第2部 ~ 第21話前編 月華の奉迎式、早まったかしら
~ 第2部 開始です ~
アリアンドラ視点のお話になります。
あの女子会の夜から、一週間が過ぎた頃のことです。ディーテ家の私室で、わたくしはお母様から届いた書状を前に、しばらく固まっておりました。封蝋は見慣れたディーテ家のもの。けれど中に収められていた写しには、薔薇の契約式と月華の奉迎式について記されており、ソーマ家、サーティー家、教会、それに王家の名まで並んでおります。ただの家同士の調整では済まない重さが、紙の薄さに不釣り合いなほど、指先へ伝わってまいりました。
しかも写しの末尾には、王家から、わたくしを第一夫人候補、サリナを第二夫人候補とする順について、再考の余地あり、との物言いがついたことまで記されておりました。
候補の順は、わたくしとサリナ、それにユリナとミアティーネを含めた四人で、話し合って決めたものです。
(なぜ、王家が口出しを?)
思うところがないわけではありませんが、この手のことはお母様が話をつけてくださるはずですから、心配はしておりません。
月華の奉迎式とは、薔薇の契約を結ぶ騎士の家へ、月の加護を持つ姫を夫人として正式に迎える式です。表向きは家を守る姫の奉迎であり、女神の御前で家と家の結びつきを整える厳粛な儀式ですが、裏の夜会では、貴婦人の出陣式とも呼ばれます。
なんですの、その呼び名は。……いえ、たしかに、夫人としてソーマ家に入るということは、ただユリナのそばにいられるという甘い話ではありません。薔薇の契約を結ぶ騎士お二人の家を支え、表の社交界では各家の顔を立て、裏の社交界では貴腐人として妙な期待を背負い、何より、あのユリナとミアティーネの常識外れの日常に、正面から巻き込まれるということです。
わたくしは書状をそっと閉じました。
「……わたくし、早まったかしら」
ぽつりと漏れた声に、金色のしっぽが自分でも分かるほど力なく揺れました。
正式な月華の奉迎式が終わるまでは、わたくしはまだ第一夫人候補であって、夫人ではございません。けれど、あの夜にユリナに告白した時点で、心はもう、とっくに退路を燃やしておりました。それなのに今さら気が重くなる理由は、はっきりしております。
ユリナとミアティーネです。あの姉妹は、こちらがどれほど覚悟を決めても、その覚悟の上を、時に涼しい顔で、時に力技で、踏み越えていらっしゃるのです。
思い返せば、最初からそうでした。十四歳の春、王立加護学園の入学式の日から、わたくしの平穏は、少しずつ崩れ始めていたのです。
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その朝、わたくしはディーテ家の馬車で学園へ向かっておりました。
向かいに座るのは、前期課程で同じ組になる予定の、モガミリア伯爵家のヨシアーナ嬢と、シムリア子爵家のアキミリア嬢。どちらも古くからディーテ家と付き合いのある家の令嬢で、わたくしを持ち上げることに関しては、朝の紅茶に砂糖を入れるより自然な方々でした。
「アリアンドラ様、本日も本当にお美しいですわ」
「ええ。学園にいらっしゃる騎士候補の方々は、きっと皆さま、アリアンドラ様にお心を奪われますわね」
「そんなこと、ありませんわ」
わたくしは扇を広げ、窓の外へ視線を流しました。
「ご謙遜を」
「学園の姫の中で、アリアンドラ様ほど華やかな方などおりませんもの」
褒め言葉には慣れております。ディーテ家の令嬢として、姿勢も礼法も、声の高さも、扇の角度も磨かれてきました。美しいと言われれば、そんなことはございません、と微笑むだけでよろしい。そこで顔を赤くするようでは、お母様に何度でも立ち姿から直されます。
けれど、その朝のわたくしは、少しだけ落ち着きませんでした。
「ユリナは、わたくしを見て、綺麗になったと仰るかしら……」
「まあ。どなたのことかは存じませんけれど、その方もきっと、綺麗になったとおっしゃいますわ」
ぬかりました……声に、出ておりましたの!?
「か、勘違いなさらないで。容姿を磨くのもまた淑女の使命ですから、どなたにでもそう言っていただけるよう、心がけているというだけの話ですわ。ええ、特定のどなたか、ではなく」
「さすが、アリアンドラ様ですわ。わたくしたちも見習わなくては、ですわね」
ごまかせましたわ……たぶん……
「そういえば、ソーマ家のお二人も本日ご入学なさるのでしょう?」
ごまかせておりませんわーーー!?
