押される
シャン!シャンシャン!
アンちゃんが手綱を鳴らす。
『ボォあぁぁ』
ボコが大きなシャボン玉を吐き出して
首をもたげた。
ゆらっ。
澪は思わず手すりを固く握った。
グラリ。
ボコが立ち上がった。
ノソノソと砂を這っていくようにゆっくり歩き出す。
砂に隠れていたのだろうか、
足元から魚達が大急ぎで飛び出していく。
澪の真横をトンボのように飛び出して行った。
身を縮めた澪を
アンちゃんはクスリと笑って話し始めた。
「ボコの甲羅ってボルダリングみたいでしょ?」
「確かに…」
その甲羅岩と甲羅岩の間に 青い筋が光っていた。
まるで星々を繋いだ星座線のようだ。
「綺麗でしょ?」
アンちゃんは
上下に首を振りながら歩くボコを優しく見つめた。
「あのね
「浦島太郎を乗せた時はツルツルって話したでしょ?」
「うん。」
「ツルツルすぎてね…落とすのよ」
「え??!」
意味がわからずアンちゃんの白い横顔を見つめる。
クスクスと笑いながら
「若かったのね、ボコ。人を乗せるたび
嬉しくってヒューって泳いで、
カーブのたびに…落とすの」
「浦島太郎を?」
「そう!その度に大騒ぎ。
落とさないように歩くしかなくって
到着までにすごい時間かかったんだって」
「プッ、あははは」
昔話の挿絵を想像して思わず澪は
声を上げて笑った。
「澪さんはやっぱ笑ってる方がいいね」
澪にはその呟きは聞こえない。
「うふふ、それでこの亀ソリね」
「でも何でソリなの」
「ほら ここの海の底って砂じゃない?
車輪じゃハマるしソリならって…
サンタも空で引いてるし」
「でも引いてないじゃない?」
「…それがさ~山あり谷ありだから、
時々浮くじゃない?海流にあたると…」
「あたると?」
「回るの、クルクルクルって…で酔う」
「……」
「で ブンさまが、
引けないなら乗せれば?って言ってこの形になったの!
安全第一!最新版よ。」
そう言ってまた手綱をシャンと鳴らす。
ボコが勢いよく前足を掻いた。
グイッと海中に登る。
「ソリくらいボコにも出来ると思ったんだけど」
「サンタの技術には負けたわ」
今度の呟きは澪の耳に入った。
また二人で大笑いしたのだった。
「どこへいくの?」
お腹を押さえながら澪が聞く。
「ホテル」
「ホテルぅ?」
「海の建物と言ったら?」
「竜宮城?」
「そう、竜はいないけど竜宮城」
「竜宮城と言ったら?」
シャン!手綱が鳴る。
グンと背中が背もたれに押しつけられる。
思わず前の手すりを強く握った。
目の前に
ちぎれ飛んだ海藻が流れていく。
それを追うように、小魚達が寄って来るが
澪に驚いたように散り散りに
去って行った。
「お、おと…姫さま?」「乙女さん」
被せるようにアンちゃんが言った。
「乙姫じゃなく?」
「姫なし乙女よ」
グイグイとソリが後ろから押されるように
前に進んでいく。
「乙女でも怪しいけどね。」
シャン。
チリン、チリンチリン。
アンちゃんが手綱を振った時、
首の鈴が小さく跳ねた。
…そんな事言わないの。とでも返事をするように。
ボコから見下ろす海底には
ゴツゴツとした岩が転がり
その間から 魚が出入りしていた。
岩肌に沿うように 赤黒い海藻が縁取っている。
影からぬっと大きな魚が顔を出した。
ボコの陰影に驚いたのか、
固まっていたが
何事もなかったように戻って行った。
前方に丸いドームのような光が見えて来た。
おそらくあれが ホテルだろう。
「あそこ?」
「そう あれがホテル…竜宮城をイメージした
涙の海ホテルね。
ああいったドームがここには幾つもあるのよ」
「SF映画である宇宙ドームみたいね」
「あら こっちの方が先よ。
ほら浦島太郎も行ったんだから」
アンちゃんは負けまいとするように言った。
それがおかしくて澪はまた笑った。
「そもそも
ファンタジーでいう『結界』だって後出しなんだから!
こっちが最初!」
クスクス笑いが止まらなくなった。
「やっぱり 澪さんは笑ってる方がいいよ」
今度は聞こえた。
「私達って会った事あるの?」
「着くわよ~!」
シャンシャンシャン!
手綱が鳴る。
澪はまだ知らない。
この海は、一つではない。
喜びの海。
悲しみの海。
後悔の海。
忘れたい記憶の海。
そして――
忘れられない想いの海。
人の心によって、
同じ海でも違う表情を見せることを。
グニョンという音と共に
澪達はドームをくぐり抜けた。




