展望
「え?」
澪の視線が封筒と女の子を行き来する。
青い封筒。
より深い青色の封蠟。
アンちゃんが優しく微笑む。
「届いたみたい。」
乙女も封筒を見つめ、小さく笑う。
「次のお客様やね。」
女の子は期待するように
澪を見つめている。
澪は封筒を手に取った。
その瞬間。
指先が、小さく震えた。
震えは手のひらへ広がり、封筒を持ち上げようとする手が思うように動かない。
「……。」
どうして。
まだ何も見ていない。
まだ何も知らない。
それなのに、この招待状を開ければ
自分が忘れている"何か"へ近づいてしまう。
そんな予感だけが、胸の奥で静かに波打っていた。
澪は小さく息を吸い込み、
その震える手でそっと招待状を開けた。
封筒は温かかった。
まるで、誰かの手のぬくもりが、そのまま残っているように。
「涙の招待状」
午後2時 花時計公園にて
お待ちしております。
「花時計公園…」澪が呟く。
女の子がぴょんぴょん嬉しそうに跳ねた。
そして窓の外を見てガッツポーズをする。
思わず目をやったが誰もいない。
海藻だけがゆらゆら揺れていた。
「ミク!」
女の子が振り返った。
母親だろう、娘を探していたのか
息を切らして走り寄って来た。
「すみません、何かご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「大丈夫ですよ。何もありません」
アンちゃんがすかさず答えて
澪に軽くウインクする。
「あ、あ、大丈夫です。」澪も答えた。
「この子ったら、人見知りしない子で…
本当にすみませんでした。」
そう言うと小さく頭を下げて
子どもの手を引いて戻っていった。
女の子はまたガラスに向かって手を振っていた。
「さぁ準備しよっか、乙女さんお願いね」
「任せてときや」
アンちゃんは澪に向かって言った。
「今日はブランチよ。もう眠くって~もう一眠りしてくる」
「寝坊助やな」
乙女がパンの入ったバスケットを
引き上げながら言う。
「誰のせいだって思ってるのよ~
乙女さんが夜中3時に
『ちょい味見して』なんて起こすからでしょ~」
「かんにんな、あまりの出来の良さにな…食べて貰いたかってん」
ペコペコ謝ってる乙女を横に
アンちゃんが立ち上がった。
「とりあえず横になるわ。澪さんは
庭園でも散歩しておいで」
そういうとヒラヒラ手を振りながら去って行った。
「あんなん怒らんでも…」
ブツクサ言いながら、乙女も去っていく。
ポツリと一人になった澪
窓の外は薄青色に染まっている。
色とりどりの魚達
揺れる海藻
赤い尾のナマズが もっさりとこちらを見た。
「庭園…行ってみよっか」
澪はラウンジ横のガラス戸を開けて外へ出た。
ザクッ ザクッと足元が取られる。
目の前を細長い魚が
銀色に輝きながらツイッと横切って行った。
傾いた塔を左側に見ながら気付いた。
塔の奥に建物があった。
朱色の門
まるで神社の拝殿のように見えるが
壁と柱が
黒と赤のコントラストになっている。
ザク、ザク…
思ったより奥行きもあり
何より高い。
「何階建なんだろ、1、2、3…」
数え始めた所で声をかけられた。
「どうかしましたか?」
振り返ると
丸いメガネに、肩までのボブカット。
小柄な女性だった。
黒いロングコート…
フレアスカートの先は編み上げ靴
手には1冊の本を持っている。
「いえ、あの建物
何階まであるのか気になって…」
「今は11階ですね~
どっちに成長するかにもよりますが、
また増えるかもしれません」
「11階。成長するって??」
思わぬ言葉に尋ねると
「庭園はあちらですよ。では失礼」
庭園を指差し少し早口で
そう言い残して、彼女はスタスタと歩き出した。
歩く度にコートが翻る。
思ったより早足で去っていく。
「なんだろ?」
澪も気を取り直して庭園へ入って行った。
低木のような珊瑚の入り口から
砂利のようになった道を進む。
大きなキノコのようになった赤い珊瑚
まるで自分がコロボックルになった気分だ。
少しずつ道は登り坂になっていく。
登った先は開けた展望台
「意外にしんどいのね。体力落ちたかも」
四阿の柱に手をついて見下ろした。
「わーーー」
目の前には大きな噴水。
落ちてくる水の中には色とりどりの
粒子が混じっている。
その噴水を真ん中に
大きな丸い円を描いて珊瑚が並んでいた。
細長く黒い長針に
時々粒子が落ちてきらめく。
「綺麗」
サバーー。
音が聞こえるように噴水が大きく跳ね上がる。
光のシャワーだ。
魚達が噴水のカーテンを突き抜けていく。
誰かと一緒に眺めていたい…
澪は手すりに手を置いた。
視線の先では花時計の長針がゆっくりと動いている。
午後二時。
招待状の時間まで、あと少し。
その時だった。
花時計の噴水のそばで、小さな人影が手を振った気がした。




