第3話 中編 我が妹、世界一
妹の規格外の力を目の当たりにして、私の中の冷静な三十五歳が、そっと囁いた——その時。
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けれど、胸が熱くなったところで、私の中の冷静な三十五歳が顔を出した。
(……これ、今ここで発表していいやつか?)
庭にいるのは私とミアだけ。リサもサリナも屋敷の中で、この光景を見た者はいない。
呼べばきっと、みんなミアを祝福してくれる。けれど私は、最近リサが夢見るように口にした言葉を思い出していた。
「いずれユリナお嬢様も、ミアお嬢様も、成人の儀で立派な加護を授かりますわね」
成人の儀。十六歳の子供が、王都の大聖堂で加護の種類と強さを公式に鑑定される日。そこでミアの「すごい」を、初めて見せたら――。
(屋敷のみんな、ひっくり返る)
(リサも、エリオラ様も、アッティーネ様も、驚愕の顔をする)
最高じゃないか。
漢として三十五年。社会人仕込みのサプライズ精神が、静かに火を吹いた。
私は、ミアの両手を、そっと自分の両手で包んだ。
「ミア」
「……お姉ちゃん、大好き」
「ええ、お姉ちゃんも、ミアのこと好き……って、そうではありませんわ。お姉ちゃんと、ひみつのお約束をしません?」
「……ひみつ?」
ミアの目が、ぱっと見開いた。
ひみつ。
その言葉が七歳児にとって特別な響きを持つことを、私は知っている。
「ええ、ひみつです。とっても、たいせつな、ひみつ」
「……うん」
「ミアの、いまの、すごい力。これね、しばらく、お姉ちゃんとミアだけのひみつにしましょう」
「……ふたりだけ?」
「ええ。リサにも、お母さまにも、お父さまにも、ないしょ」
「……どうして?」
「あのね、ミア。成人の儀、というものがあるそうなの」
「……せいじん、の、ぎ?」
「十六歳になったら、王都の大聖堂で、みんなの前で、加護の強さをはかってもらう、すごい日ですわ」
「……」
「そこでね、ミアのいまのすごい力を、いきなりお披露目したら――」
私は、片目をぎゅっとつむった。
「みんな、びっくりしますわ。屋敷のみんなも、リサも、エリオラ様も、アッティーネ様も、たぶん王様まで、みんな、びっくりする。ね、楽しそうでしょう?」
「……」
「だから、それまでひみつ。それまで、お姉ちゃんとミアだけの宝物。成人の儀の日に、どーん、とお披露目ですわ」
ミアが、こくりと頷いた。頷いて――口の端が、ほんの少し上がった。
ミアが、笑った。
生まれてはじめて見る、いたずらっぽい笑みだった。
「……うん。ひみつ。ミア、ぜったい、いわない」
「ええ。お姉ちゃんも、ぜったい、いわない」
「……ミアと、お姉ちゃんの、ひみつ」
「ふたりだけの、ひみつですわ」
ミアが、私の小指に、自分の小指をそっと絡めた。ぎゅ、と結ぶ。
……指切り、ですって。誰に習ったの。
やめて、お姉ちゃんの胸が、もちませんわ。
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私は、丸太を夕方までに隠すことにした。
七歳児の腕では、本来、運べない大きさと重さだったけれど。
「お姉ちゃん、てつだう」
ミアが、ひょい、と持ち上げてくれた。
……うん。やっぱり、ミアはすごい。
私とミアは、丸太を物置へ運びながら、ふたりでくすくす笑った。
共犯の笑い、というやつだった。
成人の儀まで、あと九年。
その日までに、私もミアの隣に立てるくらい強くならなければいけない。
なにせ、これからの九年間、私は、世界一すごい妹のお姉ちゃんなのだから。
その日の夜から、私は自分の素振りに、もう一段気合を入れることにした。
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「……かっこいい、お姉ちゃん」
ミアの目が、いつもより明るかった。
普段は静かに沈んでいる瞳が、今はなぜか、光っているように見えた。
ミアが、私を、かっこいいと言った。
(やっぱり今日、最高の日では?)
