1章:第6話 幕外の出来事③
第三王子の寝室。
一周回って安っぽく見えるほど宝飾品で飾り付けられた扉に耳を押し付け、ルイラは寝室の前から離れていく二人分の足音を聞いていた。
「どうです? 行きましたか?」
唐突に、背後から聞こえる声。ルイラの反応は早かった。部屋の外へ耳をそばだてていた姿勢から、氷のナイフを生み出して投擲するまでコンマ一秒。その発動速度は、彼女の『自然呪使い』としての力量が熟達にあることを示していた。
腕力ではなく、宿呪によって放たれた氷刃の速度は、弓や火器で放つ矢弾をゆうに超える。普通の人間に反応できる域ではない。結果的に、ナイフは正確に発言した男の左胸へ吸い込まれ―――あっけなく貫き、背後の壁に突き刺さる寸前で氷解。霧になって痕跡もなく消え去った。
閉め切った部屋の中で、体温を宿した風が吹く。
「あっ……危ないですねぇ!」
左胸に穴を空けた男が叫ぶ。目尻には薄く涙が浮かんでいた。
しかし、彼に出血はなく、空いた穴からは肉も骨も見えない。ある意味無傷といってよかった。ルイラがそれを確認してふんと鼻を鳴らした時には、すでに穴は塞がっていた。
「宿呪を解除してたら死んでましたよ!? 殺す気ですか!」
「あなたが悪いでしょ、どー考えても。誰も居ないはずの部屋で、あたしみたいな人種の背後に突然立ったらどーなるか、って想像つきそうなもんだけど?」
ルイラの言動は、先ほどまでと打って変わってフランクなものだ。今のリーニェが見れば180度印象が変わるだろう。メイドという皮を被っていない、彼女にとってはこちらが素顔の振る舞いだった。
「……む、確かに言われてみればそうですね。申し訳ありません、配慮が足りていなかったようです」
一方の優男は職務中と変わらない、真面目くさった表情で頭を下げる。
皺一つない燕尾服にモノクル、胸ポケットには懐中時計。基本に忠実な執事の装いは、彼の性格を表すようだった。多少の冗談を含ませたつもりだったルイラは、苦笑しつつ姿勢を正す。
「あーあー、そんなに畏まらなくてもいいっての。ったく、お固いんだから」
「以後気をつけます」
「だから、そーいう……まーいいわ。それで、一体どういう風の吹き回し? そっちから来るなんて珍しいじゃない」
本来なら、男は食堂でリーニェの到着を待っているはずだ。
第三王子付きの執事長。屋敷に勤める他の使用人とは違い、王家から直接派遣された唯一の側近だ。22歳の若さでそんな職に就けるほど有能であり、そうあるように育てられた上級貴族の子息である。本来なら、下民の出自であるルイラが会話できるような相手ではない。
つまり、二人は本来ではありえない関係だった。
「もしかして―――食事中に仕掛けるの?」
雇われの暗殺者と、その協力者。
志す理由こそ違うが、彼らは稀代の暗愚、輝かしい王家の汚点と言われたリーニェ第三王子を亡き者にせんとする目的を共にする、同志だった。
「ええ、そういうことになるかもしれない、という話です。もっとも、仕掛ける相手は王子ではなく騎士団長殿ですが」
「ドローワ? なんでよ」
「厄介だからです。話している時間が無いので詳細は省きますが、王子暗殺とアヴィーレ家復興への最大の障害は円卓というより、彼と騎士団だと思われます」
「それで、王子に先んじて排除しようってわけ?」
「はい」
―――いくらなんでも、急すぎじゃない? なんの準備もしてないでしょ。
致命的な失敗の予感。話を聞いて、ルイラの胸に昨晩と同じ不安がよぎる。
執事長が優秀なのは疑いようもない事実だろう。暗殺失敗から数日で外部の貴族を丸め込む外交手腕など、一介の執事には収まらない才覚だ。少女といっても差し支えない年齢であるレイレ王子妃を始め、徹底的に解体された旧領主派の中にはこれほどの人材は残っていない。彼こそが、今や暗殺計画の中心であるのは言うまでもない。
しかし、執事長とてまだ若く、これほど大きな暗殺計画を動かした経験はないはずだった。
それ故か、妙なところで詰めが甘かったり、不必要に仏心を出したり、こうして焦りが全面に出たりする。
「……騎士団長殿が主体で、円卓が王子の記憶を取り戻すべく動いていると聞きました」
ルイラが黙っていると、執事長が言い訳をするように語りだした。
「もしかすると、彼が食事に同席するのは早々に解決策を見出しているからなのかもしれません。そうなったら、計画が全てご破算です」
―――だからって、ホイホイ手を出していい相手じゃないと思うけど。
