第5話 9歳の姉妹の誓約式と、予定外の参加者
リサには、また確信が生まれていた。
ユリナティーネ様とミアティーネ様が、お庭で花遊びをしていた時のことだ。
花壇の端に咲いていた小さな白い花を、ミアお嬢様が、そっと摘んだ。
それを、ユリナお嬢様へ差し出す。
ユリナお嬢様は少し驚いた顔をして、それから、やわらかく微笑んで受け取った。
そして今度は、ユリナお嬢様が別の花を摘み、ミアお嬢様の髪に挿した。
ミアお嬢様の頬が、ほんのり赤くなる。
リサの胸に、電撃が走った。
(花の交換……!)
この国では、花を贈り合うことに特別な意味がある。愛する人へ想いを示す時、花を交わす風習があるのだ。
もちろん、二人は九歳の子供である。もちろん、実の双子である。もちろん、普通なら、ただのお花遊びである。
だが、リサの目には、そうは見えなかった。
ユリナお嬢様は、ミアお嬢様のために剣の舞を始めた方。ミアお嬢様は、その舞を、誰よりもまっすぐ見つめている方。その二人が、花を交わした。
これはもう。
リサは、エプロンの裾を握りしめた。
(姉妹の誓約の意思表示でございます……!)
リサは、屋敷の中へ走り込んだ。
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「姉妹の誓約……?」
アッティーネ様は、しばらく無言だった。
沈黙が長い。
長すぎる。
「リサ」
「はい!」
「九歳の花遊びだ」
「花の交換でございます!」
「花遊びだ」
「姉妹の誓約の意思表示でございます!」
話が、かみ合っていなかった。
アッティーネ様は、静かな人だ。普段なら、声を荒げることはない。今も荒げてはいない。
ただ、目元に、ほんの少しだけ「困ったな」という色が浮かんでいた。
「ユリナとミアは、実の双子だぞ」
「存じております!」
「姉妹の誓約は、絆を認める制度であって、姫と騎士の結婚ではない」
「存じております!」
「子を授かる祝福もない。あくまで、家を共にし、姉妹として一生寄り添うと女神に誓う制度だ」
「だからこそ、お二人にぴったりではございませんか!」
アッティーネ様は、深いため息をついた。
「二人とも騎士の加護を授かったらどうするのだ?」
「そのときはそのときです!さらに薔薇の契約を結び、お茶の席で他家の姫君をお迎えする道もございます!」
アッティーネ様は、さらに深いため息をついた。
「……エリオラに知らせるな」
「もうお手紙をお出ししております!」
「早いなっ!?」
「お二人の幸せに関わることでございますので!」
アッティーネ様は、もう一度、深いため息をついた。
そのため息には、諦めが混じっていた。
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それから事態は、私の与り知らぬところで進んでいった。
後で聞いた話だが、アッティーネ様が止めるより先に、リサはお母さまへ手紙を送ってしまったらしい。
内容は、こうだ。
ユリナティーネ様とミアティーネ様が、花の交換により、姉妹の誓約の意思を示されました。
……いや、示してない。お花遊びをしただけだ。
しかし、手紙を読んだお母さまは、涙されたそうだ。
どこに泣く要素が? と、前世の三十五歳は首をかしげた。
だが、この世界において、愛とは重い。
とても重い。
特に、お母さまことエリオラ様は、愛が深い方らしい。
自分と愛するアッティーネ様との間に生まれた双子が、姉妹として一生寄り添う誓いを立てる。
その事実に、言い知れぬ感慨を覚えたのだという。
つまり、リサの暴走に、エリオラ様が合流した。暴走列車に、機関車が追加された。
漢として、嫌な予感しかしなかった。
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「ユリナティーネ」
ある朝、私はアッティーネ様に呼ばれた。
「な、なんでしょうか?」
何も悪いことはしていない。していないはずだ。
だが急な呼び出しというものは、前世でも今世でも、だいたい不穏である。
「姉妹の誓約式をすることになった」
「……え?」
「お前とミアの」
私は、三秒ほど固まった。
