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涙の海  作者: 黒米 紅子
まやっちの海
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宝石の涙

「お待たせしてすみません。」


少し息を上げながら まやっちがやってきた。


思わず立ちあがろうとする澪に手で制し


自分も腰掛けた。


「本当に忙しいそうですね」


アンちゃんが声をかける。


「えぇ 忙しいからをお待たせした言い訳にはできません。お詫びにデザート奮発させていただきますね」


「うわ、それならいつでも待っちゃいます。」

アンちゃんは小さく手を叩いた。


「ご主人がコックさんなんですね。」

澪が尋ねた。


「えぇ。」

「とても美味しくいただきました、とお伝えください。」


「ありがとうございます。」


「直接ちゃんと伝えてくださいね、まやっちさん。」


アンちゃんは残っていたエビをぱくりと口に入れ、


「うーん。口の中がハートだらけになるぅ。」


と幸せそうに呟きながら、さらりと言った。



コトリ。


まやっちはスプーンを置いた。


「……話す時間があれば、ですけど。」


仲が悪いわけじゃない。


ちゃんと話しもする。


食事も出来るだけ一緒にとるようにしている。


なのに、何かが伝わらない。


…夫の気遣いには気がつくし


ありがたいと思う。


なのに、その気遣いが自分に嵌まらない。


「きっと私のわがままなんでしょうね。」

そう言ってまやっちは寂しそうに微笑んだ。



まやっちはスープ皿を下げるようにと


ウエイターに指示した。


「食欲がないんですか?」


心配になり澪が声をかけた。


「私達にお気遣いなくちゃんと食べないと!」


食事のコーヒーを飲みながら、


デザート待ちのアンちゃんが言う。


「わかってるんです。ただ胸が詰まってて

入らなくなる時あるんです。」


厨房のドアが開き


コック姿の男性が顔を覗かせる。


「パン、焼き立てだから」


小さな籠に入ったパンをテーブルに置いた。


「ありがとう。」


「少しあとでいただくね。」


男性は少しだけ悲しそうに微笑む。


「あぁ。」


それだけ言って厨房へ戻っていった。


ほんの数秒の会話。


言い争っているわけでもない。


冷たいわけでもない。


それなのに。


二人の間には、


小さなすき間があるように澪には見えた。


「仲が悪い……わけじゃない。」


澪が思わず呟く。


アンちゃんは静かに頷いた。


「うん。とっても仲良し。」


そう言って、

カップをそっと下ろしまやっちを見る。


「でもね。」


そう言って少しだけ視線を厨房へ向けた。


「二人とも、ちゃんと相手を想ってる。

なのに……その想いだけが、

なかなか届かないの。」


澪も厨房の扉を見つめた。


焼きたてのパンを届けた時の、

ご主人の優しい笑顔。


「少しあとでいただくね。」


そう返したまやっちの、


少し寂しそうな微笑み。


どちらも優しかった。


優しいのに、

どこかすれ違っている。


アンちゃんが小さく笑う。


「不思議よね。」


「伝えたことと、伝わったことって、

同じとは限らないんだもの。」


澪は黙って頷いた。


“伝えているつもり”


その言葉だけが、

胸の奥に静かに残った。


話しを黙って聞いていたまやっちが呟いた。


「伝えてるつもりですか?」


澪は少し考えてから口を開く。


「……届いてないんじゃないと思います。」


「え?」


「まやっちさんの優しさも、旦那さんの優しさも。」


「ちゃんと届いてる。」


「でも……」


澪は厨房の扉を見た。


「一番伝えたい気持ちだけが、

すれ違ってしまっている気がします。」


「気持ち…」


「まやっちさんは午後 旦那さまを待っていました。

でも旦那さまは忙しそうだから…」


「えぇ戻りました。」


「その時何を思いましたか?」


シャンデリアの光がゆらめく。


まやっちが小さく首をふるのに合わせて

影も揺れている。


「寂しかったんです。

同僚と笑いながら仕事している彼を見て

…置いて行かれたようで

寂しかった…」


バン!

厨房のドアが開いた。


彼が大きなケーキを持ち進んできた。


ケーキの上の蝋燭の炎が

勢いよく歩く彼のスピードで

真横に揺れている。


「はぁ……今度は間に合った。」


コック帽を脱ぎながら笑う。


「まや。」


「誕生日、おめでとう。」


そっとテーブルに大きなケーキが置かれた。


ケーキにはこれでもかと言うほど

フルーツが載っていた。


「いつもありがとな。」


まやっちは手のひらで口を押さえた。

くぐもった声で呟く。


「…私のためだったの?」


「当たり前だ。

今日だけは厨房の仲間に無理を言った。」


「お前、このフルーツ好きだろ?」

照れくさそうに彼が笑う。


まやっちは手のひらで口を押さえた。


「……忙しかったのに。」


「忘れるわけないだろ?」


「今日だけは、ちゃんと祝いたかった。」


ポロポロと涙がこぼれる。


オレンジ色の灯りを映したその涙は、

宝石のように静かに揺れていた。


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