第21話後編 勝つために来たのに、しっぽが揺れる
覚悟を決めて学園に来たわたくしを待っていたのは、常識を片っ端から壊していく、あの姉妹でした。
「ユリナティーネ・ソーマ」
声は、思ったよりまっすぐに出ました。ユリナが振り向きます。近くで見ると、その愛らしいお顔は、いっそう心臓に悪いのでした。
銀の髪は光を受けて柔らかく、緑の瞳はこちらを真っ直ぐに見ております。二年前のお茶会では、まだ危うさの残る少女でしたのに、今は誰かを守るために背筋を伸ばした人の強さがありました。
「アリアンドラ・ディーテ。久しぶりですわ」
わたくしの名を呼ぶ声が耳に触れただけで、妙な声が出そうになりました。
(お、落ち着きなさい、アリアンドラ……)
ここで顔を赤くしては終わりですわ。ここでしっぽを揺らしても終わりです。手袋の中で指を軽く握り、わたくしは、あくまで完璧な令嬢として目を合わせました。
「……二年ぶりね」
本当は、もう少し言うことがあった気がします。綺麗になりましたわね、とか、背が伸びましたのね、とか、お会いできて嬉しいですわ、とか。けれど、そのどれも口にした瞬間、わたくしの威厳がどこかへ逃げていきそうでした。
「今度こそ、あなたに勝つために来たわ」
言えました。言えた瞬間、胸の奥で何かが跳ねました。勝つ。そうです、わたくしは勝つために来たのです。二年前のお茶会での勝利は、譲られた勝利……今のわたくしには、それが分かります。
ですから、今度こそ勝ちますわ。これから、ユリナに毎日会えて嬉しい、などとは思っておりませんわ。全然……ちょっとだけしか、思っておりませんわ。
しっぽは、背中側なので確認できませんが、たぶん、動いていないはずです。
「では、勝負ですわね」
ユリナが楽しそうに笑いました。
(えぇぇーー、え、笑顔が素敵ですわ!?)
こちらは真剣勝負を挑んでおりますのに。その笑顔は反則ですわ……。
お母様からの命も、ディーテ家の誇りも、幼い日の悔しさも、全部背負っておりますのに。そのようなお顔を見せられては、戦意が霧散しそうですわ。
わたくしは戦意を立て直すべく、勝負の内容を告げました。
「ええ。まずは座学。次に礼法。最後に加護理論ですわ」
「三本勝負?」
「……それじゃ、すぐ終わって……」
「ん?」
「なんでもないわ。すべてよ。すべてが勝負で、すべてに勝つわ」
危ないところでした。三本勝負などにしたら、すぐに終わってしまいます。勝っても負けても、そこで区切りがついてしまう。それは困ります。何に困るのかは分かりませんが、きっと困るのです。
毎日、勝負を仕掛ける理由が必要でした。もちろん、勝つためです。ええ、勝つためでしてよ。ユリナに会う口実が欲しい、などとは、ちょびっとしか思っておりませんわ。
「まぁ、それは楽しそうですこと。受けて立ちますわ」
ユリナは本当に楽しそうでした。敵を見る目ではなく、面倒な相手を見る目でもなく、まるで新しい稽古相手を見つけた騎士のように、まっすぐこちらを見て笑っていたのです。
わたくしは「そう」とだけ返しました。それ以上何かを言えば、負けそうだったからです。
この時のわたくしは、自分の金色のしっぽが何をしていたか、知りません。見てもおりませんし、見られてもいないはずです。
ですから、動いていなかったことにいたします。後日、ユリナが「あの時、しっぽが嬉しそうでしたわね」などと天然の顔で言い出しましたが、わたくしは断固として認めませんでした。
今後も、何と言われようとも、絶対に認めませんわ。
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その日の夕方、ヨシアーナ嬢とアキミリア嬢は、まだ少し夢から戻ってきていない顔をしておりました。
「アリアンドラ様、ソーマ家のユリナティーネ様は、噂以上の方でしたわ」
「ええ。あの方が笑うと、大広間の空気まで変わるようで」
「勝つ相手ですわ」
わたくしがそう言うと、二人は揃って背筋を伸ばしました。
「も、もちろんですわ」
ヨシアーナ嬢、なぜ、斜め上を見ておりますの?
