1章:第4話 衣食住の『衣』
「やっと話が終わったにゃん?」
ルイラさんが少女たちを連れて出て行くとの同時に、子猫の声が聞こえた。
こもった声だ。見れば、掛け布団の中をもぞもぞと行進するモノがある。モグラの移動を地上で見ているイメージに近い。それは真っすぐ私の方に向かって進み、お腹の上をよじ登ってぷはぁと顔を出す。
なんだこれ、かわいいぞ。
「はいにゃん、カオリ」
「……アッシ、狙ってやってるの?」
「どういう意味にゃ? わたしはただ、朝のなでなでを求めているだけにゃん」
「小悪魔だわ……」
「子猫にゃあ」
バカみたいなやり取りは置いといて、私はアッシを撫でまくりつつ胸に抱き、ベッドから降りる。
思った以上に体が重い。体重もそうだが、何せ三日間寝込んでいたそうなので、リーニェの体も本調子ではないのだろう。
多少ふらつきながら、目指すのはクローゼット。
これから、いよいよ部屋を出て活動するので、着替えるのだ。
「無理しないで、ルイラが戻るのを待った方がいいにゃ。黙っていても、ベッドの上で着替えさせてくれるのにゃ。リーニェは毎朝そうしてたにゃあ」
「なにそれ。無精にも程があるってもんでしょ……どーりでこんな体になるわけだわ」
着替えをメイドさんにやってもらうのは、確かに王子様っぽいけれど……。
服を変えるのに誰かの手を待たないといけないなんて、正直面倒だし時間の無駄だ。それに、リーニェ的にもルイラさん的にも今更なのかもしれないけど、私個人からすれば不摂生な裸を見られること自体とても恥ずかしい。例え夢の中だとしても。
そんな訳で、アッシを床に降ろし、私はクローゼットを開く。
やっぱりというかなんと言うか、ウォークインタイプだ。中は広い。現実世界の私の寝室くらいある。畳で言うと八畳ほどの小部屋に、ところ狭しと服が掛けてあった。
ラインナップは様々だ。ジェストコールやキュロットはいかにもヨーロッパ貴族って感じだし、名前は知らないけどアラブの男性が着る白い衣装に似ているものや、和服っぽいものもある。他にも王冠、ローブ、スカーフにネックレス……奥の方には、明らかに女性向けのドレスまで何着か掛かっていた。
ただ、その全てが装飾過多で、服に宝石が付いているのか、宝石に布が絡まっているのか判然としないものが多い。クローゼットとは名ばかりの宝物庫だ。持ち主の悪趣味が透けて見える。
「どうしたのにゃ、口を開けて。圧巻だったにゃ?」
「ええ、まぁ、マイナスの意味でね……」
有り体に言って、センスが悪い。
男モノとはいえ、王子のクローゼットなんだから、もう少し期待してたんだけどな……。これじゃあ、品の無い成金のそれと大差ない。
私は、下手すると小さいアパレルより多いんじゃないか、という服のから何とか着て歩けそうなものを探し―――いや掘り起こし、身に着ける。男物なうえ現代日本じゃあまり見ない仕様なので苦労したけれど、何とか形にはなった。
「形にはなって……るよね、これ? アッシ、どう思う?」
「いいんじゃない? 人間の格好なんてよくわかんないけどにゃあ」
そういう彼女はこっちを見てもいない。頼りにならない相棒だわ……。
姿見の前で両手を広げ、くるくる回っておかしなところが無いかチェックする。背中側とかよく見えないけど、大丈夫だろうか。
ちなみに、今着ているのはジェストコール、ジレ、キュロットの貴族三点セット。三銃士のバッキンガム公っぽい服装と言えば分かるだろうか? ワインレッドを基調にした生地のところどころにキラキラした刺繍がなされていて、若干目に痛い。けど、ボタンが閉められないくらい大きなダイヤになっている服よりマシだ。
仕立ても上等で、デザインもいい。これなら、馬子にも衣装……と思ったけれど、やっぱりリーニェの力士体型じゃ似合わないなぁ。オーダーメイドなのか、サイズがピッタリなところだけが救いだ。
端々までチェックして、最後に何とか背中は見えないか、と勢いをつけてターンする。
「うわっ!」
私はアホだった。
自分の体重と体調を忘れ、現実の感覚でそんなことをしたものだから、大きくよろめいて転びそうになってしまう。あわやのところで踏ん張るため、「おっとっとォ!」と叫びながら片足立ちで手足を地面と並行にする。結果として、私はまるで白鳥を表現するバレリーナのように体を二転三転させ―――
入口の方を向くたび、ルイラさんと目が合った。
「殿下……」
うわあああああっ!!
