暴な切断面からは、ピンク色の肉と白い骨がぶら下がっている。


「えっ」


 意識するでもなく、俺の口から声が漏れる。

 槍に刺した腕を、旗でも振るように揺らしながら現れたのは、甲冑を着た壮年の騎士だった。陶器のような質感に紅白の霊導紋をあしらった護衛騎士の装備に、左右ヘピンと伸びた口ひげが特徴的な長身の男。顔を後ろへ向け、笑顔を見せながら話をしている。

 騎士は、槍を持たない方の手で鎖を握っていた。その先で、馬が進む度に引きずられているのは、先ほど村長を呼びに来た門番に似ていた。片腕がなく、全身が焼けただれて煙を上げているせいで、確証はもてない。

 

 浮ついていた周囲の空気が、一気に冷める―――いや、なんだ?

 なんだ、これは。

 俺の考えが纏まる前に、騎士に次いでもう一頭の馬が現れ―――今度は、空気が完全に凍った。

 

「ぷひ、ぷひ。さあ、この村にはぴったり合うのがいるかなぁ、ドローワ?」

「いやはや、こればっかりは私にも判別がつきません。なにせ、殿下の感性は余人の及ぶ領域ではありませんからな!」

「ぷひひ! よせよせこのおだて上手め。余の才覚などは、一流芸術家たちのそれには届かんさ」

「これはまた、ご謙遜を」

「今はまだ、な? 明日にも追い抜くぞ」

「むはは! さすがは殿下、その意気です!」


 朗らかに、騎士と談笑している肥えた男。身なりやふてぶてしい態度からも、彼が第三王子なのは一目瞭然だ。

 問題はそこではない。

 王子の乗る馬の周りを、大勢の獣人が歩いていた。男も女も全員が裸で、全員が体のどこかを失っている。耳や尻尾なら軽い方で、両腕を肩ごと切り取られている者や両目を抉られて手を引かれている者、中には、首の無いどう見ても死んでいるヤツを背負って歩く者もいた。

 皆、一様に瞳から光が失われている。薬でも打たれているのか、欠損の酷い者は薄ら口元に笑いを浮かべ、涙と涎を地面に零しながら一心不乱に足を動かし、こちらに向かって来ていた。

 

「―――っ」


 声を上げられなかった。悲鳴でさえもだ。

 息を吐くと、自分もあの中に入れられるような気がした。となりで震える妹の手を握ることさえできない。

 怖い。くそ。

 頭が回らない。

 一体何が起こっているんだ。

 

 道の向こう、王子と奴隷たちの奥から村長の声が聞こえてくる。


「そそ、……それ、で。あのう、スヴェト様」


 最後尾から村長と共に現れたのは、執事だった。皺一つない燕尾服に、モノクルと懐中時計。教本通りの装いだ。

 彼は王子たちとは違い、一切の笑顔を浮かべずに黙々と馬を歩かせている。

 

「い、い、一体、殿下はどのような奴隷をお求めなの、でしょうか……」


 執事は村長の言葉を無視して、俺たちの前までやって来る。

 そして、苦虫を噛み潰したような表情をしながら、



「王子は、氷像を求められている」



 氷のような声で、そう告げた。


「一週間後に王都で行われる芸術品評会に出展される作品に、40名の獣人とその血液を凍り漬けにした氷板(ひょうばん)を作ろうとお考えだ。諸君らの中の何名か、王子がこれはと思う者には、その材料となって頂きたい」

 

 ……あ? え?

 何、ひょうぞう? ひょうばん? なにを言ってる?

 俺たちは今、競技奴隷になるための選別を受けているはずで……なぜ、芸術の話が出てくるんだ?