「な、なぜでしょうか?」
「リサが手紙を送った。エリオラが同意した」
「リサ、何を……って、エリオラ様が同意しましたの!?」
「そうだ」
「なぜお止めにならなかったのですか!?」
「止まると思うか?」
アッティーネ様は、静かに言った。
「リサとエリオラは、ああいう時の勢いが止まらない」
私は、がくりと肩を落とした。リサに関しては、身に覚えがありすぎる。剣の舞事件の時も、そうだった。
訂正しようとした時には、もう屋敷中に広がっていた。
そして今、その後ろ盾がエリオラ様だと判明した。
……強すぎる。
「ユリナ。一応、確認しておく」
「は、はい」
「姉妹の誓約は、お前も学んだだろう」
「……ええ、まあ」
「あれは、絆を誓う制度だ。姫と騎士の結婚ではない。子を授かる祝福も、姉妹には授けられぬ。あくまで、お前とミアが家を共にし、姉妹として永遠に共にあると、女神に誓う制度だ」
「……はい」
「ただ、お前とミアが騎士同士であった場合は、姫の加護の守りがなければ戦には行けぬゆえ、お茶会で他家の姫を迎えることになるが……」
私は確実に姫の加護を持っていることを自覚しているため、その可能性はないのだが……
「……はい。それも存じております」
アッティーネ様の言葉で、私の中に、すとんと落ちた。
結婚ではない。
血のつながった姉妹同士で、前世的に危うい何かをする話ではない。
家族として、一生寄り添うと誓うだけ。
それなら、まあ。いや、むしろ。
(ミアと、ずっと一緒にいる誓い……)
妹を守る漢として、それは願ってもないことだった。
「ミアは?」
「嬉しそうだった」
「嬉しそう……? ミアが?」
「ああ。花を交換した後、ずっと、にこにこしていた」
私は、しばらく黙った。ミアが喜んでいる。それだけで、答えはだいたい決まってしまう。妹の笑顔には勝てない。
それに、式といっても、おままごとみたいな規模だろう。
「……わかりましたわ」
「そうか。では準備を進める」
私はその時、まだ気づいていなかった。「準備を進める」という言葉の、本当の意味を。
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二週間ほど経った後、屋敷の様子が変わった。
使用人たちが庭に飾り付けを始めた。
大きなアーチが組まれ、白い布が渡され、テーブルには花が並べられていく。
台所からは、ごちそうの匂いがした。
外からは、見慣れない馬車が何台も敷地に入ってくる。
礼服を着た人たちが、忙しそうに行き来している。
(……あれ?)
思っていたより、大きい。かなり、大きい。
台所の脇に、若いメイド見習いのハナが立っていた。
茶色の髪をセミロングにまとめた、平民出身の少女だ。最近ソーマ家に勤め始めたばかりで、貴族のしきたりにはまだ慣れていない。
ハナはお盆を抱えたまま、庭のアーチと台所を何度も見比べていた。
「お、お嬢様の、お式ですって……? 九歳で、ですか……? あの、平民の家ですと、お誕生日でも、こんな大きなご用意はしないんですの……」
茶色の猫耳が、困惑で力なく垂れる。
「あれ、街のお祭りより多くないですの……?」
漢として、ハナの反応に私は救われた気がした。
(うん、ハナ。その反応、合ってる)
(これ、おかしいよな)
目で、そう伝えた。
しかしハナは私の視線に気づくと、慌ててぺこりとお辞儀をして、台所の奥へ消えていった。
たぶん、手が止まっているのを叱られると思ったのだろう。
大丈夫。
私も今、心が止まっている。
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リサが、白い礼装を持ってきた。
「お着替えでございます、ユリナお嬢様、ミアお嬢様」
その目は、うっとりしていた。とても危険なうっとりだった。
「リサ」
「はい」
「これって、どのくらいの規模の……式ですか?」
「エリオラ様がお手配くださいました。ソーマ家と縁のある御家は、できる限りお招きして、と」
「できる限り……?」
「百名ほどでしょうか」
(あ、やばい)
背筋に、冷たいものが走った。おままごとではなかった。全然、おままごとではなかった。
