飲み込む
ザザザザー
遠く噴水の音が聞こえる。
それとも波の音だろうか。
さっきまで甘く漂った金木犀の香りは
遠くに散ってしまった気がした。
クッキーを食べ終えたミクは
テーブルのジュースを一息に飲んだ。
くるみの顔をじっと見つめ
イヤイヤをするように首を振り
ブランコの方へ駆け去った。
蹴り出された砂が大きく舞い上がり
視界を遮った。
「ミクは父親が居ると思ってるんです」
膝の手が震えている。
「何度も何度も
パパはいるよ。
ほら笑ってる、今手を振ったよって」
「ママの作ったクッキーを
つまめないから
不思議そうに自分の手を見てるよって」
「私が何度も否定するうち
とうとうミクは言葉を失ってしまったんです。」
澪はブランコの乗っている
ミクを見つめた。
大きな弧を描くようにブランコが揺れる。
「ミクちゃんには何か見えてるのかもしれませんね」
アンちゃんが冷たくなったカップを手にして言った。
揺れるブランコを見ながら
澪も呟く。
「見えるって信じれば
見えるのかもしれない…
そこに居ると信じれば、
会えると信じれば…会えるのかもしれない」
そっと胸に手を当てる。
自分は…どうなんだろう。
「ミクちゃんは、くるみさんを
泣かせたくなかったんでしょうね。
くるみさんが見えないから
ううん、見ようとしなかったから」
それは自分も同じじゃないかと
澪も喉の奥が痛くなった。
くるみはハッとして顔を上げた。
視線の先。
ミクはブランコを漕いでいる。
何度も。
何度も。
時折 大きく弧を描いてブランコが弾む。
誰かがミクの背を押しているように。
その姿を見ているうちに。
くるみの胸に、
今まで考えようとしなかったことが浮かんだ。
ミクは、
父親が見えると言いたかったのではない。
ただ伝えたかったのだ。
「パパはいるよ」
ではなく、
「だからママ、泣かないで」と。
ずっと。
伝え続けていたのかもしれない。
くるみの瞳から
ポロポロと涙が転がり落ちた。
「ミク…」
その姿を目にしたのか、ミクが戻ってくる。大きな目を涙いっぱいにして
くるみに飛びついた。
「ごめんねミク…信じてあげなくて
泣いてばかりでごめんね」
ブンブンと首を振るミク
ギュっとくるみに抱きつく。
そして徐にに顔をあげると
またブランコを指差す。
「そうね パパがいるのね。」
ミクが目を大きく開いて
コクコクと頷いた。
「ごめんねミク…ママね」
小さな肩が揺れる。
くるみはミクのこぼれた涙を
拭いながら微笑んだ。
何度も息を吐き出し
大きなため息とともに
「寂しいのを、悲しいのを
飲み込もうとしていたの」
噴水の音が大きくなる。
「忘れなきゃって、
ミクと前を向かなきゃって…」
「何度も何度も
飲み込もうとしてた」
波が動く
ボァァ
ボコが丸い輪を吐き出した。
輪は行き先を求めるように流れ出す。
くるみは静かに続けた。
思いの外心は凪いでいた。
ミクは黙ってくるみを見上げていた。
「でも出来なかった。出来ないのに出来たフリをしていたの」
ミクの瞳から涙が溢れ落ちた。
涙は行き先を求めた輪が掬い上げていく。
「飲み込めないのに
飲み込まなきゃって
ミクの言葉まで飲み込んじゃった。」
「できるわけなかったの、
だって…大好きだから…今も
これからも、大好きだから」
ミクがくるみの胸に頬を寄せた。
くるみは揺れるブランコと
流れ行く輪をぼんやり見つめた。
「ごめんね…ありがとう
大好きよ」
その時大きくブランコが跳ねた。
誰かが揺れているブランコから飛び降りたように。
誰かがくるみの頬を撫でた。
金木犀の香りが強く漂ってくる。
「あなた?」
ミクが満面の笑顔で
見えない誰かに飛びついた。
「パパ!」
噴水が大きく立ち上る。
色とりどりの光のシャワーが降り注ぐ。
光の中に 誰かの影が見えた気がした。
けれど。
次の瞬間には消えていた。
残ったのは。
金木犀の香りと。
ミクの笑い声だけ。
「行こうか澪さん」
アンちゃんが立ち上がった。
澪はそれに続いて立ち上がる。
「見えないものを信じるって…」
思わず呟く。
ボコが、
ボォォォ。
と大きく鳴いた。
まるで返事をするみたいに。
振り返る。
くるみとミクが抱き合っている。
ミクはもう泣いていなかった。
くるみも。
泣きながら笑っていた。
揺れていたブランコが
いつの間にか静かに止まっている。
海の中を
一枚の金木犀の花びらが流れていった。