思うところがあっても、ルイラはそれを口にしなかった。軽口は叩いても、引くべき一線は引く。立場が上の相手に意見をする時には、タイミングというものがあるのだ。
それに、本心では暗殺の成否に関心が薄かった。
悪辣極まる第三王子に死んで欲しいと思う気持ちは確かにある。奴隷に貶められた少女たちに対する同情も嘘ではない。記憶を失って多少マシになったように見えるが、それだっていつまでも続くものではないだろう。それこそ、執事長の恐れる通り、今日にでも騎士団や円卓の手で元の外道に戻る可能性だってあるのだ。リーニェ第三王子は、出来るだけ早く死ぬべきだと思う。
しかし、先日失敗した家令のように、己の命と刺し違えても、とは考えない。
ルイラにとって暗殺とは、あくまで家族を養うための手段だった。使命感や正義感に駆られて行なうのではなく、報酬に対する義務として遂行するもの。結果として死ぬことはあっても、最初から命を懸けるようでは三流だ。本当に危なくなった場合は、業界内で通じるだけの義理を通して逃げてしまうのが、暗殺者の常識だった。
故に、ルイラが注視すべきは敵より味方。
雇い主が己を捨て駒として扱うように、彼女も計画全体を審査しなければならない。
「……で。あたしに何をしろって?」
「例えば、あなたの宿呪で毒を凍らせて、ドローワに打ち込むことはできますか? これから食堂で、周囲にそれを悟られない形で」
「できるわ。毒の氷針は『氷霊掌握』の使い手なら常套手段。あたしなら、髪の毛くらいの針にして、騎士の目でも追えない速度で打ち込める。でも―――」
「そうですか! では、なんとか貴女も給仕の枠へ入れますから、万一の時は合図を送るので、お願いします」
言うだけ言って、執事長は立ち去ろうとする。
「ちょっと! でも、って言ってるでしょ!? 話を最後まで聞いてよ」
やはり、執事長は焦っている。
ルイラは落ち着かせる意味を込めてゆっくりと続けた。
「相手が素人やその辺の騎士ならどうとでもなる。でもね、王子を食堂に連れて行くのはあの《・・》『七霊』でしょ。人の目は誤魔化せても、精霊の監視は潜れない。あの女がついてる限り、宿呪を使って暗殺するのは無理だわ」
優男の顔にはっとしたものが浮んだ。やはり、アンネリーゼのことが頭から抜け落ちていたらしい。
王家に唾を吐いた女。元大貴族の息女であり、現王国最強の騎士。彼女のことは、ルイラよりも執事長の方が詳しいはずだ。
ルイラの胸中に、苦いものが満ちる。アンネリーゼの存在は、結局血筋と才能が全てなのだと言われているようで、どうしても気に入らなかった。
「でしたら……彼女を食堂から退席させて……」
「どうやって? ドローワは宿呪での暗殺を警戒しているから、『七霊』を王子の護衛にしたんでしょ。引き剥がしたら怪しまれるわよ。勘づかれてドローワとの正面戦闘なんて、それこそ無謀じゃない?」
騎士団長ドローワ。ルイラと同じく下民の出自でありながら、その戦闘力で地位を得た男。
2属性の『自然呪使い』だと噂されているが、通常の戦闘では『雷霊掌握』しか使わない。それでも、騎士団長を名乗れるほど強いのだ。彼の扱いに不満を漏らした貴族―――元騎士団長を、正々堂々決闘でねじ伏せた時の逸話は、今でも市民の語り草になっている。
さらに、部下の騎士たちに言わせると、2つ目の属性を開放したドローワは公的に最強の騎士とされているアンネリーゼさえ凌ぐという。
王族にさえ食って掛かる、反骨心が服を着ているような性格をしている『七霊のアンネ』が、団長の指示には大人しく従っている。騎士たちが語る根拠はその程度だったが、ルイラはあながち間違ってもいないと感じていた。 実際、この手の噂をアンネリーゼやドローワが否定した、という話は聞かない。
「なんにしても、私には荷が重いわ。無理なものは無理って言わせてもらう。もちろん、あなたがレイレ様を通して命令してくるなら最善を尽くすけど―――」
嘘だ。本当にそんなことを言われたら、即座に逃げるだろう。
もちろん、適当に理由はでっちあげる。自分の死体を偽装して、殺されたように見せるのが妥当だろうか。
「―――ドローワを殺るなら不意を突かなきゃ。相応の準備が必要よ。もちろん、『七霊』や王子も同じ。こんな風に思いつきで実行したんじゃ、成功するものもしないっての」
「そう……ですか。確かに、仰る通りかもしれません。僕は焦っていたのかもしれない……」
心から納得した訳ではない。だが、ルイラの言うことは理解した。