「え、ええ。たしか、双子のご令嬢でしたわよね」
「お姉様のユリナティーネ嬢は、凛々しくて美しいという噂ですわ。妹君は少し不思議な方だとか」
「アリアンドラ様は、以前お茶会をなさったことがおありだと伺いましたわ。どのような方でしたの?」
先ほどの独り言は、丁寧に聞き流していただけたようですが、代わりに聞かれたのは、十二歳の時のお茶会の話でした。
九歳の姉妹の誓約式で、一目見た瞬間に全身の魔力が駆け巡り、しっぽがぶわっと膨らんだ話ではございません。あれは誰にも話してはならない、わたくしの威厳に関わる重大機密です。
「十二歳の時にお会いしたユリナは、お日様のような包容力をお持ちの方でしたわ」
口にした瞬間、自分の声が思っていたより柔らかくなっていることに気づきました。お日様だなんて、そんな言い方をしたことに、自分で少し驚きます。
素直に申し上げて、あのお茶会は楽しかったのです。大切な思い出です。ただ、思い出すたびに鼓動が少し早くなるのは……なぜ、かしら?
「まあ、ではお優しい方なのですね」
「ええ。ただ、お母様からは勝つように言われておりますの」
「勝つ? 何にでしょうか?」
「すべてに、ですわ」
そう口にすると、胸の奥が少しだけ落ち着きました。けれど、ユリナに会える、毎日同じ学園で顔を合わせられる、そして今度こそあの方に勝つ――そう考えるだけで耳の先がふわりと熱を持ちましたので、ヨシアーナ嬢とアキミリア嬢に気づかれないよう、わたくしは扇を少しだけ高く持ち上げました。
馬車が学園の門をくぐった時、「きゃーーー」と、外から淑女らしからぬ黄色い声が聞こえました。
「……何事ですの?」
窓の外には、人だかりができておりました。
新入生の集まる大広間へ向かう途中だというのに、誰もが同じ方向を見ています。熱を帯びた視線、抑えきれない囁き、揺れる令嬢たちのしっぽ。まるで、野外劇でも始まったかのようでした。
その中心に立っていたのは、銀色の少女、ユリナティーネ・ソーマでした。
記憶の中のユリナより背が伸び、顔立ちは幼さを残したまま、なぜか凛々しさを増しておりました。可憐なのに、守られる側ではなく守る側に立っている。相反する二つの美しさが、ひとつの身体に無理なく同居していて、わたくしは一瞬、呼吸の仕方を忘れました。
(可愛くなって、凛々しくもなっている!?)
(……これは、勝つ以前の問題ではなくて……)
と思いかけましたが、いいえ、違いますわ。勝つべき相手が輝きを増しているのなら、こちらもさらに磨けばよいだけのこと。そう、それがお母様の教えですわ!
わたくしが心の中で姿勢を立て直した時、赤茶色の髪の令嬢がユリナに声をかけているのが見えました。
「ちょ……どなたですの、わたくしより先に声をかけるだなんて……」
(許せませんわ……あとで、ディーテ家から圧力をかけて差し上げましょうか……)
「抜け駆けですわ!!」「誰よ、あいつ!!」
ヨシアーナ嬢とアキミリア嬢からも、怨嗟の声が聞こえてきます。淑女の仮面は、どこへ置いてきましたの。
話しかけたのは、ヴェロニカ・グリムワルド。噂には聞いておりました。没落しかけた伯爵家の令嬢で、扇の扱いと言葉の毒だけは妙に磨かれている方。彼女のしっぽは、遠目にも分かるほど敵意で強張っており、口元を隠す扇の向きにも、いかにも面倒な符牒が混じっておりました。
近づこうかと少しだけ思いましたが、わたくしが割って入れば、ディーテ家とグリムワルド家の揉め事になります。いえ、いっそ揉め事にして差し上げましょうか……などと思わなくもありませんでしたが、入学式の前に、そこまで場を荒らすわけにはまいりません。
ユリナは、隣にいるミアティーネを自然に守る位置へ立ちながら、ひとりで応じておりました。
その立ち方を見て、わたくしは胸の奥を押さえたくなりました。あの方は、どうしてああも当然のように、妹の前へ出られるのでしょう。
ヴェロニカが去った後、平民の奨学生らしい少女が、ユリナにおずおずと話しかけていました。ユリナはその少女にも分け隔てなく笑いかけ、貴族の符牒について何かを説明しているようでした。
(ユリナに笑いかけられるだなんて……あとで、笑いかけられた経緯と理由と手管を尋問しなければなりませんわ。ディーテ家のために。わたくしのためではなく、家のためですわ、えぇ)
その笑顔に、ヨシアーナ嬢とアキミリア嬢の足が止まりました。
「……あの方が、ソーマ家の」
「凛々しいのに、なんて柔らかい笑い方をなさるの……」
(分かりますわ……分かりますけれど、あなた方まで見惚れてどうしますの……お家をつぶされたくなかったら、それ以上、近づかないことですわ)
……と、わたくしは先ほどから、いったい何にいらだっておりますの。落ち着いて対処せねば、ですわ。
わたくしは二人を置いて歩き出しました。ディーテ家の令嬢として、ここで足を止めるわけにはいきません。
わたくしは、勝つために来たのですから。




