1章:第12話 役名:『第三王子』②
「……あたし?」
アンネリーゼの声が執務室に響く。
不思議そうな表情とは裏腹に、歌うような声色だった。
「君だよ。他にもいるのか? アンネリーゼって名前の人」
「別に、いないけど……何よ今の言い方は。バカにしてんの」
「いやいや、単純に全員の名前を知らなかっただけだよ。そう怒らないでくれ」
アンネリーゼに睨まれても、リーニェの様子は平然としたものだった。
彼が内心で『七霊』を恐れているのは、スヴェトたち使用人の間では周知の事実である。
表向きは尊大な態度を取っていても、対面した際は目を合わせることすらできない。当のアンネリーゼは体を見られていると勘違いしているようだが、本当のところは怯えから来ているのだ。
しかし、今は違う。
「で、どうなんだ。君から見た僕は、どんな王子だった?」
相変わらず無礼を咎めることはしないが、怯えている様子もない。
どころか、親しみを覚えているような態度だ。スヴェトたちに質問を投げた時に纏っていた覇気は薄まり、それこそ従姉に話しかける際の気軽さが伺える。
むしろ、アンネリーゼの方が面食らっているほどだった。
「あんたねぇ……記憶喪失だか何だか知らないけど、いいの? こんな大勢の前でそんなこと、よりにもよってこのあたしに聞くなんて。ひょっとして、あたしがどんな人間なのか、分かってないの?」
「いいや? 記憶は無いけど察しはついてるよ。だからこそ聞きたいんだ。ありのままを脚色せず、皆に聞こえるように伝えてくれ」
「へぇぇ。そう。いいんだ。どういうつもり?」
「言ったろ。僕は僕自身のことを知りたいんだ。良い面も、悪い面もね」
そう言って、リーニェは笑う。
贅肉にまみれていながら、爽やかに感じる笑顔。記憶喪失以前を知るスヴェトからすれば、違和感から逆に不気味な印象を受けるほどだ。
「あっそう。じゃ、お望み通りにしてあげる―――」
しかし、アンネリーゼは瞳に喜悦を浮かべる。
嗜虐心を宿した色だ。半ば呆けて会話を聞いていたスヴェトの脊髄に、嫌な予感が駆け抜ける。
「さっきまであんたが言われてたことはね、全部お世辞よ。真っ赤なウソ」
「っな!?」
声を上げたのはスヴェトではない。最年長の書記官だ。
アンネリーゼは構わず続ける。
「良い面? ひとっつも無いわよ。実際のあんたは、王子としても人としても無能で、無駄で、無様で無意味。呼吸してご飯を食べてセックスするだけのブタだわ。あー、せめて繁殖して子供を残すんなら使い道はあるんだけど……それもしない。あはは! 改めて口にすると凄いわね。せっかく死にそうだったのに、なんで生きてんの? あんた」
雷に打たれたように、話を聞いていた全員が硬直した。
笑っているのはアンネリーゼだけだ。リーニェの顔からも笑みは消え、それを伺うスヴェトたちには恐慌が浮かんでいた。
―――何だ、一体。何が起きてる!?