「ぷひひ、ひ。この村はなかなかの粒ぞろいだなぁ、ドローワ? 噂どおりだ。わざわざ出向いた甲斐がある」

「ですなぁ。おお、殿下ご覧ください。あの、最前列の右から二番目の彼は相当鍛えているようですぞ」


 騎士が、腕の付いた槍で豹族の男を指し示す。


「おお。うむ。では最初はソレにしてみようか」 

「そこの者、王子の御前に」


 執事が言うものの、本人はぽかんと口を開いたまま動かない。

 突然のことが起きすぎて、意識が追い付いていないのだろう。俺も同じだ。


「……ッ、前へ! 早くしないか!」


 怒鳴られて、豹族の男は体をぶるりと震わせてから駆け足で王子の前へ向かう。

 そして。


「ぷひひ、ん~……確かに悪くなさそうだが、外から見てもなぁ。やはり割ってみんと分からんな、ドローワ?」

「はっ。では、今すぐに」


 騎士が槍を地面に放り、腰の剣へ手を添える。

 鉄が日光を反射してきらりと光り―――、豹族の男が二つに分かれ、地面に転がる。

 断面から、赤色が、噴き出していた。


「おおっ! すごいぞ! この内臓、良い色合いではないか! 彼は買いだな!?」

「そうですか。それは重畳!」


 王子と騎士が、血飛沫の向こうで朗らかに笑い。


「う……うわああああああああああああああっ!!??」


 誰かが叫んだのをきっかけにして、俺は走り出した。

 獣人の脚力で、禁止されていた『転化』も使い、シュナの手を取って全速力で逃げる。

 豹族の男を斬ったヤツ以外、騎士もいない。あと二歩、地面を蹴れば広場を出られるはずだ。その上で屋根を越え最短距離を行けば、馬に乗った人間に追いつける道理はない。

 一分でオヤジとオフクロを説得し、『転化』を使えないシュナを俺が背負って村を出れば―――行ける。

 

 あの悪魔たちから逃げ切れる!

 


「困りますなぁ」



 背後から、閃光。

 激痛。雷鳴。視界が暗転し、地面を転がる感触だけが全身を叩く。

 やがて視力が戻り、辺りを見まわそうとして―――体が上手く動かない。焼けるような痛みと共に、筋肉が痙攣して動きを邪魔している。

 それでも、何とか首を動かしてシュナの様子を確認した。目を閉じたまま動かない。が、胸はしっかり上下している。気絶しているだけのようだ。

 他に見える範囲では、俺と同じように逃げようとしていたヤツらが転がっていた。騎士の近くで倒れている者もいる。多分、殺された豹族に近しい間柄だったのだろう。


「いやー殿下、申し訳ありません。また獣どもを歩けなくしてしまいました」


 騎士が、頭を掻きながら抜き身の剣を肩に担ぐ。刀身が紫電をまとって発光していた。

 広場にいた卒業生は二百人近かったはずだ。それをあの一瞬で、ほとんど全員を殺すことなく行動不能にしている。

 これが人間の宿呪……精霊の力。


「ぷひっ、全くだ。これでは余の方から足を向けねばならんではないか。もう少し加減を覚えろ」

「はっ。精進いたします」

「うむ……まあよい、よいぞ。そうだな……余はプラス思考なのだ。せっかく歩くのなら、少し運動をして行くとしよう」

「運動……おお、味見ですな? 今回は材料だけでなくメイドもお買い上げで?」

「ぷひ。そういえば今朝、一台壊してしまったからな。それもいいかもしれん。材料にならなそうなものから、いくつか選んで持って帰るか」

「でしたら、私の方で良さそうなのを見繕って割っておきます。殿下の味見が終わるまでに揃えておきますので」

「うむ、そうしよう―――スヴェト! これからは適当にやる。村長には一応、全員分を払っておけ……獣王殿への献金は別口で包むのだぞ」

「………………は」

「ぷひひひ。ではドローワ。材料の方、後を任せるぞ」

「ははっ。お任せあれ」


 次の瞬間、始まったのは血飛沫と絶叫の地獄。長身の騎士が、動けないヤツらへ次々と剣を振り下ろす。無感情に淡々と、野菜でも収穫するかのように。騎士に近い者たちは地面を這って必死に遠ざかろうとするが、逃げ切れるはずもない。

 

