第18話 前編 覚醒の翌朝
2026/06/20 10:00 「第14話後編 外で動く者たち」を挟み込みでアップしました。
満月の夜が明けて、世界が黒髪のミアを初めて目にする朝が来た。
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これは、あとでサリナから聞いた話だ。
扉が開いた音も、サリナが服を整えてくれたことも、私は知らなかった。
先に目を覚ましたのは、ミアだったらしい。
ミアは、私がまだ息をしていることを確かめて、ほっとしたように小さく息を吐いた。けれど、起き上がった拍子に、肩からはらりと髪が前へ流れた。
黒い髪だった。
「……ミアティーネ様」
そばにいたサリナが、小さな記録用の手帳を胸に抱えたまま、複雑な顔でミアを見ていた。
「サリナちゃん……か、鏡を……見せてほしいですの」
サリナは何も言わず、ミアを化粧台まで案内した。
鏡の中にいたのは、ミアの知らないミアだった。そこには、銀の髪も、碧い瞳も、猫耳としっぽもない。
代わりにあったのは、黒い髪と、赤い目。そして猫耳のあった場所には――見たことのない、魔族の耳。
胸の奥が、冷たく沈んでいく。
嫌われる。
ふと、耳の奥で、メイドたちの声がよみがえった。
お姉さまと同じ銀の髪。
お姉さまと同じ碧い目。
お姉さまと同じ猫耳としっぽ。
その、同じ、がなくなっていた。
鏡の中の自分は、ミアの知っているミアではなかった。
醜い。
お姉さまの妹では、いられない。
近寄らないで、と言われる顔を想像した。
返して、と叫ぶお姉さまを想像した。
私の知っているミアを返して、と。
「いや……」
喉が震えた。
「いや、いや、いや――っ!」
「ミアっ!?」
そこで、私は目を覚ました。
泣き叫ぶミアを、とっさに抱きしめていた。
「ミア、大丈夫ですの!? 怪我は? 痛いところは? どこかおかしいところはありませんの!?」
「……お姉さま……」
「どうしたの、ミア」
「髪が……目が……」
「変わらず美しいですわね。艶が一層増したように見えますわ。大丈夫、綺麗ですわよ。痛んでなどいませんわ」
「え?」
「え?」
「……耳が……」
私はミアの髪をそっと分け、顔の横を確認した。血もなく、傷もなく、痛がる様子もない。
「大丈夫ですわ。怪我はしていません」
「え?」
「え?」
「お姉さま……何を言っているのです?」
そこで、ようやく気づいた。
「ああ。もしかして、黒髪と赤い目と、猫耳やしっぽがないことを言っていますの?」
ミアの瞳が、震えた。
「ミア……醜くないですの? 嫌いにならないですの?」
「綺麗ですし、美しいですわよ。いつも言っていたでしょう? ミアの髪は艶やかで、目はルビーのようだと」
黙っていたサリナが、手帳を胸に抱え直してから、静かに口を開いた。
「ユリナ様。ユリナ様は、昔からミアティーネ様を、今のお姿としてご覧になっていた、ということでございますか」
「そう言っていますわ」
ミアとサリナが、無言で顔を見合わせた。
……言ってない。
そんな声が、二人の目から聞こえた気がした。
「私には、ミアは生まれた時からこの髪の色でしたわ。アリアンドラが羽化の時に驚いていましたの。まるで銀の髪や猫耳が剥がれて、下から黒い髪が現れたように見えた、と」
「お姉さまは、ずっと……この髪と、この目を、綺麗だと言っていたのです?」
「ええ。艶やかな黒髪も、輝くルビーのような瞳も、魔族の血を色濃く映したその姿も、全部」
「この姿が、好き……ですの?」
「大好きですわ。昔から、今も、これからも」
ミアの身体から、ふっと力が抜けた。
そのミアを、サリナがそっと抱き寄せた。ミアはサリナの肩に額を預け、ようやく息を整えはじめる。
私は状況がよく分からず、二人の前でおろおろするしかなかった。
アリアンドラがこの場にいたら、きっとこう言っただろう。
これだから、漢は、と。
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昼前に、アリアンドラが来た。
扉をノックして、部屋に入ってきた。いつも通りの顔だったが、目の下に少し影があった。一晩中、外で待っていたのだと後で知った。
「ミアティーネ、ご無事ですか?」
ミアがアリアンドラを見た。
「はい」
「……そうですの」
アリアンドラがしばらく何も言わなかった。
それから、ごく短く言った。
「よかった」
ミアが静かに言った。
「アリアンドラさん、ありがとうございました」
アリアンドラが少し止まった。
「礼はいりませんわ」
「お姉さまを、守ってくれたから」
「……わたくしは外にいただけ」
「それが、お姉さまにとっては大事ですの」
アリアンドラがミアを見た。ミアがアリアンドラを見た。
私はその二人を見ながら、この関係が成立していることに、静かに満足した。
なお、アリアンドラは時々、私の胸元の方に視線を流していた。視線を流したあと、ぱっと逸らしていた。何かを思い出しているような、ほんのり赤い顔をしていた。
私には、心当たりはなかった。
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サリナは、ようやく手帳を開いた。
朝からずっと胸に抱えていた、いつもの記録用の手帳だ。
「ユリナ様、昨夜の報告を」
「記録しておりましたの?」
「訓練と報告の延長線上ですわ」
