1章:第5話 『七霊のアンネ』
ルイラさんが開けてくれた扉を通って廊下に出る。
そういえば、私がこの……夢世界に入ってから、部屋の外に出るのは初めてのことだった。
「うわーぁ……」
予想通りの広い廊下。人が十人は横になって歩けるだろう。部屋とは趣の違う絨毯に、装飾の異なるシャンデリア。天井には一面に天使っぽい絵が描かれているけど、正直高すぎてよく見えない。廊下の両端に並べられた絵画や彫刻たちは、それぞれがこの空間の主役は自分である、と大いに主張している。調和や統一感を無視した配置だ。インテリアとしては好きじゃないなぁ。
総じて、人間が歩くための廊下ではなく、美術品を鑑賞するための廊下でもなく、持ち主がコレクションを自慢するためにある廊下。そういう印象を受けた。
……こういうとこ、成金っぽいよなぁ。
一つ一つは美しく、素晴らしい作品でも、並べる人間によっては下品に感じてしまう。クローゼットを見たときにも感じたことだ。
うーん……リーニェ。君には何か一つくらい、いいところはないの?
私が廊下の広さと大量の美術品に目を回していると、彫刻の中に混じって人間が居るのに気が付いた。
燃えるような赤い髪。凛とした切れ長の瞳。陶器を思わせる質感の鎧に身を包み、背筋を伸ばして直立するその姿は、周りの宝石像に勝るとも劣らない美しさがある。
彼女は―――見覚えがある。確か、最初に目を覚ました後、お姫さまたちと一緒に部屋へ来た騎士の一人だ。
廊下に出た私に向けて、じっと視線を向けてくる。
「あっ」
うん、怖い。
怖いタイプの美人だ。可憐なお姫さまやクールなルイラさんとはまた違う。視線に棘を付けているというか、威圧感が強い。美人なのは間違いないんだけど、好みかどうかは分かれるだろうな。私は苦手だ。
「ルイラさん……あの人は?」
「護衛騎士団の、『七霊』アンネリーゼ様です。あんなことがあった後ですから、ドローワ様が心配なさったのでしょう」
あんなこと?
私が不思議に思っている間に、赤騎士―――アンネリーゼさんが近づいて来る。迷いのない足取りだ。威圧感がさらに増してる。
それを見て、ルイラさんは会釈するように目を伏せた後、すっと足を引いて後ろに下がった。
「何をボーっと突っ立ってんのよ、デブ!」
ん?
今なんか、乙女的に聞き捨てなら無い言葉が聞こえたような気がする。
具体的に言うと、目の前にいる、赤い髪の人から―――
「はぁ。のろっちぃわね、この豚! 早く行くわよ!」
―――ふおおおおお!?
んなっ、ちょ、何なのこの人!?
絶句し、思わず私は後ろのルイラさんを振り返る。彼女はほんの一瞬、一瞬だけ舌打ちでもしそうな表情を見せた後、私に代わって応じてくれた。
「畏れながら、アンネリーゼ様。殿下にそのような物言いは……」
「咎めるっての? はん、あんたが?」
外見通り……いや、それを上回るほど刺々しい。
腕を組み、片足に体重を乗せ、顔を斜めに傾けて睨みつけるその様は、さしずめ茨の女王様。SMクラブにでも就職したら、さぞかしモテるだろうなぁ。
じゃ、なくて! 現実逃避している場合じゃない。
「物言い、っていうけどね。あたしは公爵家で、そのアホの従姉よ。家格は同じ。叔父さんやお客の前ならいざ知らず、本人とメイドしかいない場所で畏まる必要がある?」
「公爵家の前に、『元』がつくでしょう? あなたは勘当されて、今は殿下の護衛騎士団に所属するただの一騎士であるはずです」
「……へぇーえ、ルイラ。ルイラちゃん。どうしたの? そんな口きいちゃって」
ゆら、とアンネリーゼさんの纏う空気が変わった。
比喩じゃなく、体の輪郭に沿って陽炎のように空気が揺らいでいるのだ。こっちは気のせいかもしれないけど、なんだか急に暑くなってきたような気がする。
殺気? 宿呪? ……なんにせよ、アンネリーゼさんが怒っていることだけは、その表情を見るだけで伝わる。
やばい。冷や汗止まんない。
「あたし好みのカワイーお顔に免じて、もう一度だけ聞いてあげるわ。あんたが、あたしに、何だって?」
「いえ、申し訳ありません。出すぎた真似を致しました。どうかお許し下さい」
即座に頭を下げるルイラさんに、「…………そ。分かればいいのよ」と全く良さそうじゃない表情でアンネリーゼさんが頷く。同時に、背後の揺らめきも解除された。やっぱ、怖いよこの人……。
ルイラさんはこれ以上なく分かりやすい方法で、アンネリーゼさんがどんな人物かを教えてくれたみたいだ。ありがたいけど、この人の度胸もどうなっているんだろう。顔色一つ変えてないし、怯えてるようには見えない。
アンネリーゼさんもあっさり矛を収めたし、もしかして、普段からこんなやり取りをしているのかな……いや無いか。
「分かったなら、あんたは仕事に戻りなさい。ただでさえ今、大変なんでしょ」
「ご厚情痛み入ります。では」
私が頭を回している間に、ルイラさんは寝室へと戻ってしまう。
え、二人っきりにされるの!? やだ!