「アリアンドラ様なら、きっと、か、かて、ますわ……」
こちらを見て言いなさい、アキミリア嬢。なぜ、窓の外を見ながら言うのです。まったく。
わたくしは窓から学園の庭を見ました。ユリナとミアティーネが並んで歩いております。ミアティーネは眠たげな目をしているのに、ユリナの袖だけはしっかり掴み、ユリナはそれを当然のように受け入れて、歩幅を少しだけ妹に合わせておりました。
あの距離感、近すぎますわ。姉妹の誓約だから、という言葉では片づけきれない何かが、あの二人には最初からありました。いえ、当時のわたくしはそれを認めたくなくて、ただ、非常識な姉妹ですわ、と心の中で片づけておりました。
けれど、今なら分かります。あの二人は最初から、世界の常識より先に、お互いを選んでいたのです。
だからこそ、周りが苦労します。リサは暴走し、サリナは記録し、わたくしは勝負を仕掛け、ヴェロニカは敵意を向け、学園の令嬢たちは勝手に騒ぐ。中心にいるユリナとミアティーネだけが、自分たちがどれほど周囲を振り回しているか、いちばん分かっておりませんでした。
その後の前期課程の日々は、まさにそれでした。勝負を挑めば、ユリナはなぜか嬉しそうに受けて立つ。
こちらが完璧な礼法を見せれば、ユリナはお嬢様言葉で、けれど妙な「漢」という言葉をまっすぐに返してくる。
ミアティーネは、誰よりも静かな顔でユリナの隣を確保し、時々こちらの心臓に悪い一言を落としていく。
サリナはおっとりと記録帳を開き、まるで最初から未来を知っているような顔で、わたくしの動揺まで書き留めておりました。
あの頃から、わたくしは苦労していたのです。けれど、その時のわたくしは、まだ何も知りませんでした。この苦労が、前期課程の二年どころか、生涯続いていくことになろうとは。
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――思い返せば、教室での初日から、すでにそうでした。
入学式が終わると、生徒たちは前期一年の教室へ案内されました。
王立加護学園の前期課程には寮がありません。王都の子は家から通い、遠方の貴族は王都の屋敷や親族宅から馬車で通う。それなのに、教室へ入った瞬間から、そこはもう小さな社交界でした。
誰がどの家の者か。誰の加護が強そうか。どの姫候補がどの騎士候補と親しいか。そんな視線が、挨拶よりも先に飛び交います。
わたくしは当然、その中心に立つつもりでした。ディーテ家の姫として、前期一年の誰よりも優雅に、誰よりも美しく振る舞う。そうして、ユリナティーネ・ソーマに、今度こそわたくしを見てもらうのです。
(可愛いって、わたくしを認めさせてみせますわ……)
そのはずでした。けれど、教室の扉が開いた瞬間、わたくしの計画は初日から揺らぎました。ユリナが、眠そうなミアティーネの手を引いて入ってきたのです。
姫候補と騎士候補の距離感も、家格も、社交の符牒も、周囲の視線も。あの方は何ひとつ気にした様子がありませんでした。ただ、妹の歩幅に合わせて優しく導き、空いている席を見つけると、当然のように自分の隣へ座らせて、頭を撫でていました。
それだけのことなのに、教室中の猫耳が一斉にぴくりと立ち、わたくしのしっぽも、たぶん少しだけ跳ねました。認めたくはありません。
ここから始まったのです。王立加護学園前期一年。ユリナティーネ・ソーマとミアティーネ・ソーマが、本人たちだけ何も知らないまま、常識外れの行動で、学園の騒動の中心地になってしまう日々が……




