第4話 ハーレムってなに?(ミア、使命に目覚める)
八歳になって、ミアは少しだけ言葉が増えた。
口数は少ない。でも、必要なことはちゃんと言う。
「お姉ちゃん」
「好き」
「ハムハム」
「おなかすいた」
「眠い」
ミアの語彙は、だいたい私を中心に構成されていた。
それはそれで、胸がゆるむ。ゆるむのだが、少しだけ心配にもなる。
もう少し外の世界に興味を持った方がいいのではないか。お友達とか、そういうものに。
でも、ミアが真顔で「お姉ちゃんがいればいい」と言い切るたびに、私は注意する言葉を飲み込んでしまう。
……姉が妹に甘いのは、たぶん、この世界の摂理だ。漢として、そこは認めざるを得ない。
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事件は、何気ない午後に起きた。
庭で、二人でお茶をしていた。
リサの娘であるメイド見習いのサリナは、少し席を外している。
リサも別の用事で、屋敷の中へ戻っていて、庭には、私とミアだけ。
正確には、観葉植物の葉の陰で、妖精のベルが足をぶらぶらさせていたけれど。
ベルは基本的に、私とミアにしか見えない。なので、数に入れるかは微妙なところだった。
「お姉ちゃん、お茶」
「ありがとう、ミア」
ミアが、両手でカップを差し出してくる。こぼさないように、真剣な顔をしている。
その顔を見るだけで、今日も世界はだいたい許せる気がした。
私はお茶を受け取りながら、ぼんやりと考えていた。
ハーレム。
女神が約束した、ハーレムを作れるだけの力。
私は、あの言葉をまだ諦めていない。いや、少し意味は変わった。
前世の漢としての欲望はゼロである。ほんとだぞ?
今の私にとって、ハーレムは、ミアを守るための愛の集合体である。
ミアを大切にしてくれる人。ミアを怖がらず、ミアの隣にいてくれる人。もし私ひとりの魔力では足りない日が来ても、ミアへ愛と魔力を分けてくれる人。そういう人を、私の周りに集める。それが、今のハーレム計画だ。
(……なら、どう集める?)
(ミアを大切にしてくれる人を?)
(そもそも、どうやって見つければ……)
「お姉ちゃん」
「はい?」
「……ハーレムって、なに、ですの?」
私は、お茶を吹き出しそうになった。
「え」
「……ハーレム」
「声に出てました?」
「……うん」
「どこから?」
「……女神さま、力、くれた、って」
ほぼ全部だった。
「……あと、ハーレム」
そこは聞き逃してほしかった。
ベルが葉っぱの陰で、両手で口を押さえていた。肩が震えていて、笑っている。あとで覚えておきなさい。
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沈黙が流れた。
ミアは、首を少し傾けて、じっと私を見ている。
その目に悪意はない。ただ、聞いた言葉の意味を知りたいだけの目だった。
八歳の妹に、ハーレムとは何かを説明する。難題である。
前世の会社員人生でも、ここまで難しい会議はなかった。
(落ち着きなさい、私)
(変な説明はできませんわ)
(しかし、誤魔化しすぎても、ミアはたぶん覚えている)
私は、必死に考えた。
「……ええと」
「……うん」
「ハーレムというのは、ひとりの騎士様を、たくさんの姫が支える形のことですわ」
「……騎士様を?」
「ええ。この世界では、騎士様は戦いに出ます。姫は家を守り、騎士様を支えます。だから、ひとりの騎士様を、何人かの姫が支えることも……ある、らしいですわ」
言いながら、自分でもふわっとしていると思った。
だが、この世界の制度としては、たぶん間違っていない。たぶん。
知らんけど。
ベルが小声で「お姉ちゃん、説明がふわふわ」と言った。
聞こえていますわよ。
ミアは、しばらく考えていた。真剣に。ものすごく真剣に。
「……お姉ちゃんは、騎士様?」
「将来は、そのつもりですわ」
「……ミアは?」
「ミアは……」
姫。
そう言いかけて、私は止まった。
ミアは、あの丸太を持ち上げた。
普通の姫ではなく、私の知っている姫の定義に、ミアはたぶん収まらない。
「ミアは、ミアですわ」
「……ミア?」
「ええ。お姉ちゃんの、大切なミアです」
ミアが、ぱちぱちと瞬きをした。それから、ほんの少しだけ口元をゆるめた。
しまった。話がそれた。
「それで、ハーレムとはですね。お姉ちゃんを支えてくれる人たちを集めること、と言いますか」
「……お姉ちゃんを、支える」
「ええ。お姉ちゃんがミアを守れるように、力を貸してくれる人たちですわ」
「……ミアも、いっしょ?」
「もちろん、ミアは一番大事ですわ」
ミアの目が、少しだけ明るくなった。
「……じゃあ、ミアが作る」
「はい?」
「……お姉ちゃんの、ハーレム。ミアが作る」
私は固まった。
ベルが葉っぱの陰から落ちかけた。
「ミア」
「……なに、ですの?」
「それは、とても大事なお話ですわ」
「……だいじ?」
「ええ。だから、今はお姉ちゃんとミアだけの秘密にしましょう」
「……ひみつ?」
「そうですわ。誰かに聞かれたら、びっくりされてしまいますもの」
ミアは、こくりと頷いた。
「……わかった。ひみつ」
そして次の瞬間、ミアは両手で自分の口を塞いだ。
ぎゅっ、と。
小さな口を、小さな手で、一生懸命押さえている。
