第3話 前編 姫は剣を持ちません(持ちます)
七歳になった春、私は決意した。
剣を、振らなければならない。
理由は単純だ。妹を守る漢として、剣のひとつも振れないようでは話にならない。
前世で剣道をやっていたわけではない。竹刀の握り方だって、授業で見た記憶があるかどうか怪しい。それでも、この世界で強い者といえば騎士で、騎士といえば剣らしい。
ならば、覚えるしかない。将来、ミアを守るために。
……まあ、七歳の身体で振れる剣など、屋敷にはない。だから私は、物置でちょうどいい長さの木の棒を見つけてきた。
立派な、私の初めての剣だ。
---
使用人が出払っている、午後の庭。
ミアは昼寝中。メイドのリサは台所。リサの娘で侍女見習いのサリナは、別の手伝いに呼ばれている。
完璧な、ひとり時間だった。
「……ふっ」
木の棒を、振った。
風を切る音はしなかった。手応えもなかった。ただの枝が、空気をかすめただけだった。
集中しようとすると、銀色の猫耳がぴくっと前を向き、しっぽがぴんと伸びるのが自分でもわかる。獣人族の身体は素直だ。気合いを入れれば、耳としっぽがそれに応える。
「……ふっ。ふっ。ふっ」
素振り。素振り。素振り。
前世の記憶の中に、剣道の心得などない。型もない。格好いい構えもない。ただ、縦に振っているだけ。
それでも、やらないよりはいい。
(強くなる。ミアを守れるくらいに)
心の中で唱えながら、五分ほど振り続けた。七歳の腕は、すぐに疲れた。でも、止まらなかった。
なぜなら――
「お姉ちゃん」
止まった。
---
振り向くと、いつの間にかミアがいた。
昼寝から起きてきたらしい。薄手の寝巻のまま、両手を背中に隠して、こちらをじっと見ている。
目が、いつもより大きく開いていた。
「……ミア」
「お姉ちゃん、なにしてる、ですの?」
「これは……なんでも、ありませんわ」
慌てて、木の棒を背中に隠したが、遅かった……
「……振ってた」
「振って……いませんわ」
「振ってた」
「……振っていたかもしれませんわね」
ミアが、ゆっくり近づいてきた。
ミアの頭には、相変わらず猫耳がない。腰にもしっぽがない。獣人族の特徴は、七歳になってもミアには生えてきていなかった。
まあ、生えない子もいるのだろう。ミアはミアだ。
「……お姉ちゃん」
「はい」
「……剣?」
「……木の棒、ですわ」
「……」
ミアが、首をかしげた。
「……かっこ、いい」
その一言で、私の胸は危うく撃ち抜かれた。
かっこいい。
ミアが、私を、かっこいいと言った。
(今日、最高の日では?)
漢として、これは、やめるわけにはいかなくなった。
---
ミアの視線が、庭の片隅へ向いた。
そこには、使用人が薪割りの途中で置いていった太い丸太があった。直径は、七歳の子供の腕では抱えきれないほど。長さも、私の背丈くらいある。
普段なら、大人二人がかりで運ぶ大きさだ。
「……ミアもやる、ですの」
「えっ」
「……お姉ちゃん、剣、振ってる。ミアもやる」
ミアは、私の返事を待たずに丸太へ近づいた。
まずい。
木の棒を渡してあげなければ。あれは重すぎる。危ない。私が慌てて止めようとした、その瞬間。
ミアが、丸太を両手で持ち上げた。
……。
……え?
ミアは、まるで空気を抱えたみたいに、太い丸太を頭上まで振り上げていた。
七歳児の細い腕で。
自分の身長より長い、抱えきれないはずの丸太を。
「……ミアの、剣」
ミアが、ぎこちなく、それを振り下ろした。
ぶおん、と空気が裂けた。
私は、息を止めた。
その音は、七歳児の振りではなかった。大人の騎士でも、ここまでの風切り音を出せるのか分からない。
獣人族の常識を、軽く飛び越えた音だった。
丸太が地面をかすめ、硬く踏み固められた土が、削れた。削れたというより、抉れた。
「……どう?」
ミアが、私を見て首をかしげる。私は、しばらく何も言えなかった。
……いや。
言えなかった、というより――
(すっっっっごい!!!)
心の中で、漢の魂が雄叫びを上げていた。
ミアが、すごい。ミアが、つよい。
知っていた。手を握る力で骨が軋むことも、毎晩のハムハムで魔力をごっそり吸うことも、全部「ミアつよい」へつながっているのだと思っていた。
でも、これはもう、「少し力が強い妹」ではない。
我が妹、世界一。
漢として、姉として、誇らしい。誇らしすぎる。
私の大切な妹が、こんなにも強い。たぶん、世界の誰よりも、強い。
(ハーレム計画にも、これは追い風でしかない……!)
私は、ミアの前にしゃがみ込んだ。
「ミア」
「……」
「いま、すごかったですわよ」
「……すごい?」
「ええ、とても。お姉ちゃん、びっくりしましたもの」
ミアの瞳が、ぱちぱちと瞬いた。
「……ミア、すごい?」
「すごいですわ。お姉ちゃん、ミアのこと、誇らしいですわよ」
ミアが、ぴたっと止まった。止まって――両手を、ぎゅっと握りしめた。ミアの頬が、ほんのり赤くなる。
胸が、ぎゅっとなった。漢として、守ってやりたい。
姉として、この子の隣に立てるくらい、強くなりたい。