百人を招いて、礼装を着て、誓いの言葉を交わす。
これは本物の式だ。
(どうしよう。今から断れる? いや、もう飾り付けしてるし、料理も作ってるし、馬車も来てる)
(リサの目が、もう戻ってこない)
私は、深く息を吸った。
「……そうですわね」
「はい?」
「わかりましたわ」
声が少し震えていた気がした。
リサは気づいていない。
いや、気づいていたとしても、都合よく「感極まっておられる」と解釈したに違いない。
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ミアの着替えを手伝いながら、私は白い袖を見つめていた。
純白の礼装、小さな花飾り、細いリボン。
九歳の子供には、少し大げさなくらいの仕立てだった。
ミアは静かに立っていた。
深い黒髪に、小さな白い花が飾られている。
普段は表情の少ないミアが、今日はほんの少し頬を染めていた。
リサが後ろで、ほう、と息をつく。
「ミアお嬢様、大変お美しゅうございます」
ミアは、ぱちぱちと瞬きをした。
それから、私を見た。
「……お姉ちゃん」
「……なんです?」
私の声が、かすかに上ずった。
「……ミア、お姉ちゃんと、ずっといっしょ……ですの?」
小さな声だった。でも、確かに聞こえた。頬が赤い。少し恥ずかしそうで、でも嬉しそうで。その目が、ちらりと私を見て、また伏せられる。
私は、何も言えなかった。
(……美しい)
漢として、ミアのことを軽い言葉で済ませたくない。この瞬間のミアは、本当に、息をのむほど美しかった。
「……当然ですわ」
私は言った。
「ミアと、お姉ちゃんは、ずっと一緒ですわよ」
ミアの目が、少し大きくなった。それから、ゆっくりと笑った。
もう、受け入れるほかない。百人の前でも何でも。この子が嬉しいなら、それでいい。
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姉妹の誓約式は、盛大に執り行われた。
白い礼装を着た私は、同じ白に包まれたミアと並び、白い祭服の司祭が立つ祭壇の前へ進んだ。司祭は女神ティアの名を唱え、私たちの手に一輪ずつ花を持たせると、穏やかな声で式を進めていく。
「ユリナティーネ・ソーマ、ミアティーネ・ソーマ。あなたがたは姉妹として、同じ家に生まれ、同じ時を分かち合いました。今日この花を交わし、女神ティアの御前に、一生寄り添うことを誓いますか」
「誓います」
私が答えると、ミアも少し遅れて、小さく口を開いた。
「……誓い、ます」
続いて、司祭が誓約の言葉を読み上げる。
「嬉しい日も、怖い日も、迷う日も、互いを置き去りにせず、姉妹として家を共にし、心を共にし、生涯寄り添うことを、女神ティアに誓います」
私はその言葉を復唱した。ミアも、ところどころ遅れながら、それでも一音ずつ大切そうに追いかけた。
花を交換し、アッティーネ様とエリオラ様が後見人として署名すると、集まった人々が温かい拍手を送る。そのすべてが九歳の子どもには大きすぎて、正直、最初は足が震えていた。
けれど、隣にミアがいた。
ミアは、私の指先をそっと握っていた。小さな手だった。力も弱く、声を出すのも苦手な妹の手。それなのに、その指先だけは、私を信じきって離れなかった。
「……お姉ちゃん」
「はい」
「……ずっと?」
司祭に続いて唱えた誓約の言葉よりも、ずっと短い子どもの言葉だった。
けれど、ミアにとっては、それが世界の全部なのだと分かった。お姉ちゃんとずっと一緒にいる。家を共にし、同じ明日を見て、何があっても置いていかれない。その小さな願いを、ミアは女神ティアの前で、震える声ごと差し出している。
ならば、私も軽い気持ちで答えてはいけない。
前世の記憶がある。大人のずるさも、言葉が人を縛る重さも、私は知っている。だからこそ、この九歳の誓いを、子どものごっこ遊びにはしない。
「ええ。ずっとですわ」
私はミアの手を握り返し、まっすぐに告げた。
「ミアと、お姉ちゃんは、姉妹として一生寄り添います。嬉しい日も、怖い日も、泣きたくなる日も、あなたを一人にしません」
ミアが、小さく息を呑んだ。