「……ミア?」
「……秘密だから、しゃべらないようにしてる」
私は力が抜けた。なんだそれ。胸がゆるんで、守らねばならない、この、むぎゅ顔を。
「ミア、そこまでしなくてよろしいですわ」
「……でも、言っちゃうかも」
「言わなければよいだけですわよ」
「……でも」
ミアは口から手を外して、真剣な顔で私を見た。
「……お姉ちゃんのハーレム、ミアが作る。絶対、作る。大きくなったら」
「ミア」
「……約束する。だから、秘密にしてる間、お姉ちゃん、死なないで」
「死にませんわよ!?」
なぜそこで死ぬ話になるのか。
八歳児の思考は、時々とても飛ぶ。
「……さっき、言ってた」
「何をです?」
「……ミア、大きくなって、いやってしたら……お姉ちゃん、死んじゃう、って」
「声に出てました!?」
「……出てた」
「全部?」
「……うん」
また沈黙が流れた。
ベルが葉っぱの上で、今度こそ倒れていた。笑いすぎである。
あとで本当に覚えておきなさい。
「……だめ。お姉ちゃん、死んじゃやだ」
ミアが、私の袖をつかんだ。
「ミア、ハーレム作って、お姉ちゃん守る」
「……」
「だから、お姉ちゃん、死なない」
私は、言葉を失った。ミアは、本気だった。ハーレムの意味を、きっと半分も分かっていない。
でも、「お姉ちゃんを守るために人を集める」という部分だけは、確かに受け取ってしまった。
私は、軽く訂正するべきだったのかもしれない。もっと正しく、もっと大人らしく、説明するべきだったのかもしれない。
でも。
ミアの手が、私の袖を握っている。その指先に、力がこもっている。
(……この子は、本当に、私を守ろうとしている)
そう思ったら、喉の奥が少し熱くなった。
「……わかりましたわ」
「……うん」
「ただし、秘密です」
「……ひみつ」
「ええ。誰かをびっくりさせないためにも、今は秘密。よろしいですか?」
「……うん」
ミアは、また両手で口を塞いだ。
今度は、本当に完全に。
むぎゅ。
私は、その姿をしばらく見ていた。
漢として、決めた。何があっても、守る。この子が、いつかとんでもない方向へ走り出したとしても。できれば、その方向は少し修正しながら。
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その夜。
ミアがハムハムをしながら、眠りにつく直前に、小さく言った。
「……ミア、覚えてる」
「何を?」
「……ハーレム」
「……」
「大きくなったら、作る。絶対」
「……お休みなさいませ」
「……はい」
ミアは、すぐに寝た。
私は天井を見上げた。窓の外では、月が出ていた。今日の出来事を整理する。
私がハーレム計画について考えていたら、ミアに聞かれた。だから説明した。そうしたら、ミアが自分で作ると言い出して、しかも秘密にするためにミアは口を塞いだ。
……整理しても、意味が分からない。
ただ、不思議と嫌な気分ではなかった。
ミアと一緒なら、きっと何かが変わる。そんな気がした。
私がミアを守る。ミアも、私を守ろうとしている。
その関係が、少しだけ形を変えた日だった。
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その夜の、夢で。
私はミアと、屋敷の庭にいた。
昼間と同じ、いつもの庭、いつものお茶のテーブル、いつもの花壇。
けれど、空は夜だった。月だけが、やけに大きく見えた。
夢の中のミアは、いつもの八歳のミアではなかった。少し大きくなっていた。十六歳くらいだろうか。深い黒い髪が、夜風にゆっくり揺れ、赤い瞳が、月光を吸って、静かに輝いていた。
……ああ。
これは、私の目にいつも映っているミアだ。
でも、夢の中だからなのか、いつもより鮮やかで、強くて、どこか遠い。
ミアは、私の手を握って笑っていた。
起きている時にはめったに見せない、無防備な笑顔だった。
「お姉さま、ありがとうございます」
夢の中のミアが言った。
「ハーレムは、ミアが作りますの」
「……うん」
「だから、お姉さまは、ずっとお姉さまでいてくださいですの」
「……うん」
夢の中のミアの瞳に、月光のような深い輝きが宿った。
その輝きは、星よりも強かった。
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目を覚ました。隣で、ミアが私の胸に頭をくっつけていた。
いつものミア。
……今の夢は、何だったのだろう。
夢の中のミアは、いつものミアよりも、もっと強く、もっと鮮やかに見えた。
まるで、ミアの内側にある何かが、夢を通じて私に語りかけてきたような。
……気のせい、だろうか。
窓辺の小棚の上で、ベルが寝言を言った。
「ティア様……ベル、見ました……ミアちゃん、夢の中、もっと、すごい……きれい……」
……気のせいではなかったらしい。
ベルにも、夢の中のミアが見えていたのか。
だが、ベルはそれ以上何も言わず、また寝息を立て始めた。
私は、ミアの頭をなでた。ミアは眠ったまま、頭をぐりぐりしてくる。
「大丈夫」
私は、小さくつぶやいた。
「お姉ちゃんが、守りますわ」
月光が、静かに部屋を照らしていた。
その光の中で、ミアは安心したように、私の胸で眠っていた。




