表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/31

第3話 中編 我が妹、世界一

 妹の規格外の力を目の当たりにして、私の中の冷静な三十五歳が、そっと囁いた——その時。


---


 けれど、胸が熱くなったところで、私の中の冷静な三十五歳が顔を出した。


 (……これ、今ここで発表していいやつか?)


 庭にいるのは私とミアだけ。リサもサリナも屋敷の中で、この光景を見た者はいない。


 呼べばきっと、みんなミアを祝福してくれる。けれど私は、最近リサが夢見るように口にした言葉を思い出していた。


「いずれユリナお嬢様も、ミアお嬢様も、成人の儀で立派な加護を授かりますわね」


 成人の儀。十六歳の子供が、王都の大聖堂で加護の種類と強さを公式に鑑定される日。そこでミアの「すごい」を、初めて見せたら――。


 (屋敷のみんな、ひっくり返る)


 (リサも、エリオラ様も、アッティーネ様も、驚愕の顔をする)


 最高じゃないか。


 漢として三十五年。社会人仕込みのサプライズ精神が、静かに火を吹いた。


 私は、ミアの両手を、そっと自分の両手で包んだ。


「ミア」


「……お姉ちゃん、大好き」


「ええ、お姉ちゃんも、ミアのこと好き……って、そうではありませんわ。お姉ちゃんと、ひみつのお約束をしません?」


「……ひみつ?」


 ミアの目が、ぱっと見開いた。


 ひみつ。


 その言葉が七歳児にとって特別な響きを持つことを、私は知っている。


「ええ、ひみつです。とっても、たいせつな、ひみつ」


「……うん」


「ミアの、いまの、すごい力。これね、しばらく、お姉ちゃんとミアだけのひみつにしましょう」


「……ふたりだけ?」


「ええ。リサにも、お母さまにも、お父さまにも、ないしょ」


「……どうして?」


「あのね、ミア。成人の儀、というものがあるそうなの」


「……せいじん、の、ぎ?」


「十六歳になったら、王都の大聖堂で、みんなの前で、加護の強さをはかってもらう、すごい日ですわ」


「……」


「そこでね、ミアのいまのすごい力を、いきなりお披露目したら――」


 私は、片目をぎゅっとつむった。


「みんな、びっくりしますわ。屋敷のみんなも、リサも、エリオラ様も、アッティーネ様も、たぶん王様まで、みんな、びっくりする。ね、楽しそうでしょう?」


「……」


「だから、それまでひみつ。それまで、お姉ちゃんとミアだけの宝物。成人の儀の日に、どーん、とお披露目ですわ」


 ミアが、こくりと頷いた。頷いて――口の端が、ほんの少し上がった。


 ミアが、笑った。


 生まれてはじめて見る、いたずらっぽい笑みだった。


「……うん。ひみつ。ミア、ぜったい、いわない」


「ええ。お姉ちゃんも、ぜったい、いわない」


「……ミアと、お姉ちゃんの、ひみつ」


「ふたりだけの、ひみつですわ」


 ミアが、私の小指に、自分の小指をそっと絡めた。ぎゅ、と結ぶ。


 ……指切り、ですって。誰に習ったの。


 やめて、お姉ちゃんの胸が、もちませんわ。


---


 私は、丸太を夕方までに隠すことにした。


 七歳児の腕では、本来、運べない大きさと重さだったけれど。


「お姉ちゃん、てつだう」


 ミアが、ひょい、と持ち上げてくれた。


 ……うん。やっぱり、ミアはすごい。


 私とミアは、丸太を物置へ運びながら、ふたりでくすくす笑った。


 共犯の笑い、というやつだった。


 成人の儀まで、あと九年。


 その日までに、私もミアの隣に立てるくらい強くならなければいけない。


 なにせ、これからの九年間、私は、世界一すごい妹のお姉ちゃんなのだから。


 その日の夜から、私は自分の素振りに、もう一段気合を入れることにした。


---


「……かっこいい、お姉ちゃん」


 ミアの目が、いつもより明るかった。


 普段は静かに沈んでいる瞳が、今はなぜか、光っているように見えた。


 ミアが、私を、かっこいいと言った。


 (やっぱり今日、最高の日では?)


 漢として、これは、絶対にやめられない。


 そう思った。


 その時、私は、自分の油断に気づくべきだった。


「ユリナお嬢様……っ!?」


 声がした。声の方を見た。


 台所から戻ってきたらしいリサが、エプロンの裾を握りしめたまま、私たちを凝視していた。


 目が、見開かれている。そして――きらめいていた。


 それは、いつもの「お嬢様、なんとお美しい」モードとは、決定的に違っていた。


 もっと深く、もっと強く、もっと危険な輝き方だった。


「リ、リサ……これはですね」


 嫌な予感がした。慌てた。慌てたが、もう遅かった。


 リサは、両手を口に当てていた。


 茶色の猫耳が、感激のあまり、ぴょこぴょこ立ち上がっている。しっぽは、ぶわっと二回り膨らんでいた。


 声が、震えていた。


「……ユリナお嬢様……あ、あなたさまは……」


 嫌な予感がする。嫌な予感がする……


「あの、リサ。これは、ただの素振りで……」


「ユリナお嬢様……」


「いや、聞いてください」


「剣の舞を……?」


 止まった。私の口が、止まった。


「……は?」


「剣の舞を、お始めになっていらしたのですか……っ!?」


 リサの声が、湿っていた。


「いえ、あの、剣の舞? これはただの素振りで」


「ユリナお嬢様、わ、わかっておりますとも……っ! 剣の舞は、姫が、生涯にお一人と決めた最愛のお方の前でだけお振りになる、古きお家に伝わる演舞でございますもの……っ!」