 そんな阿鼻叫喚の中で、悪魔の目に濁った輝きが宿る。

 頬を紅潮させ、口の端から涎を流し、欲望のはけ口を探して贅肉を揺らすその姿は、この世のものだとは思えなかった。

 醜く膨らませた股座が、先ほど言っていた『味見』の意味を直感させる。

 せめて。

 せめて、シュナを守らなければ。

 ヤツの視界に入らぬよう、俺は妹の上に覆いかぶさろうと試みる。

 でも。寝る間を惜しみ血反吐を吐いて鍛えた体は、冗談のように言うことを聞かない。なんとか動かしても、その速度はナメクジのようだ。今にも、悪魔の汚らしい双眸にシュナが映るのではないかと焦りだけが募る。


 大丈夫だ。

 これだけ、二百人近くいるんだから。

 シュナに目が行くわけ―――




「おお? ベアトリス。本当か?」




 突然、悪魔が馬に向かって(・・・・・・)喋り始めた。ヤツが乗っていた馬だ。

 答えるように、嘶きが返ってくる。



「ぷひ。お前が言うなら間違いないのだろうなぁー……」



 振り向いた時、その視線は、間違いなく俺の隣を向いていた。

 ヤツが来る。

 肉を断つ音と学友たちの悲鳴を背に、ゆっくりゆっくりと。まるで噛みしめるように。



「ぷひひ、おお。余計な筋のない余好みの肉ではないか。その上特殊な『調教』を施せる珍しい宿呪……決めたぞぅ。まずはコレにしよう」



 くそっ、ちくしょう。来てみろ!

 悪魔の目には俺が映っていない。自分が襲われることなど考えてもいないってツラだ。

 やってやる。

 丁度いいことに、『転化』はまだ解けていない。今の俺は人狼だ。まずはヤツの足を噛み潰して、転ばせる。そうしたら首筋でも股座でも、近い方を食いちぎってやる。それだけで、妹は守れるはずだ。


 ヤツに牙が届くまで、あと五歩。

 四歩、三歩、二、いち―――

 俺が今出せる渾身の力で口を開いた、その時。鳩尾にとんでもない衝撃が走る。

 蹴られた!? いや、これは……風!?

 突風によって浮き上がった俺の体がシュナから遠ざかる。

 止める者がいなくなった悪魔は、地面を転がる俺に一瞥もくれず、未だに目を覚まさないシュナの元へとたどり着き、そして。


 そして―――――ッ!!




「ゃ……ぇぉ…………っ……」


 声が出ない。起き上がれない。拳を握ることさえ、できない。

 俺は、なんだ?

 今まで何を努力して来たんだ? 妹を守るためじゃないのか? アイツを殺すためじゃないのか?

 どうして、ほんの十メートルを駆けられない。

 どうして、何も出来ないんだ。

 神様。

 ちゃんと頑張ってきたじゃないか……!!



「今の君では殺せない」


 声は、上から。

 眼球だけでそいつを睨む。


「雷霊に侵され、体に力が入らないんでしょう。歯形を付けることだって不可能だ」


 皺一つない燕尾服。モノクルと胸ポケットに懐中時計。

 執事だ。あの悪魔の。


「耐えて下さい。僕には君の気持ちが分かります。酷なことを言っているのも理解している。それでも……耐えるんだ」


 何を言ってる。ふざけたことを抜かすな。

 そう思った。確かに、俺の中に怒りは沸いていた。

 だが、執事の目を見て直観する。


 同じだ。

 コイツは俺と、同じだ。


「アレはただの肉塊じゃない。馬鹿で愚鈍ですが、この世でもっとも倒し難い化け物です。考えなしに、その場の感情で攻撃しても致命傷にはならないし、殺すだけでもダメだ。刺し違えたって、僕らが失ったものは取り返せないんですから」


 執事は、激情を隠した凍てつく瞳で、シュナを襲う悪魔を見ている。網膜に焼き付けるように。その光景を、自らの炎にくべる薪としているのだ。歯を食いしばる音が、喧しい中でもはっきりと聞こえた。


「……今日のこの件で、生き残った者たちのほとんどは心が折れるでしょう。二度と立ち上がることもなく、アレに怯えて生涯を過ごす敗北者になるはずです。……君は、どうですか?」