執務室の空気は、異様としか言いようがなかった。
スヴェトの立場からすれば、アンネリーゼの発言は即座に否定しなければまずい。
しかし。
「何となく…………ろくでもないんじゃないか、とは思ってたんだが。僕はそんなにひどかったのか?」
「そうねぇ。暗殺で死にかけてもチャラにならないくらいには、クソよ」
「うーん、そうか。なるほどな……。記憶喪失は幸運だったかもしれないな。自殺せずに済む」
スヴェトが何かを言う前に、リーニェは嘆きながらも受け入れている。
アンネの言葉を一切疑わず、スヴェトや書記官たちに確認をとろうとすることもない。つまり、先ほどまで彼らが話していたことを、全く信じていないということだ。
これでは、うかつに口を挟めない。
「意外だわ。ブヒブヒ言いながら殴り掛かってくるかと思ってたのに」
「そうだな……自分でも不思議なんだけど、アンネの言葉が事実だっていう実感は沸くし、罪悪感はあるんだ。でも記憶喪失のせいかな、どこか他人事に感じるところがある」
「ふぅん。じゃ、ついでに言っとくわ。あんた、芸術に関するセンスなさ過ぎよ。知ってた? この宮殿に飾られてるの、三分の一くらいニセモノなんだけど」
「ええ!? 本当に!?」
「大マジよ。前に言った時はあんた、信じなかったけどね」
「いや、信じるよ……確かに僕ならやりそうだ」
切り口を探して頭を悩ませている内に、二人の話題が切り替わる。
結局、スヴェトは会話が終わるまで一言も発することができなかった。
「……ありがとう、アンネ。ようやく少し、本当の自分を知れた気がするよ」
そう言って照れたように頭を掻く姿からは威圧感が鳴りを潜め、親しみのある愛嬌を感じさせる。
執務室内の空気が急速に弛緩していくのを、スヴェトは感じた。
安堵からあからさまに溜め息を吐いて、メイド長に叱責される若い書記官までいるほどだ。
書記官は全員が平民であり、王族に無礼を働けば処罰は免れない。ナギが声を荒げるのは当然の対応だった。
しかし、これもリーニェは手で制する。
「いいんだ、ナギさん。この質問には肩ひじ張らず、おべんちゃらは抜きで答えを聞きたい。例えそれがアンネのような意見でもね。……ああ、別に君や執事長を責めているわけではないよ? 褒めてくれたのは単純に嬉しかったから」
当の王子からこう言われてしまっては、叱り続けるのも無礼に当たる。ナギは引き下がるしかないし、同じようにスヴェトが割って入ることもできなくなってしまった。
そして、何も言えないスヴェトをよそに、リーニェは『自分をどう思うか』という質問を再開する。
先ほどより―――いやむしろ、執務室に入った時よりも遥かに穏やかになった雰囲気の中で、若い書記官や護衛騎士に対して問いかけていく。
彼らが定型文の賛辞を述べるたびに、アンネリーゼが横から茶化したり、リーニェ自身がより砕けた様子で混ぜ返したりして、一つ二つの不満点を引き出していく。
食べ過ぎで健康が心配だ。
警護のために私室への立ち入りが必要だ。
大切な美術品を傷つけないために、柵か何かを設けてほしい。
馬房が老朽化しているので、修理してもらいたい。
累積する書類の整理が追い付かないので、書記官の増員を検討してほしい。
最初はご機嫌取りともとれる当り障りのない不満だったものが、小さな相談のようなものになり、やがて要望へと変わっていく。
リーニェはそれら全てに笑顔で相槌を打ち、「わかった」「考えてみよう」などと返していった。
そうしたやり取りを進めていくにつれ、さらに空気が和んでいく。
―――何だ、これは。これじゃあまるで……
気が付けば、スヴェトの体は震えていた。
目の前のリーニェの振る舞いは、まるで彼が善良な王子であるかのようだ。暗殺されかけ、記憶を失ったことで生まれ変わった。そういうアピールにも見える。
スヴェトにとって、そんなことは許されないことだった。
記憶の有無など関係ない。リーニェという人間は、一度や二度の死で許されていいような存在ではない。
世界中から憎まれ、蔑まれる汚物のような扱いこそが相応しい。
第三王子の穏やかな笑顔など、この世で最も見たくないものの一つだ。
腹の底から沸き立つような憎悪。宿呪を開放し、あの醜い体を渾身の力で引き裂きたい衝動に駆られる。
寸前のところで抑えられたのは、執事としてリーニェの傍に仕え、長年感情をコントロールしてきた経験と、ここに来る前ルイラと会って話していたことが大きい。
―――感情に任せてはダメだ。ただ殺せばいいわけじゃない。その先もあるんだから……
この場には護衛の騎士もいるし、アンネリーゼもいる。暗殺そのものの成功率が低い上、実行すれば絶対に逃げられないだろう。リーニェと相打ちになったのでは、スヴェトの復讐が果たされたとは言えない。
そんな風に理性をフル動員し、自分に言い聞かせ続けることで、何とか憎悪を制御する。
スヴェトには、それが精いっぱいだった。
そう。
彼がそれを見逃したのは、単純に余裕が無かったからだ。
リーニェが質問をする次の相手。
「では、君で最後だな……。聞かせてもらってもいいだろうか」
「―――えせ」
「うん?」
「妹をッ……返しやがれ!!!!」
犬のような耳を生やした若い書記官が、スヴェトと全く同じ理由で震えていたことを。