「リサ、あの、聞いて」


「姫は、そもそも剣などお持ちにならぬ存在。それなのに、最愛のお相手のために、敢えて木剣をお握りになり、型もなく、お相手にも向けず、ただひたすら振り抜くことで、『この身、あなたさまの盾。されど、ときには剣となり、あなたさまの敵を打ち払わん』と、決意の祈りをお示しになる――それが、剣の舞でございます……っ!」


「いや、だから、これは、ただの素振りで――」


「ただの素振りとは、まったく別物にございます! 騎士の素振りは、型と、お相手があり、攻めるための振り。けれど、剣の舞には、型がなく、お相手がなく、ただ、最愛のお一人のために、お身体を捧げるようにお振りになるもの。型のなさこそが、無防備さの証。お相手の前で、すべてを差し出す、決意の祈りにございますの……っ!」


 (型がないのは、私が剣道未経験者だから――)


「ミアお嬢さまへの愛を、剣の舞でお示しになろうと……っ!? しかも、そのお相手が、双子の妹でいらっしゃるミアお嬢さまとは……っ! 双子の御縁を、ここまで深くお結びになる吉兆は、百年に一度あるかないかと申されますのに……っ!」


「ひゃ、百年――」


「なんて、なんて、お美しい姉妹愛……」


 リサの目から、涙がひと粒こぼれた。


「ユリナお嬢さま……奥様にも、お伝えしなくては……っ!」


「リサ、待って!? 待ってください!」


 リサは、もう走り出していた。


 エプロンの裾を翻し、屋敷の中へ向かって、全力で。


 ちょ、速い。


「奥様ーっ! ユリナお嬢さまが、ミアお嬢さまへ、剣の舞を捧げにっ……!」


 声が、屋敷の中に響いた。


 しーん、と。庭が、静まり返った。


---


 しばらくして、屋敷が動き出した。


 ばたばた、と忙しい足音。


 窓の向こうで、メイドたちが、ぱっと顔を輝かせるのが見えた。


 庭師が、鋏を持ったまま振り返る。


「お嬢様、剣の舞?」


 料理人が、台所の窓から顔を出す。


「祝いのお菓子、焼かなきゃ」


 別のメイドが、廊下で叫んだ。


「裁縫部屋に布を運んで! 演舞の衣装を仕立てなきゃ!」


 (ちょっと待って)


 (ちょっと、待ってください)


 (こんな、七歳の素振りで……)


 私は、木の棒を両手で握ったまま、棒立ちになっていた。


 ミアが、私の隣に立ち、ぎゅっと私の服の裾をつかむ。


「お姉ちゃん」


「……はい」


「ミア、応援する」


「あの、ミア。これはですね、剣の舞ではなくて」


「お姉ちゃん、剣……ミアのため?」


「……」


「……うれしい、ですの」


 ミアの目が、また輝いた。


 今度は、もっと強く。


 私の口が、また止まった。


---


 漢として、私は決断を迫られていた。


 選択肢は、二つ。


 ひとつ。


 屋敷中に「これは剣の舞ではなく、ただの素振りです」と訂正して回る。リサを止め、メイドを止め、料理人を止め、庭師を止め、誤解の火が広がる前に消す。


 もうひとつ。


 訂正せずに、ミアの輝いた目を消さない。私を「かっこいい」と言ってくれたミアの世界を、壊さない。


 迷ったのは、半秒だった。


「……ハイ、ガンバリマス」


 私は、観念した。


 木の棒を、もう一度ぎゅっと握り直す。目的は、ミアを守れる強さを身につけること。


 名目は、剣の舞でも、ただの素振りでも、どちらでも構わない。


 外側がどう見られていようと、私が剣を振り続ける限り、私は強くなる。


 (ハーレム計画、第二段階)


 心の中で、私は宣言した。ミアを守るための愛の集合体。


 その中心に立つ私自身が強くなければ、何も始まらない。


 ならば。


 名目が「剣の舞」であろうと、構わない。


 むしろ、その名目があれば、屋敷ぐるみで稽古を後押ししてくれる。これ以上ない好都合だ。


「ミア」


「うん」


「お姉ちゃん、続けますわ」


「……うん」


「お姉ちゃんは、強くなりますわよ」


「……うん」


 ミアが頷いて、私の手をぎゅっと握る。いつもの「ごめんなさい」の握り方ではない。


 今度は――「応援してる」の握り方だった。


---


 その日の夕方。


 屋敷の正面玄関に、母エリオラ様が戻ってきた。


 結局、リサが「奥様ーっ!」と屋敷に走っていった時、エリオラ様は不在だったらしい。


 馬車から降りた瞬間、リサが走り出した。


 母の前に膝をつき、目を潤ませながら報告する。


「奥様……ユリナお嬢さまが、ミアお嬢さまへ、剣の舞をお始めになりました……っ!」


 母の目が、見開かれた。ぱあっ、と輝いた。


 私は、屋敷の中の柱の陰から、それを見ていた。


 (あ、これ、もう止まらないやつだ)


 漢として、覚悟を決めるしかなかった。


 翌週から、私の「剣の舞のお稽古」が、屋敷の正式行事として始まった。


 使用人たちは、毎朝、仕事をしながら私の素振りを見守る。


 ミアは、ぴったり横で見ている。


 誰も、訂正しない。誰も、これが「ただの素振り」だなんて思っていない。


 ミアへ捧げる剣の舞だと思っている。


 ……まあ、いい。


 強くなる、という目的さえ達成できれば、名目は、何でもいい。


 そう思っていた。その時の私は、まだ知らなかった。


 この「剣の舞」という名前が、やがて屋敷の外にまで広がっていくことを。


 そしていつか、本物の英雄騎士を、この庭へ呼び寄せることを。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