 初めて、執事の視線が俺の方を向いた。

 折れるだと? ふざけんな。

 答えなんか決まっている。

 声は出ないが、目で返してやる。


 執事は冷たい表情のまま、頷いた。


「今回のことが落ち着いたら、第三王子領都の新市街区へ来てください。仲間と仕事を紹介しますよ。……君の妹を、取り戻す方法もね」



 この日、卒業生の半分近くが殺され、死んだ者も含めて3分の1が『材料』としてリーニェに買われていった。

 後日王都で催された芸術品評会の場で、ヤツの作品は第一王子に「牛の糞の方がマシだ」とボロクソに貶され、最低の評価を付けられたという。憤ったリーニェはその場で氷板を叩き割り、火山へ捨てるように命令したという。

 ……せめて、ヤツの手元に残されなくて良かった。学友たちも少しは救われるだろう。


 これだけのことをされても、獣人国が動くことはなかった。隣国の王族に国民を好き勝手虐殺されたんだ。普通に考えれば戦争だろう、と思ったが、その考えを正されたのはスヴェトの元へ行ってからだった。

 理由はただ一つ。俺たちが奴隷だったからだ。

 獣人国は、国を挙げた主産業として奴隷販売を行っていたのだ。人間と龍以外の種族の国では、どこも大なり小なり奴隷産業をやっているらしいが、獣人国は特にひどいらしい。

 国にとって俺たちは『商品』で、村は奴隷(しなもの)を生む『工場』だった。奴隷が正しいという風土を作り上げ、学校で教育し、自ら進んで良い奴隷になるよう誘導する。誰も疑問に思わないし、国は少ない手間で莫大な利益を得るわけだ。

 クソッタレが。

 今回のような件があっても、相手が王族みたいに権力を持つ相手なら、『商品を失った分の損害賠償』を支払えばお咎めなし。スヴェトによると、リーニェがああいうことをするのはウチの村が初めてではないらしい。

 結局、あの時の人間の講師が言っていたことは全部正しかった。

 おかしかったのは彼女じゃない。俺たちと、俺たちの生きた世界だったのだ。

 まあ、『モノ扱い』の意味が実感できる今だからこそ言えることだけどな。あの当時にいくら諭されても、たぶん理解できなかっただろう。


 スヴェトの言葉に嘘は無かった。

 俺は彼の計画に乗り、シュナが褒めてくれた計算を生かして書記官になった。暗殺計画を動かす間、スヴェトはどうしても政治調整に掛かり切りになる。そのため、計画を知った上で領内の雑事をこなす役割が必要になるのだ。獣人の俺を雇うのは相応に骨が折れたようだが、良くも悪くも普通の領地とは違う第三王子領なので、力技でどうにかできたらしい。

 

 正直、この手でリーニェを殺したい気持ちは捨てきれない。だが、俺が実行犯になってはシュナの身が危うくなる。だから、俺はこのポジションでいい。


 本当に、そう思っている。

 ―――それでも。


 あの時。気絶していたシュナを殴って目覚めさせ、襲いながら下卑た笑い声をあげるヤツの姿。

 どうしても、その映像が脳裏から離れない。

 




「ぷひゃあはははははは!! どうして殴ると締まるのかなぁ!? 不思議だなぁ!? 本当は良いってことなんだろ! なぁ! おい! ぷひゃははははぁっははははは!!」



 離れない。

















「僕は今朝、約束した」













 今、俺の目の前に悪魔が居る。

 心の底から殺したいと願う相手だ。

 故郷を壊し、学友を殺し、妹を犯した悪逆非道の徒。


 そいつは今、俺が少し指を曲げるだけで死ぬ。

 殺せるのだ。



「ルイラさんと奴隷だという少女たちに約束したんだ。彼女らを救うため、『やれる限りのことをやる』。だから―――」



 悪魔の脂ぎった手が、俺の腕を掴む。

 熱く。強く。

 それでいて、目は少しだけ潤んでいる。



「―――君に妹は返さない」



 その姿は、まるで……俺たちを諭した、人間の講師のようだった。

 

 

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