恥ずかしい! 恥ずかしい恥ずかしい!!
ルイラさん、口の端がピクピクしてる! 右手で左手を抓ってる! 無表情を装ってるけど、絶対笑ってる!
ああああああっ!
「……違うんだ、ルイラさん。僕は決して無様に転びそうになったわけではありません」
口が勝手に言い訳をしてしまう。表情には出さなかった役者魂を褒めて欲しい。
「ただちょっと、舞踊の練習をしていただけです」
「ええ、はい。委細承知致しております、殿下」
「そうですか……なによりです」
「私は何も見なかった―――必ず、秘密は守ります」
全然承知してねぇ!
「ははは。何か勘違いしているようですが、僕は秘密にするような恥ずかしい目になど遭っていませんよ?」
「では、私、喋ってもよろしいのですか? 殿下のあのような、あの―――」
ルイラさんは口を真一文に結び、黙る。
言葉を失っているのではない。プルプル震えて手を抓り、笑いを押し殺しているのだ。
「……ルイラ。この件、墓まで胸に仕舞っておくように。いいね?」
「か、かしこまりました、殿下」
顔を隠すような深いお辞儀だ。信用できねぇー。
しかし、二秒くらい間を空けて頭を上げたルイラさんの顔には、いつものポーカーフェイスが戻っていた。
「うーん。改めて、ルイラと会話しているリーニェを見ると、違和感があるにゃあ」
足元でアッシが呟いている。
「何言ってるかは分かんないけど、ルイラもなんだか嬉しそうなのにゃ。いいことにゃん」
「……そうだね」
話してみた感じ、ルイラさんはとっつき難い性格ではない。
仕事用の仮面の下には、本来の親しみやすい素顔があるのでは、と思う。
もっと、仲良くなってみたいなぁ。リーニェのしてきたことを考えると、やっぱり難しいだろうけど。
……それに、私の方はどうしても、素顔を出すわけにはいかないしね。
ルイラさんが、私とアッシをじっと見ている。
私の『万声呼応』は誰とでも会話できる能力だけど、効果は私だけに限られる。ルイラさんの言葉はアッシには理解できないし、逆もまたしかりだ。とりあえず、普段アッシと話す時は素の私を出しているので、口調だけは気をつけることにする。
「殿下、そろそろお時間の方が」
いつもの口調で、ルイラさんが言う。
「あ、ごめんごめん。えーっと、食事でしたよね」
「はい。食事中に家令……いえ、執事長から取り急ぎの連絡事項などを伝えさせて頂き、そのまま政務に移られるのがいつもの殿下でしたが……本日は、いかが致しますか」
「構いません。と言っても、今のまま政務に入れるかどうかは分かりませんけどね」
「その辺りも含めて、執事長からお話があるかと思います」
政務。王子の仕事。
……正直言って、よく分からないのが本音だ。お芝居をやっていてもそんなことには触れないからね。領地があるならそれを治めるのが仕事なんだろうけど、具体的に何をするのかは頭に浮かばない。
っていうか、リーニェって文字も読めないようなお馬鹿さんでしょ?
そんなことで、仕事になるんだろうか。
不安だけど、特に気負ってはいなかった。
何せ、私には『記憶喪失』という強力な武器があるのだ。
都合の悪いことはこれで通し、その執事長さんとやらに教えてもらえば良い。
幸い、私は演技に関わる勉強なら苦にならないタイプだ。
どーんと構えていこう!
「では、行きましょうか!」
「……殿下、その前に」
「なんです?」
「そのお着崩しは直しませんと、示しが付きません。少し動かないで頂けますか?」
……今度から、着替えはルイラさんに頼もう。