「る、ルイラさん! 食堂までの案内は……?」
「……殿下、申し訳ありません。あんなことがありましたから、食堂へは一部の者以外立入り禁止なのです。それに、私には殿下のお部屋とコレクションを清掃する仕事があります。案内でしたら、アンネリーゼ様の方が安全で確実です」
察しの良い人だ。ルイラさんは私の言いたいことは分かっていたのだろう。僅かに眉をハの字にしながらそう答えてくれる。どこが安全なのか、全く理解できないんだけど。
私が二の句を継ぐ前に、ルイラさんは寝室の扉の向こうへ消えてしまった。ああ……。
「……ちょっと、リーニェ」
「ひぃっ!?」
「何よ、変な声出して。本当に豚の練習でもしてるワケ?」
「い、いいえ、そんなつもりは決して……」
ひえぇ。
なんて強烈なんだ。
お芝居の界隈だと、強気で美人な人っていうのは特別珍しくない。むしろ多いくらいだ。多少気が強いくらいのメンタルがなければ勤まらない職種でもあるから。
でも、そういう人たちが棘を向けるのはライバルに対してで、そのライバルというのは主役か主要人物を演るような役者が大半だ。モブ専門の私とは役の取り合いになることがないので、どっちかと言うと仲良くさせてもらえていた。
何が言いたいのかというと、つまり。
私には、この手のタイプに対する耐性があまりないのだ。
表面上は仲良くしながら、他の人に対して『強気』を発揮しているのを遠巻きに見たりしている分、余計に怖く感じてしまう。
もちろん、相手側はそんなことを気にしてはくれない。
「ふん、何よ妙にオドオドしちゃって、気持ち悪い。いつものふてぶてしい態度はどうしたのよ? あんた、本当に記憶失くしたの?」
リーニェってば、彼女にも不遜だったのか。さすが、王子だけあって肝は据わってたんだなぁ。
それはさておき、ここは少し気合を入れていないと、素の私が出てしまうかもしれない。
私はアンネリーゼさんにバレないよう小さく深呼吸をして、『リーニェ』のスイッチを入れる。
「……確かに、僕には記憶がありません。アンネリーゼさん……でしたか、あなたがどんな人なのかも、覚えていません」
「へぇ。ま、そこはどうでもいいんだけど。なるほど、記憶喪失ねぇ―――」
アンネリーゼさんは、私の頭からつま先までを無遠慮に眺める……いや睨みつける。
ひええ、まるで蛇だ。獰猛な捕食者に狙われた小動物の例に漏れず、私もこの場から脱兎したくなる。でも、幸か不幸かリーニェのだらしない体では、そんな機敏な動きをとることができない。
できるのは、せめて目を逸らさないでいることだけだ。逸らしたら噛み付かれそう。
私が数秒の沈黙に耐えていると、彼女が突然「あ、そうだ」と手を叩く。
「ねぇリーニェ。覚えてないだろうけど、実はあんたね、昔っからあたしの言うことは絶対服従―――」
「嘘はやめてください」
「なによ。わかんないんでしょ?」
「それくらいわかりますよ。顔に『今思いついた!』って書いてありましたし」
口調ではわりと平然だが、中身の方はガタガタだ。
そんな私のツッコミに、アンネリーゼさんはくすくす笑う。あ、意外。笑顔はそんなに怖くない。
「ふぅん―――確かに、あんたらしくない表情をしてるわね。いつもなら胸ばっかり見てくるクセに、今は何だかキリっとして、ちゃんと目を見ているし?」
そう見えるなら、それは私の演技力によるものだ。
リーニェの体では表情筋とか鍛えてないのに、よくやれてるなぁ。ちょっと自画自賛。
「ま、いいわ。冗談はこのくらいにして、さっさと食堂に行きましょう。スヴェトとナギと、ドローワの馬鹿も待ちくたびれているわ、きっと」
言うや否や、アンネリーゼさんは踵を返して歩き出す。鎧がガシャン、と見た目にそぐわない金属音を鳴らした。聞くだけで重そうだと分かるけど、彼女は気にする様子もなく、リズム良くどんどん先へ歩いて―――って、ちょっと、早っ!
「アンネリーゼさん!」
「何? っていうか、アンネでいいわよ長ったらしい」
「あ、あの、もう少しゆっくり、お願いできません? 僕、食堂の場所も分からないので……!」
「はぁ?」
アンネリーゼさんは振り返り、ぶひぶひ小走りする私を見て不機嫌そうな顔をした。
「……ああそう、あんたってば豚だったっけ。ったく、何でこのあたしがこんな、のろっちぃのの護衛なんか……」
大きなため息。
あ、今のはちょっとイラっと来たぞ。
私は三日も寝込んで本調子じゃないんだ。ちょっとくらい気を使ってくれてもいいじゃないか。
それに、そもそも太っているのは私のせいじゃない!
決めた。
最初から予定には入れていたけど、決意を新たにした。私は絶対ダイエットする。デブ王子から脱却して、あの茨女を見返してやるんだ。
やってやるぞ、この野朗!
「……あん? 何よその目は」
ごめんなさい。急ぎます。
あぁ~、こんなことならアッシを部屋に残さずに、連れてくればよかった。
癒しが欲しいよぉ。