そんな様子で、執事長は徐々に冷静さを取り戻していく。俯いた顔を上げた頃には、表情にあった焦りが消えていた。こうして他人の意見を聞き、心に落とすことができるのも彼が優秀な証だろう。
「分かったなら、そろそろ行った方がいいんじゃない? 王子が着くまでに食堂へ着かないとまずいでしょ。あたしも仕事あるし」
「……あとで、改めて相談させてもらっても?」
「はいはい。昨日みたいに自由時間が取れたら、ね」
「お願いします。是非」
執事長は一礼すると、己の宿呪を発動させる。
『風霊一体』―――自身の肉体を風属性の精霊と入れ替える宿呪。
風が通るのなら密室の中であろうと自在に移動し、発動中であればナイフで貫かれたとしても死ぬことはない。
支配する精霊へ多大な負担を掛けるため、一日に何度も使える宿呪ではないが、手の平の中でしか力を発揮できない『掌握』とは、天地の差がある強力なものだ。
貴族がその血の優秀さを示す証。努力では埋められない壁そのもの。
下民であるルイラにとっては忌まわしいものの一つである。
―――ま、こと戦闘に限っては、宿呪の質が全てじゃないけどね。
ドローワのを思い出し、ため息と共に頭から追い払う。標的に抱く憧憬など、仕事の邪魔にしかならない。
室内に一陣の風が吹いた。執事長の体温を宿す生暖かい風。王子のコレクションを倒したりするほどではないが、掃除を担当するメイドとしては迷惑以外のなにものでもない。精霊化に際して周囲に影響を出してしまうのは、『自然呪使い』として未熟な証だった。
執事長の体が衣服ごと薄くなっていく。炎や水と違って、風の精霊は人の目には捉えられない。実に暗殺者向きの宿呪だ。もし選ばせてもらえるなら、ルイラだって『氷霊掌握』よりも『風霊一体』を望むだろう。
そんな、とりとめもないことを考えている間に執事長の姿は消えていた。風が収まったところを見ると、どうやら部屋を出て行ったらしい。今頃は外を通って食堂へ向かっているはずだ。精霊の体であれば、廊下を歩く第三王子たちよりも早く到着できる。
「……さて、こっちもそろそろ始めないと」
メイドという職業は、いかにも下々の民という印象があって、ルイラは好きになれなかった。
とはいえ、特に不得手というわけではない。実際、その辺りの仕事を評価されてメイド長補佐という役職を与えられた面もある。もちろん、暗殺のために王子妃や執事長、死んだ家令が手を回したのもあるだろう。それでも、事情を知らないはずの使用人達からも不満が出なかった。
どのような形であれ、努力が報われるのは気分が良い。
故に、ルイラは仕事で手を抜かない。それは暗殺でもメイドでも同じことだ。
王子が食事を終えて戻る前に掃除をし、コレクションを磨かなくてはならない。
「にゃあん」
足首に柔らかい毛の感触。見れば、王子の飼い猫が甘えた声を出して擦り寄って来ている。
「あ、ごめんごめん。まずはあんたの餌からよね」
持参したワゴンから、食堂で用意してもらった猫用の食事を取り出す。海獣肉のソテー。国内では獲れない食材を、王都からわざわざ呼び寄せた料理人に調理させた一級品だ。同じものをルイラが食べようとするなら、一皿でメイド半月分の給料が全て吹き飛ぶほど。
これもどこぞの銘柄品だろう、金箔で飾られた皿に猫が足を掛ける。ソースが飛び散らないよう一口一口食べていく様は不思議と品を感じさせ、見ていて飽きなかった。
貴族や王族の贅沢を良く思わないルイラだが、出されたものを食べるだけの猫にまで怒りを覚えたりはしない。
血統の良さを感じさせる黒毛を数回撫でてから、仕事に取り掛かるべく立ち上がり―――
―――そういえば、第三王子は動物と話せるんだっけ?
ふと、思い至った。
第三王子の宿呪、『万声呼応』。
他の王子と比べて派手さに欠ける能力だ。国を運営する上で重要とも言えず、自然と話題に上がることも少ない。ルイラは任務の為に一応調べたが、知らない国民の方が多いのではないだろうか。
そんな宿呪。
しかし。
―――もし、さっきの会話をこの子から王子に話されたら……。
餌を食む飼い猫へ、じっと視線を送る。
「ねぇ、猫ちゃん。あんたひょっとして、あたしが何を言ってるのか分かったりする?」
声を掛けてみても、特に反応はない。ややあって餌を平らげた猫は、これでは足りないとばかりに「にゃあ」と鳴いた。
―――そんなわけないか。しょせん猫なんだし。
執事長の臆病が移ったのかもしれない。ルイラはそんな冗談を口にすることなく、今度こそ掃除を開始する。
「にゃあん」
彼女の背中を見つめながら、アッシはもう一声、鳴く。
―――さぁて、面白くなってきたにゃん。