漢として、これは、絶対にやめられない。
そう思った。
その時、私は、自分の油断に気づくべきだった。
「ユリナお嬢様……っ!?」
声がした。声の方を見た。
台所から戻ってきたらしいリサが、エプロンの裾を握りしめたまま、私たちを凝視していた。
目が、見開かれている。そして――きらめいていた。
それは、いつもの「お嬢様、なんとお美しい」モードとは、決定的に違っていた。
もっと深く、もっと強く、もっと危険な輝き方だった。
「リ、リサ……これはですね」
嫌な予感がした。慌てた。慌てたが、もう遅かった。
リサは、両手を口に当てていた。
茶色の猫耳が、感激のあまり、ぴょこぴょこ立ち上がっている。しっぽは、ぶわっと二回り膨らんでいた。
声が、震えていた。
「……ユリナお嬢様……あ、あなたさまは……」
嫌な予感がする。嫌な予感がする……
「あの、リサ。これは、ただの素振りで……」
「ユリナお嬢様……」
「いや、聞いてください」
「剣の舞を……?」
止まった。私の口が、止まった。
「……は?」
「剣の舞を、お始めになっていらしたのですか……っ!?」
リサの声が、湿っていた。
「いえ、あの、剣の舞? これはただの素振りで」
「ユリナお嬢様、わ、わかっておりますとも……っ! 剣の舞は、姫が、生涯にお一人と決めた最愛のお方の前でだけお振りになる、古きお家に伝わる演舞でございますもの……っ!」
「リサ、あの、聞いて」
「姫は、そもそも剣などお持ちにならぬ存在。それなのに、最愛のお相手のために、敢えて木剣をお握りになり、型もなく、お相手にも向けず、ただひたすら振り抜くことで、『この身、あなたさまの盾。されど、ときには剣となり、あなたさまの敵を打ち払わん』と、決意の祈りをお示しになる――それが、剣の舞でございます……っ!」
「いや、だから、これは、ただの素振りで――」
「ただの素振りとは、まったく別物にございます! 騎士の素振りは、型と、お相手があり、攻めるための振り。けれど、剣の舞には、型がなく、お相手がなく、ただ、最愛のお一人のために、お身体を捧げるようにお振りになるもの。型のなさこそが、無防備さの証。お相手の前で、すべてを差し出す、決意の祈りにございますの……っ!」
(型がないのは、私が剣道未経験者だから――)
「ミアお嬢さまへの愛を、剣の舞でお示しになろうと……っ!? しかも、そのお相手が、双子の妹でいらっしゃるミアお嬢さまとは……っ! 双子の御縁を、ここまで深くお結びになる吉兆は、百年に一度あるかないかと申されますのに……っ!」
「ひゃ、百年――」
「なんて、なんて、お美しい姉妹愛……」
リサの目から、涙がひと粒こぼれた。
「ユリナお嬢さま……奥様にも、お伝えしなくては……っ!」
「リサ、待って!? 待ってください!」
リサは、もう走り出していた。
エプロンの裾を翻し、屋敷の中へ向かって、全力で。
ちょ、速い。
「奥様ーっ! ユリナお嬢さまが、ミアお嬢さまへ、剣の舞を捧げにっ……!」
声が、屋敷の中に響いた。
しーん、と。庭が、静まり返った。
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しばらくして、屋敷が動き出した。
ばたばた、と忙しい足音。
窓の向こうで、メイドたちが、ぱっと顔を輝かせるのが見えた。
庭師が、鋏を持ったまま振り返る。
「お嬢様、剣の舞?」
料理人が、台所の窓から顔を出す。
「祝いのお菓子、焼かなきゃ」
別のメイドが、廊下で叫んだ。
「裁縫部屋に布を運んで! 演舞の衣装を仕立てなきゃ!」
(ちょっと待って)
(ちょっと、待ってください)
(こんな、七歳の素振りで……)
私は、木の棒を両手で握ったまま、棒立ちになっていた。
ミアが、私の隣に立ち、ぎゅっと私の服の裾をつかむ。
「お姉ちゃん」
「……はい」
「ミア、応援する」
「あの、ミア。これはですね、剣の舞ではなくて」
「お姉ちゃん、剣……ミアのため?」
「……」
「……うれしい、ですの」
ミアの目が、また輝いた。
今度は、もっと強く。
私の口が、また止まった。
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漢として、私は決断を迫られていた。
選択肢は、二つ。
ひとつ。
屋敷中に「これは剣の舞ではなく、ただの素振りです」と訂正して回る。リサを止め、メイドを止め、料理人を止め、庭師を止め、誤解の火が広がる前に消す。
もうひとつ。
訂正せずに、ミアの輝いた目を消さない。私を「かっこいい」と言ってくれたミアの世界を、壊さない。
迷ったのは、半秒だった。
「……ハイ、ガンバリマス」
私は、観念した。
木の棒を、もう一度ぎゅっと握り直す。目的は、ミアを守れる強さを身につけること。
名目は、剣の舞でも、ただの素振りでも、どちらでも構わない。
外側がどう見られていようと、私が剣を振り続ける限り、私は強くなる。
(ハーレム計画、第二段階)
心の中で、私は宣言した。ミアを守るための愛の集合体。
その中心に立つ私自身が強くなければ、何も始まらない。
ならば。
名目が「剣の舞」であろうと、構わない。
むしろ、その名目があれば、屋敷ぐるみで稽古を後押ししてくれる。これ以上ない好都合だ。
「ミア」
「うん」
「お姉ちゃん、続けますわ」
「……うん」
「お姉ちゃんは、強くなりますわよ」
「……うん」
ミアが頷いて、私の手をぎゅっと握る。いつもの「ごめんなさい」の握り方ではない。
今度は――「応援してる」の握り方だった。
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その日の夕方。
屋敷の正面玄関に、母エリオラ様が戻ってきた。
結局、リサが「奥様ーっ!」と屋敷に走っていった時、エリオラ様は不在だったらしい。
馬車から降りた瞬間、リサが走り出した。
母の前に膝をつき、目を潤ませながら報告する。
「奥様……ユリナお嬢さまが、ミアお嬢さまへ、剣の舞をお始めになりました……っ!」
母の目が、見開かれた。ぱあっ、と輝いた。
私は、屋敷の中の柱の陰から、それを見ていた。
(あ、これ、もう止まらないやつだ)
漢として、覚悟を決めるしかなかった。
翌週から、私の「剣の舞のお稽古」が、屋敷の正式行事として始まった。
使用人たちは、毎朝、仕事をしながら私の素振りを見守る。
ミアは、ぴったり横で見ている。
誰も、訂正しない。誰も、これが「ただの素振り」だなんて思っていない。
ミアへ捧げる剣の舞だと思っている。
……まあ、いい。
強くなる、という目的さえ達成できれば、名目は、何でもいい。
そう思っていた。その時の私は、まだ知らなかった。
この「剣の舞」という名前が、やがて屋敷の外にまで広がっていくことを。
そしていつか、本物の英雄騎士を、この庭へ呼び寄せることを。