「……真面目ですわね」
「ユリナ様が今朝、外傷なく生存を確認しましたわ。記録完了ですわ」
「それだけですの?」
「それだけですわ」
サリナが手帳を閉じた。それから、少しだけ口の端を動かした。
「……ご無事で、よかったですわ」
サリナが静かに言った。
「生まれた時から見ておりましたので、お二人の並ぶ姿が失われなくて本当によかったですわ」
なお、サリナはその後は終始おっとりとしていた。一度だけ、私とミアを見比べるように視線を送って、それから、
「ミアティーネ様のお姿は変わってしまいましたが、いつものミアティーネ様で安心いたしましたわ」
と微笑んだ。
その一言の意味が、よく分からなかった。
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そのあと、廊下でハナがミアとばったり出くわした。
お盆を持ったまま、ハナはしばらく固まった。
茶色の猫耳が、ぴくっと立ち、それからわかりやすく垂れた。
「……ミ、ミ、ミアお嬢様……?」
「……ハナ」
「お、お嬢様、その、御髪を……?」
ハナの目が、ミアの黒い髪と無くなった猫耳・しっぽに、行ったり来たりしていた。
「な、何か、お染めに、なられたのですか……? あ、その、もしや、お貴族様の、ご成長の、おまじない、か、何かで……?」
「違いますの」
「で、では、その、しっぽが、無くなっていらっしゃるのは……? あ、もしや、はやりの、ご結びかたで、見えにくいだけで……?」
「違いますの」
「では、いったい……」
ハナの猫耳が、混乱で、ぱたぱたと左右に揺れた。
その時、ナーシャが廊下を通りかかった。
「ハナ」
「は、はいっ」
「これは、お聞きしてはいけないことですわ」
「は、はい……」
「いずれ、お分かりになる時が来ます。それまで、ハナは、これまで通り、ミアお嬢様にお仕えするだけ、で、よろしいの」
「は、はい……」
ナーシャは、静かにハナの肩へ手を置いた。
ハナは、お盆を持ち直して、もう一度ぺこりと頭を下げ、廊下を歩いて行った。
ミアが、その後ろ姿をしばらく見ていた。
「ハナは、ミアのこと、好きですの?」
ぽつ、と、ミアがナーシャに言った。
「はい、好いております」
「髪の色が、変わっても?」
「髪の色が変わっても、しっぽが無くなっても、ミアお嬢様は、ミアお嬢様です。ハナにとっても、私にとっても」
ミアが、こくりと頷いた。
深い黒髪が、揺れた。
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午前のうちに、私とミアは食堂へ移動した。
窓辺に、ミアが立っていた。
朝の光が、ミアの黒い髪を深く照らしていた。瞳の奥で、ガーネットがわずかに灯っていた。
ふと、私は息を止めた。
光に照らされたミアの横顔を見て、胸の奥で、何かが小さく跳ねた。
……あ。
……これ。
一秒、息が止まった。
次の瞬間、私は自分の中で、その感覚を即座に上書きした。
(いや、漢として、それは違う)
(妹を美しいと思うのは、姉として当然のことだ)
(漢として、ミアを守る。それだけだ)
心の中で「漢として」を三度繰り返して、私はようやく息を吐いた。
気のせいだ。気のせいだ。気のせいだ。
でも、胸の奥に、ちりっと残った熱だけは消えなかった。
私はミアの方から視線を逸らした。逸らしたつもりだったが、結局、すぐ戻した。
ミアの黒い髪が、朝の光を全部吸い込んでいる。
やっぱり、美しいな。
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アリアンドラが食堂に入ってきて、サリナもその後ろに控えた。二人とも、しばらく立ち止まった。
ただ、ミアを見ていた。
「……ユリナ」
アリアンドラが、低い声で、私を呼んだ。
「ええ」
「あなた、ミアティーネのことを褒める時、ずっと『美しい』と仰っておりましたわよね」
「言ってましたわ」
「……理由が、分かりましたわ」
その声は、本気で感心していた。
「見事な色ですわね。今の色」
「ええ。生まれた時から、わたくしの目には、こちらに映っておりましたの」
「……そう」
アリアンドラが、ミアの方をもう一度見た。
「……勝てるはずもありませんわ……」
何かを諦めたようにつぶやいたその声は、私には聞こえていなかった。
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サリナが、後ろで小さく息を吐いた。薄茶色のしっぽが、合点のいったように一周だけぴょこんと揺れた。
「ようやく、合点がいきましたわ」
「サリナ?」
「ミアティーネ様の髪を梳かす時、見えている髪と、櫛に触れる感触が少しずれておりましたの。しっぽも同じですわ。見えている場所に、手触りがない時がありました」
「……気づいていたのですか」
「確信はありませんでしたわ。ですから、記録だけしておりました」
「つまり、見えていた髪やしっぽは、魔力で重ねられた幻だった、ということですのね」
「おそらく。幻術は目を欺いても、手触りまでは完全に合わせられていなかったのでしょう」
サリナが、おっとりと微笑んだ。
私は、サリナの観察力に、静かに感服した。
毎晩ミアにハムハムされて魔力を吸われていたのは、ただの魔力補給ではなかった。
ミアが無意識にまとっていた幻術を、維持するためでもあったのだ。