意味をすべて理解していたわけではないと思う。それでも、私の言葉が嘘ではないことだけは伝わったのだろう。ミアは花を抱きしめるようにして、ゆっくり、ゆっくり頷いた。
「……ミアも。お姉ちゃんと、ずっと……」
その声は、拍手に消えそうなほど小さかった。
けれど私は、確かに聞いた。
漢として、姉として。私はこの言葉を、絶対に軽く扱わない。
たとえこの先、子どもの誓いだけでは足りないと思える日が来ても。まだ名前も知らない困難が、ミアの小さな手を震わせる日が来ても。
今日、女神ティアの名の下に交わした誓いだけは、私が守る。
そのとき、風もないのに、ミアの抱えた花がかすかに揺れた。
気のせいかもしれない。
けれど、その小さな誓いは、どこか遠くで静かに受け取られたような気がした。
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問題が起きたのは、式の後のことだった。
招待客が帰り始めた庭に、ひときわ立派な馬車が入ってきた。
ディーテ公爵家の馬車から降りてきたのは、カトリーナ夫人。
エリオラ様のかつての親友であり、今は社交界の大きな派閥を率いる姫。
その顔は、美しかった。そして、怖かった。
「……エリオラ」
カトリーナ夫人の声は静かだった。静かなのに、庭の温度が下がった気がした。
「これは、どういうことかしら」
エリオラ様は、不思議そうに首をかしげた。
「カトリーナ……久しぶりね」
「わたくしたちの約束を、覚えていらっしゃるかしら」
「……約束?」
「忘れていらしたの」
「えぇと……」
カトリーナ夫人の眉間に、深い線が刻まれた。
その後ろに、小さな女の子が隠れていた。金色の髪、整った顔立ち、ぴんと伸びた背筋。
けれど、その手は母親のドレスの陰をぎゅっと掴んでいる。
私と、目が合った。その瞬間、その子の顔が、みるみる赤くなった。
(誰だろう)
(しゃいな子なのかな?)
私が首をかしげていると、カトリーナ夫人が言った。
「アリアンドラ。ご挨拶なさい」
その子が、前に出た。小さな身体で、驚くほど礼儀正しくお辞儀をする。ただし、顔はずっと赤いままだった。
「ディ、ディーテ公爵家当主、ヘレナドラ・ディーテが娘、アリアンドラ・ディーテで、ございます」
「ソーマ辺境伯アッティーネが娘、ユリナティーネ・ソーマですわ。よろしくお願いいたします」
私が言うと、アリアンドラの顔がさらに赤くなった。
金色の猫耳が、ぴくりと跳ねる。しっぽが、ドレスの後ろで忙しなく揺れた。本人は気づいていないらしい。少し、面白い。
「一緒に遊びます?」
そう聞こうとした、その時。
「アリアンドラ、帰るわよ」
カトリーナ夫人が、踵を返した。
「え、でも……」
「帰るわよ」
「……はい」
アリアンドラは、一瞬だけ振り返って私を見た。
何か言いたそうだった。
でも、結局何も言わず、母親の後についていった。
---
後で聞いた話では、カトリーナ夫人はエリオラ様に、こう言い残して帰ったらしい。
「わたくしの娘が、そちらの娘に負けることはありませんわ。いつかアリアンドラが、ユリナティーネ嬢をぼこぼこにしてみせましてよ」
ぼこぼこ。
淑女の口から出るには、少し物騒な言葉である。
リサは三度見したらしい。私も聞いた時、二度聞き返した。
「……ミア」
「……なに、ですの?」
「あの子、また会うと思う?」
「……わかんない」
ミアは、あまり関心なさそうに答えた。
それから、少しだけ考えるように瞬きをした。
「……でも、きれいだった、ですの」
「ミア、あの子のこと、そんなにちゃんと見てましたの?」
「……お姉ちゃんが見てたから、見てた」
「……」
見ていた、だろうか。いや、たぶん見ていた。
金色の髪の、緊張した小さな令嬢、アリアンドラ・ディーテ。
少し気になる子だった。
けれど、それよりも今は、隣でミアが、まだ少し頬を染めたまま夕日を見ていた。
純白の礼装の裾が、風に揺れて、その横顔は、まるで絵画のようだった。
この瞬間のことは、きっと忘れられない。そう思っていた。
そして私は、まだ知らなかった。去り際に振り返った金色の令嬢が、これから何度も、私の前に立ちはだかることを。




